東城というキャラ

  1. 本命サイン
  2. 路線変更の理由は?
  3. 学園祭クライマックス
  4. 作者の持ちキャラ
  5. ノートの小説
  6. いちごパンツの少女
  7. もったいない伏線
  8. 同じ大学に行きたい…の?
  9. 相性抜群
  10. 彼の夢を支える者は…
  11. 最終巻表紙・予告
  12. フィギュア付きドラマ CD
  13. 付き合いたいのか

本命サイン

この方の意見に 見られるように、「中盤は東城の扱いが悪かった」という声が割と強いよう です。 他の例はこちら

………実を言うと私、そんなに「中盤の扱いが悪かった」 という感じはしてないんです。確かに、見映えのする、大きめのエピソードは主 として西野側に投下されてはいました。だけどその分、東城にも結構ちょこちょ こフォローは入ってるんですよね。それは明らかに、北大路や唯とは全然違って いて、メインヒロインとしての特権的扱い以外の何物でもありませんでした。

それは例えば

といったように、真中と東城の最も深い絆である映画作 りを軸とした関係が着実に積み重ねられていったことが非常に大きいですね。さら にその周辺を彩る出来事も日常的で、ほんのちょっとしたことが多いんだけど、 東城本人がそれを十分嬉しく感じていたので、読んでるこちらも嬉しくなれたん ですよね。そのささやかさは東城というキャラによく合っていたから、別にささ やかであるからと言ってそのことを残念に感じたりはしませんでした。

それに中盤は、私が主にどういう点を面白がっていたかと言うと、「『今こ こで一番過激で、読者の目を引ける展開は何か!?』という一点だけに特化した プロットを、ジェットコースターばりに次から次へとめげずにくりだし続けられ る強靭な精神力はすごいなあ!」という部分で(笑)、 fukazawa さんかつて

というか、最近の「いちご100%」の展開は明らかに異常。 主人公が誰かとキスしようとしたりそれ以上のことをしようとするのを阻止す るためだったら、ガス爆発事故だろうが何だろうが平気で引き起こすこのマン ガのお話の作り方は、ラブコメマンガとして面白いというよりも、むしろ「 少年誌でラブコメマンガを続けるのって、やっぱりタイヘンなんだなぁ!  『寸止め』を守るのに必死だなぁ!」という、メタなレ ベルでの面白さを感じてしまいます。

と述べていた視点と大体同じでした。なので、「どちら のエピソードの方が充実していたか?」という点はあまり意識していなくって(笑)。

まあ、確かに高2の合宿とか、修学旅行では後半出番が貰えなくて「もうちょっ と真中との仲を進展させてやりなよー」と思ったり、チェルシーエンジェルイベ ントでは「西野だけ第2ラウンドがあるなんてちょっとずるいなあ」と多少は思っ たりはしましたが、でも当時は「何がどうなろうと、結局最後は東城」 と信じて疑いませんでしたから、大して気にはしていなかったのです。

また、西野ファンサイドの「西野の再登場以降はずっと一貫して『西野サイ ド』のエピソードの方が、『東城サイド』より濃度が高かった(だから、以前か ら本命は西野に傾いていた)」という言い分は一理はあるんですが、でもやっぱ りそれは「一理」でしかなくて、作者の「本命は東城だよ」というサインはかな り後までずーーっと点灯し続けているんですよね。

一番わかりやすいのは、真中が東城との縁の原点は何度も確認するんだけど 西野にはそれがない、という点で、特に9巻 p.103 と 14巻 p.19 ではほぼ同じ 描写をわざわざ繰り返し、「自分と東城とは夢を共有しているけど、西野とはそ うじゃない(から断絶を感じる)」ということを強調している所に顕著です。

他にも、高3の合宿から帰ってきた直後のように、真中が西野と急接近する ときは後ろめたさから東城が心に思い浮かぶことはある(いつもじゃないけど) のに、その逆は1度もない、という辺りもそうですね。

また、高3の合宿の展開からも、東城が本命であるという作者の意志が揺ら いでいるようには見えません。この時点で、西野がひっくり返すと本気で予想 (「希望」ではなくて)していた人はほとんどいなかったのではないでしょうか。

さらに、作者も西野側に大きなエピソードが集中していたのは頭の痛い事態 だったと見え、高3に入ると大規模なテコ入れを敢行します。真中を塾に通わせ たのがそれで、これには2重の意味があります。

まずひとつは、真中をバイトに行かなくして、西野との接点の1つを絶つこ とです。別項でも述べた通り 「バイト先が近い」ことが、別々の学校に通う真中と西野が出会う重要な口実に なっていたわけですが、高3になってからは「テアトル泉坂」はクリスマス になるまで登場していません。

もうひとつは、新キャラ向井を投入することで東城の焦りを誘い、多少なり とも積極的な行動を取らせよう、という目論見です。高3の頃には東城は困った ことに非常に消極的 なキャラになってしまい、なかなか動いてくれなくなってしまっていたので、 それを打開しようとしたのでしょう。ここで、 久しぶりに東城の嫉妬描写も復 活しています。

このような狙いが込められたテコ入れを行っている所からも、高3当初の段 階では作者はまだ東城を本命ラインとして行こうとしている節が伺えます。

………ただ、どちらの狙いも、結局は余り功を奏していないのですけどね(笑)。 バイトという接点がなくなった西野は、会いたければもう直接真中家に押しかけ るようになり、第1の狙いは崩れました。第2の狙いは、作者が何を勘違いした のかむしろ真中と向井の仲を深めるようなことばかりやっておじゃんになってい ます。「東城が自分の本心を言い出せずに真中と向井の仲を応援する、なんて言 い出さざるを得なかった」という描写を入れるなら、それを受けて「やっぱり我 慢できなくなって綻びが出てしまい、それを誰かに知られてしまう」という描写 を入れなくちゃ意味ないでしょーが(笑)。それっぽい唯一の場面はその場の言 い訳で取り繕われてうやむやになってしまった上に、その場には真中がいなかっ たし。

この辺りもやっぱり、作者がストーリーマンガ をちゃんと構築する能力が足りておらず、うまく狙い通りの流れに持ってい けなかった、ということの表れなんでしょうね。

路線変更の理由は?

最終ヒロイン交代が、なぜ、そしていつ最終的に決まったのか、というのは 興味深い話題です。上述の通り、東城の本命サインは最終的に高3の合宿終了直 後、東西南北はち合わせの回まで確認できるのですが、 その直後、急激に(かつ、かな り無理矢理に)話が西野側に傾いたときは、相当面食らいました(笑)。

今にして思えばここで最終フェー ズ移行が行われたことがわかりますが、当時は「何だか急に西野が本命キャ ラになったように凄く見えるぞ…でも、つい先日まで出ていた『東城本命サイン』 をそんなにあっさりチャラにしたりするもんだろうか?」と、どちらが作者の意 図なのかさっぱりわからなかったです。

やっぱり、この路線変更の一番大きな原因は「西野ファンからの要望がすご かった」ことなんでしょうね。どうやらキャラ人気では西野は東城よりだいぶ上 のようなので、「西野とくっつけてくれ〜」という要望が強くて、それが最終ヒ ロイン交代を編集サイドと作者サイドに決意させたんでしょう、きっと。

所詮パンツマンガ」である以上、「読者 のニーズに一番応える形にする」のは当然で、そこに文句付ける筋合はないので すが、それにしたってあの終盤の展開 は中途半端だよねえ…という所に、やっぱり話は戻って行ってしまいます。

この辺りについては、 こ の方の考察がまっとうかつよくまとまっている…かな(後半の自己分析はど うでもいいのでおいておくとしても)。思い入れの度合いは明ら かに東城の方にあったのに、それでもあれだけのふっきったまとめを見せた河下 先生のプロ意識の高さこそは、見事というコメントは、実に同感です。思惑 が外れてしまった原因の大半を占める西野に対しても、別に恨みがましさからぞ んざいな描き方になるわけでなく、(ファンが喜ぶであろう)彼女らしいかわ いさ満点の絵が丁寧に描かれてますし、また真中の行動も「西野とくっつけさす のが気が進まない」というような部分は感じられず、「苦いチョコで甘いキス」 とか「空港で別れがたくて西野の後をつけちゃう」とか、西野派が嬉しくなっ ちゃって仕方がないような行動を出し惜しみせず取らせてます。

さらに、本来なら東城と真中をくっつける舞台を大いに盛り上げるつもりで 用意したであろう疑似告白のシーンも、西野とくっつけるためのダシとしてさん ざん利用しつくす潔さを見せてますし(惜しがってる様子はまったく見受けられ ない。いったんやると決めたらとことんやりつくす、肝の座ったプロ根性を見せ つけられた思いです)、東城の作画も、特に雪の日の別れの回から後は凄絶とす ら言える美しさの水準をずっと保ち続け、 有終の美を飾ったと言 えるでしょう。もっとも、その(作画に時間を取られた?)代償が あの混迷したストーリーだったと したらガックリですが(笑)。

追記

路線変更については、最終巻の作者コメントでどんどん事態が 変わっていってとありましたが、ここはもっと詳しく書いて欲しかった所で す。「読者の声や編集の指示により仕方なく方針転換した」ということなのか、 「自分自身の心境の変化により、自発的に方針転換した」のか…。そこが一番知 りたい部分なんですが、微妙にボカしてあってよくわかりません。

個人的には、後者の可能性が思ったより高い書き方で意外でした(前者なら 中学生編と限定せず、「途中までは」東城とくっつけるつもりだった、という書 き方になるのが自然な気がする。それに、「第1巻第1話を読めば」じゃなくて 「途中までの展開からは」という風に書きそう…)。

とは言え、前者の場合、もしあからさまに書くわけにはいかない事情があっ て遠回しに書いたとすると大体こんな表現になりそう(そして、それはいかにも ありそうなこと)ですし、何と言っても16巻前半まで はどう見ても東城とくっつけるつもりだったようにしか見えない所から余りに急 で強引な展開に突入している上、自発的な路線変更だとすると ノーブラ騒動が余りにも情けな いのも確かなので、相変わらず前者の可能性の方が高いとは思っていますが。 主観による、前者と後者の可能性の比は 7:3 か 6:4 くらいかな。このコメント 見るまでは絶対前者だと信じていたのですが。

学園祭クライマックス

作者が終盤の目玉として用意したことがよくわかる、学園祭編ラストの東城 の告白。「真中と東城の番号の一致」が印象的で、「あれこそが東城とくっつく 伏線だったはずなのでは!?」という疑問とともに取りざたされることが多いよ うです。

これについては、結果論ですが、その前の「真中が西野の目の前で番号札を 破り捨てた」シーンと合わせると、「真中が『宿命』や『運命』に左右されず、 自らの意志で自分の進む道を選び取った」という(ここだけ見ると少年マンガの 典型的な文法に則った)描写だったんでしょうね。そして、その結果「東城にとっ ての『運命の恋』が『残酷な運命のいたずらによって儚く散った』というドラ マチックなシーンが演出された」ということになるんでしょう。

(私は連載当時「伏線」のつもりなのかそれとも「儚く散った夢」のつもり なのかどっちかわからなくて、「はっきりせんかい!(笑)」と思いながら読ん でました)

ここで私の当時の本命の予想は「これ絶対北大路や黒川先生が乱入してきて、 返事はうやむやになってまたループ突入だろ(笑)」だった(実際、北大路は立 ち聞きしていたわけですが)んですが、何と真中は土下座でこの告白を断るわけ で…私が初めて「ああ、西野が本命キャラになる目が『本当に』出てきたんだ」 と認識したのはこの回でした。

それ 以前に真中は「これが、俺の本気」というキザなセリフで西野にチューをぶちか ましてますし(しかも、その際東城の姿が脳裏をよぎったりはしていない)、外 村や北大路に「東城に彼氏ができたから、という理由で西野を選んだわけじゃな い」「そんな半端な思いで西野を選んだわけじゃない」と断言しているの で、少年マンガ的にはここで東城にOK出しちゃうのはかなりNGなわけで、邪 魔が入らずにちゃんと返事させるなら東城を振らざるをえないだろうなー、とは 思っていました。ただ、実際このマンガじゃやっぱ逃げを打つだろ、と見くびっ ていたので、この回はかなり驚かされたものです。

ちょっと話はずれますが、真中はほとんどいつも女の側から告白されてばか りなんですよね。最初の懸垂を除けば、北大路からも、西野からも、向井からも 「好き」と言われており、東城からもついに疑似告白を受けている。男の側が自 分ではほとんど何もしないのに、相手の方が何でもかんでも都合よく振る舞って くれる、というのはこの手のマンガではお決まりと言えばそうなのですが、「せ めて本命中の大本命である東城にくらいは真中の方から『好き』って言ってやれ よなあー」と以前から思っていたので、東城最大の見せ場である「本気告白」も、 私にとっては(真中の返事がどうであろうと)やや残念なシーンでした。

作者の持ちキャラ

東城と同じ顔のキャラは作者の他作品にも出てるみたいなので、彼女は河下 水希の持ちキャラなんでしょうね。 最後、振られたこと以外は えらく優遇されてるのも、その思い入れ故なんでしょう。

シーンごとに、バストのサイズが全然違って見える理由もこれで説明がつき ます(どこを見ているんだ)。たぶん、「東城の胸が大きい」というのは「設定 ではそうなっている」というだけで、作者の頭の中にいる「持ちキャラ」は人並 のサイズの持ち主なのでしょう。だから、普通に描くとそのイメージのままの絵 になるんだと思います(最終回も、「あれ、こんなもんだったっけ…?」という 絵でしたね)。で、ストーリー上東城の胸の大きさが関わってくる場面では、そ のことを意識して描くので「これでもか」とばかりの豊かなバストになるのでしょ う。

多分このキャラ、次回作(が、もしあれば)でも登場すると予想しときます。 きっと、性格は東城 とはだいぶ違うでしょうが(笑)。さすがにもちょっと積極的じゃないと、 プロットが組みづらくて仕方がないでしょうね。→ [2007, 9/25] と思ったら、 ついにジャンプでの新連載が決まっちゃいましたよ!予告カットを見るに、どう もこの顔のキャラは出てこない…のか?(えー)

ノートの小説

「ノートの小説」って、東城は真中にしょっちゅう見せてたのかと始めは思っ てました。彼女にとってはこれこそが真中に一番読んでもらいたい話のはずで、 続きを思いつくたびに書き加えて読んでもらい、甘い時間(笑)を過ごしていた のかと。

唯が家庭教師をしてもらっていた回でどうもそうではないらしい、というこ とが初めてわかったわけですが、東城が真中にノートの小説を読んでもらったの は、天地が登場してしばらくしてからの回が、たぶん作中で確認できる最後の機 会で、以後ついに、「雪の日の別れ」を経るまで真中が目にすることはありませ んでした。

この小説のラストは結局「戦士が選んだのは機織り娘の方だった」と明かさ れましたが、このことの意味は実を言うとあんまりよくわかりません。あの小説 はある時点から「東城の、真中に対する想い」のシンボル(彼女にとっては「想 いそのもの」と言い替えてもいい)になったんだろうから、想いが叶わなかった 以上、小説も未完のまま、「未完」という姿で渡す、という形こそがふさわしい、 と思っていたんですけどねえ。そうしてこそ、自分が「叶わなかった自分の想い」 を叶わぬまま諦めようとしている(苦しくも健気な)意志表示になるし、またそ のことが真中に伝わって欲しい、という願いも篭めてあのノートを送ったのだろ う、と予想していたのですが。

さて、東城にとって大切な大切な宝物であったはずのこのノートを手放した ときの心のうちを思うと、もう胸が締めつけられるような思いがするのですが、 その「ノートの手放し方」には、ちょっと不思議な点があります。

東城は、なぜあの別れの際に、ノートも一緒に手渡さなかったんでしょうか? 真中の家に届いたのはその翌日だったので、最後をまとめるのに時間がかかった、 ということではなさそうです。たぶん、あの会いに行ったときにはラストまで書 き上がっていたのでしょう。

ということは、「大切な宝物」を手放す決心がぎりぎりまでつかなくて迷っ ていたのでしょうか。それはそんなに不自然なことじゃないですが、だとすると 以下のようなちょっとした問題が発生します。封筒の表書きに「真中くんへ」と しか書いてなかったところを見ると、郵送したのではなく自分で直接真中家の郵 便受けに入れに来たんでしょうが、これは真中とばったり顔を会わせる可能性が 割と高い行動です。そうなると、「当分個人的に会うことはないだろう、と思っ てお洒落してきた」という、胸を打つ切ないセリフにもかかわらずまたすぐ 出会ってしまうという、割とマヌケな事態(笑)が予想 されます。別れのときに一緒に手渡しておけば、そんな心配はなかったのです が…。

やっぱり、最後までドジに祟られてて、真中に会いに出かけるときはノート のことがすっかり頭から抜け落ちてて、家に帰ってから思い出し、翌日「ばった り会ったらそのときはそのときだ!」と開き直ってこっそり届けに行った、とか いうようなことなんでしょうかね(笑)。

追記

「ノートに込められたメッセージ」については、「匿名Kさん」が以下のよう な解釈を送ってくださいました。ご本人の了解を得て公開します。

難解なのは真中と綾の最終的な関係です。163話で象徴的な別れ方をしなが ら、「個人的に」の前置きを堂々と利用して卒業式であっけらかんと喋らせて います。あの前置きは入れたとしてもそれを使ってはドッチラケです。あれは 綾ファンならずともなんのこっちゃと思ったはずです。が、実はここを解明す る事こそが綾ファンに残された最後の課題だったのではないかと思っています。 当然、彼らの間に何らかの意思疎通があったのです。その鍵を握るのは「数学 のノート」に他なりません。彼女の意志を真中がどう受け取ったか、結末だけ を語らせる事でこのやりとりを理解する必要があるのです。

結論から言うとこんな所です。「このノートをどうするかは全てあなたに任 せます。読むも捨てるも自由です。更に読んだとして次のように感じてくれな くても別に恨む事はありません。これが何を言わんとしているか?それは私は 一人の小説家として進む事の意思であり、これまでの「私」の感謝と、一人の 読者への責任を果たす「小説家としての私」の印です。これであなただけを見 つめていた「私」は終わりを告げました。あなたは「私」に会う事は二度とな いでしょう。ですが、もし今道を見失いかけているあなたが再び夢を追えたな らば、今度は「小説家としての私」と出会い直しましょう。その日が来る事を 楽しみにしています。」

そして、最終話を見ての通り、このメッセージは功を奏し、「4年の旅の中 で映画化を考えていた」という綾の予想以上の結果をもたらしたのではないで しょうか?これで二人は誰に拠る事もなく再び繋がる事になったのです。勿論 166話の時点ではヒヨッコみたいなものだし、最終話でもまだそれは巣立ちには 程遠い状態ですが。

確かに、この解釈なら、未完ではなく完結させてノートを引き継いだ意味は 非常によくわかりますね。

匿名Kさんは勿論これは相当に「作者の構成力」や「真中が東 城を利用するだけしまくってるように判断されかねないデリカシーのなさ」に目 を瞑っての上での話ですし、人によっては大いなる妄想でしょう。とも断ら れていましたが、それを踏まえた上でも非常に美しく、心に迫る「読み」だと思 います。多少ながら、救われた思いがします。匿名Kさん、どうもありがとうご ざいました。

いちごパンツの少女

このマンガの終わり方にケチをつける場合、第1話を引き合いに出すことが 多いようです。「真中が初めて出会った『いちごパンツの女の子』は東城だった。 だからこのマンガは東城と結ばれて終わるべきだった」と。

それは甘い、と言わざるを得ません。第1話の展開からは想像もつかない方 向に走ったマンガなんていくらでもあるんですから、それだけを根拠 に文句を言うのは筋違いです。

もし「東城がいちごパンツの女の子だったこと」に徹底してこだわり抜くな ら、せめて以下のようなことくらいは言わないと。

東城というキャラのマンガ上の役割は、煎じ詰めると

の2点に集約されますが、最後の最後で前者からは降り てしまったため、ラストはもうパンツくらいしか見せ場がないキャラ に成り下がってしまっていました。

ですから最終回は、パンツマンガの意地にかけて、ドバっと東城の いちごパンツを見せて終わりにしなければいけなかったはずです。18才にもなっ たキャラのいちごのパンモロなんて見る方も描く方もキッツイけど、でもこの作 者はそれくらいで怯んだりはしないはずだ!来るなら来い!という覚悟が、読者 側にも要求されます。

そんな臨戦態勢の中迎えられた最終回でしたが、何と意外にも全然パンツな しできれいにまとめてしまう、尻すぼみな展開でした。何ですかこの不様な体 たらくは!パンツの欠片もないなんて、これじゃ「いちご 100%」のタイトルを冠するに値しませんよ!!

………いや、それはまだいいんです。まあ、看板にちょっ と偽りがあったことくらいは水に流しましょう。それくらいだったら目をつぶる こともできます。が、問題はそれに留まりません。もっと遥かに深刻な問題があ るのです。

お気づきでしょうか。真にゆゆしき問題は、「このマンガで東城が 最後に見せたパンツがいちご柄じゃなかった」という事態になってし まったことですよ!(笑)作中で東城が最後に見せたパンツは「決戦前夜!」で のパンスト越しのもので、いちごパンツとなるとその少し前の屋上のシーンまで 遡らないといけない、ということになってしまったのです。

仮にも、東城は「いちごパンツの女の子」。これは、「このマンガ に対する最大の冒涜」と言わざるを得ません(笑)。エンディングが 誰だったか、などというという卑小な案件よりも、決して切り離して はいけない東城といちごパンツの聖なる(笑)絆への侮辱こそが、このマンガの 最大最後にして究極の汚点として永久に指弾し続けなければならない問題である はずです。

………とまあ、「いちごパンツの少女=東城」にこだわ るのなら、最低限これくらいは言わないと、ねえ(笑)。いや、私はそこまでは 言いませんが(笑)。

あ、ちなみに、第1話「だけ」を根拠にケチをつけるのは確かに不 当ですが、序盤全体の構成や終盤突入直前まで東城に 本命サインが出ていたことなど様々を考えに入れれば、グチのひ とつもこぼしたくなるのは当然の話ですね(笑)。

追記

と思ったら、最終巻ラストの見開き広告で、ふたたび東城のいちごパンツ姿 がデカデカと!(笑)なるほど、編集としても「やはり最後はこれでな いと締まらん!!」と思ったんですね!?(笑)

………しかしこの広告も、 まるっきり 「東城と、その他大勢」にしか見えませんね。どう見たって東城がメインヒ ロインです。ほんと、何だってこの娘にハッピーエンドをくれてやらなかったん だろうなあ。余りにもったいなさすぎる。

それにしても、あの柄はアシスタントが描いていたのかと思っていたら、ま さかそれ用のトーンまで作っていたとは(笑)。

もったいない伏線

東城関連で、もったいないなあ、と感じる伏線が2つあります。

ひとつは「いつか真中が自分の携帯電話を持ったときに、東城の番号を教え てもらう」という約束が結局果たされなかったことです。この話は作者も忘れて いた可能性は高いですが(笑)、でも東城とくっついた後に、この伏線がうまく 生かされればすごく嬉しかったのになあ、と残念に思います。

もうひとつ残念だったのは、天地が東城の眼鏡三つ編み姿の正体を見抜いて しまったことです。あれは天地が「本気宣言」をしてから「ああ、きっと天地は 見抜けない一方、真中は(当然ながら)あっさり気づいて、改めて2人の絆の確 かさが確認される、という演出に使うんだな」とばかり思っていたのですが、ど ういう訳か天地まで正体をあっさり見抜いてしまいました。この回は「せっかく 東城を喜ばせてやれるチャンスをみすみす潰すとは、何てもったいない!」と思っ たものです。

これも塾関連のテコ入れの一環で、真中と東城 に行動を促すきっかけにしようと、作者はあえてそのチャンスを潰す方向に動か してみたんですかねえ…。ただ、これまた結局その後の展開に何一つ 生かせていない点が非常に残念。東城を追い詰めてあせらすつもりで入れた話な ら、ちゃんと後でそれを受ける回が必要ですし、真中側の奮起に繋げたいなら、 そのエピソードが真中の耳に入るようにしなくちゃ意味ないとゆーのに。

同じ大学に行きたい…の?

真中と東城が「別々の大学になってしまったら、一緒に映画を作ることはも うなくなってしまう」みたいな考え方をしていたのはちょっと不思議に思ってい ました。どう見たって舞台は東京、ないし東京近郊の都市部(※2巻 p.171 に よれば泉坂高校は県立なので、雰囲気としては神奈川・埼玉・千葉辺りが漠然と 想定されているのでしょう)ですから、別々の大学に通ったって大した障害には ならないはずなのです。高校までと違って行動半径が広いですから。

インターカレッジ映画サークルなんていくらでもあるはずですし、なければ 自分たちで作ってしまえばいいだけの話です。それに、同じ中学なんだから家だっ て近いので、会う時間だってその気になれば十分作れる。

にもかかわらず、真中も東城もどうしてそんなことを深刻に考えているのか な、という点は、連載当時腑に落ちませんでした。いいじゃん、東城。「真中は 真中、大学は大学」と割り切って進学先を決めちゃえば(笑)。

後から考えてみると、真中側は謎としても、東城の側としては、「一緒に映 画を作る」ことそのものよりも、「真中と共有する時間を少しでも多く持ちたい」 ことが主な動機だったから、そういう態度になったんでしょうね。当時の東城だ と、自分から好意を 告げるのは臆病でできず、真中とカップルとなる、という展開に現実味が持 てなかったでしょうから、「関係をはっきりさせるのは怖くてできない、だけど 卒業しても真中とはどうしても時間を共有したい、そのためには同じ大学に行か ないと…!」と思い詰めていたということは考えられます。カップルじゃない場 合、別々の大学だと恋人同士でもないのにそんなに時間を共有する口実は作りづ らい、ということはあるでしょうから。

これについては、 東城さんという女の子は、ぶっちゃけ男のためなら自我を捨てら れる子でした。昭和時代ならともかくこの21世紀に(別に80年代ラブコメの「み ゆき」で鹿島さんが男に合わせて大学のレベル落したって文句言わない)。それ が古風といえばそうだが、個人的には、男に合わせすぎて自我のないつまらん女 だなくらいに思っていました。という批判があるのですが、私はそこは 連載当時から大して気にしていませんでした。というのは、ひとつには「そこは 単に、東城は『ずっと真中の側に寄り添って、共に歩む優しさ・一途さ』という 形で、西野は『他人に依存しない、独立指向の強さ・ひたむきさ』という形で、 それぞれの美点がそれぞれに相応しく出ているだけであって、その批判は単なる 美点の裏返しに過ぎず、西野にだって同様の反転視点は存在する。それは『世の 中の大抵のことは、いい面と悪い面を両方持っている』というごくありふれた話 でしかなく、結局『個人の好み』の範疇を出るものではない」―――という事情 もあるのですが、それよりも「作者がそのまんま東城を真中と同じ大学に進学さ せたりするはずはない」と楽観していたことが大きいです。

それこそ'80年代のマンガではないのですから、真中に金魚のフンのようにくっ ついて同じ大学に行く、なんて選択は愚かすぎるわけで、連載当時は「真中と同 じ大学に行きたい」と東城に言わせたことに「作者は一体何を考えているんだろ う、これが『東城の真中への一途さ』の描写のつもりだとしたら却ってマイナス だ。そんな描写されても別に嬉しくないんだけどな」と感じていました。なので 逆に、本来の予定通りだったら、2人の想いが通じ合った後でその愚かさに2人 が気づき、上述のようにあっけなく「大学なんか別々でもいいんだ」と呪縛から 解放される―――という展開になるに違いない、ということが、私の中では半ば 以上既定の事実(笑)になっていたのです。

実際、「真中と東城の幸せのためには、どうしても『同じ大学に行 くこと』が必要だ」というような厳しい制約は作内に存在せず、そんなことは不 要、ということに2人が気づくのを先伸ばしにさせていたのは単なる作者の「都 合」に過ぎません。だから、本来の予定通りなら「一度はそういう狭い視野に囚 われるという過ちを犯してはいたとしても、結局は東城はそれを克服した」とい う話になるはずだったのに、と考えると、その批判には不本意だなあ、という (自分勝手な(笑))思いを禁じ得ません。

追記

東城の大学選択問題については、3年の合宿の最後で「同じ大学を目指すの をやめるかも」と言ったことが大きな転機と言えるでしょうが、 このとき東城が何考 えてたのか、描写からはよくわかりません。一見すると 美鈴の訴えに従っただけのようにも 見えますが、それだと腑に落ちない点がいくつかあります。

「どうしても真中と一緒にいたい」という強い想いがあったから同じ大学を 目指していたわけなので、「真中の負担」を理由に持ち出している美鈴の論法だ と、あっさりと「あたしが真中くんの負担になってるのか。じゃあ同じ大学を目 指すのはやめよう」なんて考えを変えることはできないと思うんですよね。

東城は「言ってもらえて、自分勝手だってことにやっと気づいた」なんて言っ てるのですが、何に気づいたのかというと、「真中の負担になる」ということじゃ あないはずなのです。と言うのは、それは以前天地にもはっきり指摘されていた ことなので。そのときもそれに反論できず、真実を衝いていることはわかってい たはずなんですが、それでも、そのことときちんと向き合おうとせずに自分の中 でウヤムヤにしてしまって、あくまで真中と同じ大学を目指していたわけで。こ の件については、上述のような「2人の想いが通じ合いさえすれば、大学なんか 別でも構わない」という発想の転換に至らない限り、「自分のエゴを通す」のが 東城というキャラのはずです。

それに、美鈴の言葉に従ったのだとしたら、翌日の疑似告白がどういうこと なのかよくわかりません。こちらこそ間違いなく美鈴の叱咤がきっかけであるは ずですが、「同じ大学を目指すのは止める」と「好きだと言う」の二者択一を迫っ ていた美鈴の訴えに対して、その両方をやっちゃう、というのは首を捻ります (「一度は『同じ大学を目指すのは止める』と言ってしまったけど、後から死ぬ ほど後悔したので、やっぱり演技の場を借りて好きだと言う決心をした」という ことなんでしょうかねえ。そうだとしたら、そこらへんの心内描写を、風呂場の シーン辺りでやって欲しい。これまた 「直接的心理描写の抑制もほどほどにし てくれえ〜」と言いたくなる部分です)。

別の見方として、「あれは東城の本心ではなく、真中に引き止めてもらいた かったのだろう」という説も見られます( 例1例2)。この説 は、真中が出て行った後、東城が絶望したかのようにベッドに伏せったことにも 自然に説明がつく(東城の期待とは違って、引き止めてもらえなかったから、と いうことで)というメリットがあって、翌日の疑似告白はそれで覚悟が決まった から、という想定になるわけですが、反面それだと美鈴とのやりとりと全然繋が らなくなってしまうのが難点です。

美鈴が「同じ大学に行きたいなら、ちゃんと好きだと言ってから行くべき」 と言い、東城がそれに感銘を受け、何がしかを悟ったような描写があって、それ を直接受ける形でこのシーンがあるわけですから、ここで出てくるのは、東城の 側からの(何らかの)自発的な決意というのが自然です。それなのに、このいか にも重要そうな場面で、「真中に引き止めて欲しかった」というような他力本願 で自己中心的な情けない態度を取らせる、というのは解せません(また、それだ と美鈴が非難していた「真中の負担になる」ということをこれっぽっちも 東城は気にかけてない、ということになってしまいます)。作り話の持っ ていき方として、そんなへんてこな構成にするだろうか?という点には、大きく 首を捻ってしまう所です。

再追記

なおこの件について、更 なる考察はこちら

相性抜群

西野の場合、「真中の方から告白してきたから付き 合ったのに、ちっとも自分に興味を持ってくれるように見えず、せっかく話しか けても上の空ばかり。そればかりか他にもっと好きな娘がいて、正式な彼女であ る自分を蔑ろにしてその娘のことばっかり見たり考えたりしている」なんて失礼 千万な酷い扱いを受けて幻滅し、「もうこいつとはやって行けない」と「自分か ら」見放しており、真中を見放した原因の一番の核心である「自分よりも好きな 娘が他にいる」ことに何ら変化を見出したわけでもないにもかかわらず 、真中のことが「そんなにも」好きになるなどというのはおかしい 、ということは別ページに述べる通りですが、一方東城の方は全然事情が違 います。第1話の初めて夢を語り合ったシーンは当然として、他にも

  1. 毎年映研で東城が脚本を書き、真中がそれを映像化する、という形でお互 い支え合っている
    1. 30話の「でもマジで東城文才あるよ / 「お金かけずに 登場人物も少 なく」って条件で よくあんな一風変わった話思いつくよなあ――」 「それは真中くんの方よ / さっき台本作ってた時だっていっぱい助 言くれて…どんどんストーリーが具体的になったもの」「あたしに は曖昧なものが真中くんには見えているのよね / 人物の位置カメラ の角度 光の当たり具合 / それってやっぱり才能よね」「別にお世 辞じゃなくて あたし真中くんの撮る映像が楽しみだから……」といっ たやりとり
    2. 第117話の回想シーンであったように、自分が思った通りに、あるい は自分が思うよりずっとよく真中が撮ってくれている
    3. 36話「俺…この作品が ここまで出来たのは 東城のおかげだと思っ てるから」「――そ、そうやって言われるとはずかしいなー」「だっ てやっと形になるんだもんな」「中学ん時 屋上で話したこと 東城 も覚えてるだろ? / も もしかしたら東城が想像してるよりもずっ と下手でカッコ悪い作品かもしれないけど / それでも俺…努力はし てみた」「と…東城がすごく面白い話を書いてくれたから / だから / だから俺もそれに応えなきゃって」
    4. 次回作のアイディアを話し合ったりできる
  2. 自分の小説を目を輝かせて読んでくれて、熱心に感想も伝えてくれる
    1. 「只の逃避」と自己嫌悪・卑下していた小説を積極的に他人に見せ ることができるようになり、小さいながらも文学賞も受賞できて客 観的高評価も得られた
    2. 小説を認めてもらい、脚本にも挑戦したことでうんと世界が広がっ たと感じさせてくれた。様々なタイプの人とも出会えた。
  3. 高1の合宿で、泣き出してしまった自分を励ますメモをこっそり托してい てくれた
  4. 文芸星屑の審査員特別賞に選ばれたとき、ストレートに誉めてくれた
  5. 自分の脚本の評価に自信をなくして涙ぐんでいたときに「俺は東城の脚本 で行けると思ってる、これからも一緒にがんばろう」と力強く励ましてく れた
  6. 修学旅行で迷子になり心の中で真中を呼んでた所に本当に現れてくれた
  7. 誕生日には「自分の一番」を贈ってくれた
  8. 体育の時間にひとりはぐれた自分を助けてくれた
  9. 天地と3人でプールに行ったときには、真中は「東城のことを撮りたい」 という理由で天地との勝負を受けて立った。また、その後溺れそうになっ た所を助け、あるいは助けられた
  10. 「最初に撮りたいと思った女の子は東城だ」と言われた

という具合で、真中から東城に対するフォローは繰り返 し入っています(当然ながら、上で列挙した項目 とかなりダブりがあります)。また、それだけでなく、そのことが東城の心にちゃ んと響いていたことも「ちゃんと伝えてなかったけど、真中くんのこといっぱい いっぱいすごいと思った」「真中くんだからいいんだもん」というようなセリフ にはっきり現れています。

特に A-2 や E は、東城からしたら真中に「好きだ」と言ってもらえること の次くらいに嬉しかったことのはずです。また、J だって、映画撮るのが最大の 夢の男のセリフということを考えれば、最大の殺し文句と言えるでしょう。あの 素直で純情な性格から言って、天にも昇るような心地になり、その結果、演技も ふっ切れるようになったのでしょうね。夜になって窓の外を眺めていたときも、 ロマンチック気分満点でうっとりしていたに違いありません(もう、真中が東城 とふたりっきりのときに、よからぬ妄想を思い巡らせていたのも許す!(笑))。 優柔不断だの何だのよく非難の的になる 真中ですが、そういうフォローをちゃんとしていた点は好きになれる奴でし た。

あとまあ、東城の側も真中を支えることが何度もありましたが、東城派とし て贔屓丸出しで言うならば、そうやって「真中の役に立てた」ことがまた東城に は嬉しいことだったはずで、そういう形でも真中は東城に充実感や自信を与え続 けていたはずです。

こういったことは、真中本人ははっきりした自覚があってやっているわけじゃ なくて、自然体で親切・親身に振る舞っていただけのようですが、それが東城自 身の欲することにぴたりと合致している、という形になっていて、この2人は相 性ぴったりなんですよね(もちろん、もともとこの2人をくっつけるつもりだっ たからこそ「相性ぴったり」にキャラが作ってあるわけです。逆に西野は「つき 合っているんだけど、相性は合ってない」という描き方から始まっていて、 その相性が最後 まで改善されなかったのが何ともお粗末…)。

彼の夢を支える者は…

このマンガの終わり方が著しく理不尽に感じる理由のひとつは、最後、東城 が真中・西野カップルに利用されるだけされ尽くした挙げ句、何の見返りもなし に切り捨てられてしまったことです。特に終盤の西野が余りに優遇され、労せず して結果だけ掠め取った形になってしまっている点は目を覆わんばかりです。

角倉に声をかけられて調子に乗る真中と、その角倉に否定されて落ち込む真 中、どちらも真中の心の中に真っ先に思い浮かぶ相手は東城です。これまでずっ と真中を支え続けた東城の一番の願いを無情・薄情にも粉々 に打ち砕いておきながら、自分の夢のためにいけしゃあしゃあと東城に頼る真中 は厚かましいことこの上ない最低野郎になってしまっ ています。一方終盤の西野は、この件については真中の心の中にチラとも思い浮 かばない程度の小さな存在感しか持っておらず、「正式な彼女」のはずなのに全 然真中を支えることができていません。こうなってしまうのも、これまでずっと 東城とくっつけることを前提に話を進めて来たもんだから、真中の映画にかける 夢を具体的に支えられるスキルを持ってるキャラが東城と美鈴だけになってしまっ ているからですね。お話としてはこの期に及んで美鈴に焦点を当てるわけにも行 きませんから、東城がそれを一手に引き受けざるを得ないのはマンガ上の必然で、 この辺は急激な路線変更のおかげでどうしようもなく話がちぐはぐになってしまっ ている部分です。

実際、西野は「あたしも淳平くんの夢応援するね」と観覧車の中で言ったも のの、それが具体的行動にほとんど結びついておらず、口先だけのセリフになっ ちゃってます。学園祭直前に弁当持って泉坂まで来たところが辛うじて「真中の 夢を応援し、支えようとしている具体的行動」と言えなくはありませんが、それ は再交際開始の際にいみじくも彼女自身が言い表したように「甘えさせてる」だ けの一環に過ぎず、真中を本当に支えているとは必ずしも言えません。

東城や美鈴みたいに映画製作の実作業へ貢献できるスキルがない以上、「夢 を応援」となるとどうしても「話を聞いたり、弁当を差し入れたり」くらいしか ない、という点や、電話で映画製作が大変だ、という真中の話を聞いて、何とか してやりたい、と思った上での行動であったことを考えれば、多少割り引いて見 てあげてもよいでしょう。しかし致命的なのは、そこで 東城の疑似告白のシー ンを見てからは自らのエゴ丸出しの行動「だけ」になってしまい、せっかくの 「応援」を完全に台無しにしちゃっている点ですね。

一方このときも東城は、何も知らないまま外村に真中を手伝うよう依頼して ますし、試写会のときの会話からも真中の映画の完成・成功を誰よりも純粋に願 い、貢献していることがはっきり描かれており、学園祭前もやはり真中を支えて いた度合の差は明白です。

また、真中が角倉との2度目の会合に臨んだとき、真中の家で待つ西野がす れ違いになったのも、「うまく行ってたら祝福してあげ、だめだったら励まして あげよう」という意図があって訪れていたのだろう、と補完すれば「たまたま運 悪く実を結ばなかったけど、西野本人は具体的行動にはうつしていた」と見てやっ てよい点とは言えるでしょう。しかし、そこに健気さを認めて好意的に補完して あげても、やっぱり東城の応援の方が質も量も段違い、というのは間違いありま せん。

それ以降はもう、好意的に見てすら「真中の夢を支える」ということにかけ て西野が主体的に寄与している部分はまったく見当たらず、そのままあのカラオ ケボックスのシーンを迎えてしまいます。この間西野が何をしていたかと言えば、 諍いをしたりキスして翻弄したり、 「来年になってもずっと大好き」と具体性に乏しいくせに執着心だけは丸出しに したセリフで真中を縛ったり、留学・別離が迫っているのに具体的な話は全然し なかったりで、主として自分の都合第一で振る舞うばかりであり、しまいには東 城の影・姿に怯え、真中とちゃんと向かい合うことすらできない有り様です。

その最後の場では、真中を「映画製作者への夢」に真剣に目覚めさせる原動 力までもが東城(が贈ったノート)が担っているのですが、翻って西野はどうか と言うと、「真中の先を行き、手を差し延べて手引きする」イメージこそ19巻表 紙や19巻巻末描き下ろしイラスト・ドラマCD5付属フィギュアなどでビジュアル 的に打ち出されてはいるものの、正直言って本編中でのそのような演出付けは希 薄で、東城の数学ノートのインパクトには遠く及んでいません。ここだけでなく、 終盤全体を通じて西野が主人公の成長にほとんど主体的役割を果たさないキャラ だったことは、真中本人の「肝心な部分にはずっと触れない関係だった」という モノローグによっても残酷にも暴露されてしまっており、「作り話における主人 公のパートナーが果たすべき役割」に関しては落第点をつけざるを得ません。

結果として、このマンガは、東城がほとんど一人で真中に尽くしていたにも 拘らず、西野はその怠慢の報いを何ら受けることなく、成果だけほぼ只取りした という形の、余りにもお粗末なストーリーとして終わってしまいまし た。最終的に西野がそんな人でなしにされてしまったことは、裏返っ て逆に気の毒ですらあります。

(この辺りについては、上述の匿名Kさんより 色々とご教示を頂くとともに、ここで西野にとって根本的に不幸 な点は、自らのエゴの帰結でしかない「甘えさせた」ことを「よかれと思ってし たことだった」という観点から黙認したとしても、真中が全く自分からは羽ばた いてくれなかった上に、(単に一度関係を切ろうとする際の台詞とはいえ)それ を「白紙にしてくれ」と否定されたことというご指摘も頂きました。この場 を借りてお礼申し上げます。そういう点も含めて、この場面では西野までもが作 者に酷い扱いを受けている、と言ってよいでしょう)

結局、この終盤では、特に学園祭後に顕著ですが、真中も西野も「主人公の成 長」という極めて重要な要素は全面的に東城にお膳立てしてもらいながら、自分 たちの幸せのために必要なものさえ手に入ればこっちのもの、とばかりに東城の ことをまったく顧みず一方的に踏み台にし、しかもそのことに罪悪感を感じ ている様子が乏しい、という恩知らず極まりない極悪カップルに なってしまっているわけで、これをこの上なくやり切れない話 と呼ばずして何と呼べばよいのでしょうか。

「映画にかける真中の夢」という部分の扱いをもっと小さくしない限り、こ んなにも痛ましくて正視に耐えない展開になってしまうことはわかりきっていた はずなのに、どうして作者・編集共々無謀にも暴走したんだ?………とは言いた くなるのですが、そこら辺をおざなりに済ましたら、今度は「ずっと『夢』が大 きなテーマだったはずなのに、何なんだこのマンガ?」ということになってしま うのも事実です。そう考えるとこのマンガは、方針変更を決定した時点で、話と して破綻しちゃうことも不可避になっちゃってますね。たとえ東城の扱いのこと を全部脇に置いたとしても。

最後、東城に「他人から与えられたもの」はほとんど残っていません。残さ れたのは「3年間の思い出」と「小説家としての足掛かり」だけで、それ以外す べてを「こんなことで想いが 満たされたわけじゃない」という余りにも惨めでちっぽけな経験 と引き換えに奪い去られてしまっているわけです。そのほんの僅 か残された「映像研究部の3年間の思い出」(それは要するに「真中との思い出」 にほかならない)を卒業式では「大切な宝物」と最大限に肯定できて、全校生徒 の前で動じずに語れるまでに昇華した(たった2週間で!)東城は、本当に気高 く、強い。そしてほぼ全てを、「小説を書く原動力」だった真中をも奪われなが ら、自らの内面だけを支えに自分自身の再構築を成し遂げた4年後の 東城の強さ・美しさには凄味すら備わっています。けれど………

いくら東城が立派に成長していようと、これほどの仕打ちを受けていながら その成長を祝福して読み終える気分になどなれるはずがありません。「単行本全 部売り飛ばしたくなる」という人の気持は非常によくわかります。

最終巻表紙・予告

最終巻の表紙には驚かされました。よもや2人のウェディングベール姿 とは!たぶん「せめて表紙だけでも、東城の花嫁姿を見せてやろう」とい う東城派へのサービスのつもりなんでしょうが、こんな欺瞞に満ちたイ ラストではちっとも救われません。実際に真中と結ばれ、ウェディン グベールを被ることができたのは西野でしかなかったはずなのに、ここでだけ東 城にも同じような祝福が与えられたかのように装うなど、余りにもそらぞらしい 虚構で却って惨めになるだけです。

しかも服装は高校の制服姿です。最終回で描かれた4年後 ならともかく、このときの東城の心の傷はまだ到底癒えていなかったでしょうに、 彼女の幸せを奪い去っていった張本人である西野を目の前にしてにっこり微笑ま せるというのは、余りに東城に対する扱いが酷すぎますよ、河下センセイ!?い かに卒業式での東城が吹っ切れているとは言っても、目の前で西野のウェディン グベール姿をまざまざと見せつけられるばかりか、自分まで同じ格好をさせられ るような仕打を受けたら、改めて彼我の境遇の絶望的な差を深々と思い知らされ て、まだ癒えていない心の傷は深く抉られ、血の噴き出すような辛い思いを味わ わざるを得ないはずです。東城が余りに気の毒で正視に耐えません。

最終巻についてはもうひとつ、 18巻についた最終巻予告の「勝負の行方はまだわからない、最後までもつれ込む」 と言わんばかりのあおり方には、怒りと悲しみが抑えられません。18巻終了 の時点では、東城は取り返し のつかない過ちを犯しており、あとはもうその報いを受け、自ら身を引いて尻拭 いをする道しか残っていません。にもかかわらずまだもつれる余地があるか のような白々しいあおり方をするのは、東城を道化として晒し者にするも同然の、 屈辱的な扱いです。

終盤の東城は、順当に行けば当然迎えられるはずだったハッピーエンドを反 故にされ、前半は何もかも手遅 れになるまで何も知らない状態に陥れられ、後半は弁護の余地のない悪役に されて自ら身を引かさせられるという、余りに一方的な扱いを受けていました。 その余りに強引な展開は、作者サイドの 「真中と西野をくっつけることに決まったから、東城は引っ込んでくれなくちゃ 困る」という都合丸出しの、白ける出来レースに過ぎませんでしたが、それ ほどまでに東城を軽んじておきながら、そ知らぬ顔でそれを隠蔽し、今さら最終 巻の表紙や予告のように対等に扱ってるかのようなフリだけ装われても、東城を 救済するどころか、逆に侮辱にしかなりません。

ラスト数回での扱い方 からして、作者が一番愛情を注いでいたキャラであることは間違いないはず なのですが、その一方でこの最終巻表紙や、 衝動的なキス願望も我慢でき ないような愚かな娘に貶めてしまったりする所など、信じられないくらいひ どい扱いを平気でしたりもするんですよねえ…。この辺り、単に「商業誌で書く 以上、作家性を犠牲にする覚悟は決めている」というだけの話でもなさそうで、 どういうことなのか首を捻ります。

フィギュア付きドラマ CD

最終巻の帯で告知されていたのを最初に見たときは、「どうせ最終回まで CD でフォローできる程続けられるはずもなく、中途半端にしかなりようがないのに、 いったいどの回をやるつもりなんだ?それとも、本編とはまったく関係ないしょー もないオリジナルシナリオなのか?」と呆れていたのですが…。

それまでのドラマ CD とのストーリー的連続性は放棄し、終盤からラストの 部分だけをドラマ化するということで分量的な問題をクリアする、というのはま だしも、「東城視点・西野視点の2本立て」で出すというのがどういうつもりな のか、さっぱり理解できません。かたや徹底的に贔屓され、労せずして何もかも が与えられた西野。かたやまともに勝負する機会も与えられず、一方的に全てを 奪われ惨めに敗北させられた東城。終わってみれば「結論先にありき」のワンサ イドゲームに過ぎなかったあの終盤の展開は、東城ファンにとっては悪 夢も同然で、わざわざ追体験したいなんてとても思えるものではあり ません。にもかかわらず、「東城視点」なんてものを用意するというのは東城派 に買わせようという魂胆が大ありということで、その無神経さにはびっ くりするやら腹が立つやら。

EAST SIDE を買うのは、狂信的な東城ファンを除いたら、ほとんど「西野派 だけど、東城も2番目か3番目くらいには好き」というようなタイプの人ぐらい しかいなさそうな気がしますが、それにしたって合計1万円じゃ、やっぱり WEST SIDE しか買わない人が大半を占めそうな…。売れ行きには極端な 差が出そうな気がします。正直な所、最近はやりの「フィギュアとのセッ ト商品」という販売戦略に安直に乗っただけ、という以上の展望があっ たとは到底思えません。

これでようやく西野の内面も補完され るのかもしれませんが、もしも今さらモノローグなどで 「真中の方から告白してきたから付き合ったのに、自 分よりも好きな女がいる」なんていう失礼かつガックリな酷い扱いを受け、「そ のことに幻滅してもうこいつとはやって行けない、と自分から見放した」なんて いう経緯がありながら、「なぜ、そんなにも真中に執着す るほど好きになってしまったのか」の理由が明かされたとしても、「今さら そんな、マンガ以外の所で『こうだったことにしてくれ』とばかりに後出しされ ても、そんな身勝手な改竄など認められるわけがないだろう…」としか思えませ ん。EAST SIDE の方にしろ、試写会以降のプロットが歪曲されて、「東城がだん だん西野と真中の仲を認め、挫折を克服して想いを美しく昇華していった」とい うような欺瞞的な追加要素がたっぷり盛り込まれて、集英社側が「こ ういういきさつだったんだからあれもありなんだよ、東城本人だって受け入れて いるんだ、仕方ないから諦めなさい」とばかりに自分の立場を正当化しようとし ているんじゃないか?という懸念が去りませんね。

さらにジャンプ誌上でのその告知広告も、 西野に都合のよすぎる偶 然がはたらいて東城がなす術もなく切り捨てられた場面はきれいに素 通りし、セレクトされているのが「そこだけ見ればシリアスな恋愛模様が繰り広 げられたかのように見える場面」ばかりで、「あれは『美談』だ」というゴリ押 しで言い逃れを決め込もうとでもしているかのように見え、白けた視線を向ける ことしかできません。

本来ならあの終盤は、東城ファンに対して「顔向けできない」という類のも のであるはずなのに、集英社側はいったいどこまで東城派の神経を逆撫ですれば 気が済むんでしょうね。まさかあの終盤展開で東城派をひどく 裏切ったという認識が乏しいんでしょうか?(だとしたら「ふざける のもいい加減にしろ!」と言ってやりたい所ですが…)

終盤の展開からは東城を邪魔者として「抹殺」しようという意図がありあり と感じられますから、集英社側はそこは「後ろめたさ」を十字架として背負うこ とが当然の義務でしょう(いや、それだってやり切れなさが解消するわけじゃな いですが)。にもかかわらず表紙・広告・ ドラマ CD・その広告で東西同格の扱いを繰り返す所は、その「最後の後ろめたさ」 すら邪魔者として切り捨てようというしているのではないか?という不信感がも の凄く強く感じられます。

そんな風にあたかも「接戦」だったかのように偽装する所には、「東城を裏 切ってなんかいません、最後まで天秤はバランスを保っていて、東城は『ほんの ちょっと』運が悪かっただけなんです」とばかりの白々しいにも程がある 言い分で保身を図ろうという「姑息きわまりない魂胆」 の匂いがプンプン感じられて、非常に不愉快ですね。茶番に も程があります

ドラマ CD については、発売のタイミングがこんなに後になったのも不可解。 8月に連載の終わった作品の関連商品が、翌年の5月に手に入るって、何でそん なに間延びしているの!?売るんだったら、連載終了直後に告知を出して、9月 に注文〆切、最終巻と同時に発売、という形にした方がより購買意欲を刺激でき て有利だったでしょうに…。一方ではものすごい商魂の塊のように見えるのに、 もう一方ではえらく商売が下手…と言うか、商売する気がないかのよ うに見えてしまうこのチグハグさは何なんだろう、と首を傾げてしまいます。 「出来のいいフィギュアを作るのには時間がかかる」「原型師は先約が入ってい て、すぐにこちらには取り掛かれなかった」というような事情があったりするん でしょうか?

追記

(※ 「東城というキャラ」という表題とは裏腹に、この節はほぼ西野に関する 記述しかありません。あしからず)

LAST TAKE も先日発売となりましたが、WEST SIDE の方に北大路・唯・ 美鈴が出演してない、という話を聞き、呆れ返りました。 いや、確かに西野は原作では真中以外のキャラとの絡みは少なかったですが、そ こは多少共演の場面を追加したり、西野が登場しない場面もいくらかは取り入れ るものとばかり思ってたんですが…。

ここに来て東西を分離したため、西野とい うのが、真中以外のキャラとの関わりがやたらと薄いキャラだったことが、 本編以上にあからさまになってしまっているわけですね。こういう所も本来彼女 がサブヒロインでしかなかったことのあらわれで、東城がこのマンガ全体と適度 に関わりを持っていたこととの対比ははっきりしています。本命ヒロインに抜擢 されたのが急すぎて、その体面を取り繕う暇が十分でなかったことのツケが、こ んな所にも回ってきているわけです。

そういう観点から振り返ってみれば、西野再登 場以降の西野エピソードは、西野と真中の関係だけに終始する傾向が強かった ことが改めて浮かび上がってきます。回数はやたら多かったですが、他の部 分との関わりに対する配慮が二の次にされており、バランスを度外視してやたら と目についたこともあって、エピソード間の協調性を欠く「自分勝手な」印象が ことさら強く残るエピソード群だったと言えるでしょう。

それを緩和しようともしないままドラマ CD 化した結果、 再登場後の西野は、作者にチヤ ホヤされぬくぬくと安逸を 貪った挙げ句にオチだけまんまと与えられるような、このマンガの 他の部分を蔑ろにしたキャラだったということが改めて浮き彫りにさ れていますね。ほんとに WEST SIDE って、「西野が出てさえいれば満足で、あ とはどうでもいい」というタイプの読者(リスナー)へのおべっかでしかないな あ…、西野ファン以外への配慮なんか、これっぽっちも視野に入ってないのか…、 と呆れ果てます。

それにしても、唯が出てない、ってことは、あの真中宅での西野・唯遭遇の 場面はなし、ってことですが、あれって西野のモノローグを追加するのに適した 場面のような気もするんですがねえ。それさえも削る必要って、どこにあったん でしょう。いや、もうこんなシロモノのこと、ホンットどうでもいい ですけど………。

追記その2

ドラマ CD 5が2本立てになったいきさつは、次のようなものかもしれません。

これはいかにもありそうな話です。これまで、まるでわざわざ東城ファンの 神経を逆撫ですることを狙って制作されてでもいたかのようなこの企画の意図を 図りかねて、不愉快極まりない思いを抱いていたのですが、もしこういう事情だっ たのだとしたら、多少は立腹も抑えられるでしょうか。いや、だからと言っ てこのドラマ CD がひどい企画だということにはまったく変わりはないの ですが(笑)。

また、そういういきさつで調整に手間取って時間がかかったのだとしたら、 あんなにタイミングが遅れたことの説明もつきますが…。やはり、真相が気にな るところです。

付き合いたいのか

新たに見つけた感想で、こんな記述を見ま した。

東城綾……。東城綾……。 冗談抜きで毎晩東城のこと考えて泣いてる。全自動情動の涙装置?ガチ恋とかいう次元じゃない。結婚を前提としてお付き合いしてください。

とてつもなく共感できる感性…である一方、私個人の感覚としてはやはり 「自分が」東城と付き合いたい、とか結婚したい、という欲求は希薄であること は改めて自覚されました。少なくとも意識できる範囲内では(無意識の領域では また違うのかもしれませんが)。

他のヒロインはまったく眼中にない、というレベルでぶっちぎりに 好きなキャラであることは間違いないですが、私が東城に覚える最も中心的な感 情は「東城の想いが報われて欲しい」なんですよね。教室の 片隅でずっと疎外されて、孤独な思いをあてもなくずっとノートに書き綴ってき た少女が、心の最も傷付きやすい部分をお互いに開いて見せた(見られた)少年 と巡り会い、奇跡的に信頼し合える相手となりえて始まった関係。その胸に宿っ た好意がおずおずと露わになる様は群を抜いて可愛らしかったし、この迷える魂 が、真中と、真中を始めとする周囲の人々に手を引かれ、光明の差さなかった隘 路から助け出され、幸せ一杯の満面の笑顔で輝くように笑う姿を何よりも見たかっ た。

私にとってはそれが最も重要なことで、真中を差し置いて東城と付き合った り、恋愛したいという気持ちは別にそれほど…(それだと別に東城が 欲するところのことには全然ならないわけで)。その辺は大多数の西野派が「自 分が」西野と恋仲になりたい、と願うのと大きく違うのはもちろん、東城派の多 くの人々とも割と違うのかもしれませんね(ただ、思いの強度を表す比喩として 結婚を前提としてお付き合いしてくださいくらいに極端な表 現を使ってでも…という感覚はとってもよくわかります)。


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井汲 景太 <ikumikeita@jcom.home.ne.jp.NOSPAM.>(迷惑メールお断り)
最終更新日: 2024年05月23日