「こころみ」の考察に関して

最近 になって現れた、比較的まとまった量の本作考察です。分量が多いので、こ うして独立したページを設けて触れることにしました。同意できる点も、そうで ない点もありますが、以下具体的に論じていきます。

終わり方の「大きな傷」

現在の所3本の考察が公開されています。

  1. 「いちご100%」とい う作品との出会い
  2. 【考察】「いちご10 0%」の結末は読者の人気によって決まったのか?
  3. 【考察】「いちご1 00%」の終盤 作者の意図についての考察

ひとつめの 「いちご100%」という作 品との出会いは、概ね非常に真っ当な総評です。この節の表題にした大 きな傷はリンク先からの引用です。

「いちご100%」という作品は、その終わり方のために、私の心に刻まれ た作品となった。

(中略)

主人公真中が最後に東城でなく西野を選んだことにはおどろいたが、それよ りその選び方におどろいた。

(中略)

キャラクターの設定、それまでの話を考えると、主人公真中は東城と結ばれ た方がいいとは思う。

(中略)

しかし、真中が西野と結ばれる話でもいいと思う。読者を納得させることが できればそれでいいと思う。

実際には、読者を納得させる話にならなかった。無理な誤解によって結末が 決まってしまった。

(中略)

それではいけないという流れで、それから最後まで突っ走っていった。

主人公が二人の女性についてどちらを選ぶべきか考えて、そのうちの一人を 選ぶ、ということが当然あると私は思っていた。しかし実際には、そういうこ とはなかった。

「ドラゴンボール」でたとえると、(中略)

悟空が負けたことより、悟空が戦わずに終わったことが残念であった。

ここは最も重要な論点です。連載終了から15年以上を経て、私の指摘 本来なら、ここで東城に事情を尋ねて、本当のことを知った上で、 「さあどっち?」(あるいは、北大路と向井も含めて、「誰?」)と迷わせた上 で、「それでも自分の中に確かな理由を見出して本命を決定し、選ぶ」というプ ロセスを経て選択が行われるべきなのに、そうしなかったもんだから「西野を選 んだ」ことの重みが非常に軽くなってしまっていますと同趣旨(だと思 います)の批判を、ほぼ初めて見ました。よそでは滅多に見かけない、貴重な主 張です(見たことがあったのに忘れてしまってる可能性はありますが)。ドラゴ ンボールのたとえは少々格調に欠ける(※)…と言うかズッコケますが、それは さておき最大限の賛意を示したいと思います。略している部分もいちいち強くう なずける箇所が多く、本当はもっと多く引用したかったのですが、著作権法上の 引用の用件を(なるべく)みたすため、一部に留めました。(※「こんな パンツマンガに格調もへったくれもねえだ ろう!?正気か!?」というツッコミはごもっとも)

(西野派に対して少し補足すると、主人公が二人の女性について どちらを選ぶべきか考えて、そのうちの一人を選ぶ、ということが当然あると私 は思っていた。しかし実際には、そういうことはなかったについては、西 野派は「あった。東城がついに本気告白に至ったとき、真中は迷わず西野を選 び、東城を振った。ちゃんと選択したではないか」と反論したくなる所でしょ う。しかし、この主張の主旨はそういうことではなく、「東城へのハンデが解 消されないまま西野と後戻りが困難な状況にまでバランスが傾いた後」のよう な不公正な事情がない状態で、そうなると思っていたしそうなるべきだった、 と補って読むべきでしょう)

この論点をもう少し詳しく述べたのが第3の考察記事 【考察】「いちご1 00%」の終盤 作者の意図についての考察です。

しかし上の流れは納得しがたい。

第一に、真中が西野を選ぶという決断は、理性的、主体的なものではない。

真中が西野を選ぶという決断は、真中が東城のことと勉強のことでへこんで いる時に、西野に「好き」と言われ、「甘えてよ」と言われたことによるもの である。言わば、病理的、受動的な決断である。

(中略)

真中自ら「西野に会っちゃ/ダメ」と思うような「頭の中/ぐちゃぐちゃの 状態」であった。

そういう状態で決着をつけたのであるから、納得できないのである。

第二に、他の選択肢との比較が十分になされていない。

真中が西野を選んだということは、東城、北大路、向井などを選ばなかった ということである。ところが真中は西野を東城、北大路、向井などと十分に比 較した上で西野を選んだのではない。

それどころか、真中は東城が他の男を選んだと誤解してへこんでいる時に西 野を選んでいる。比較のために重大な欠陥がある状態で西野を選んでいるので ある。

(これも、西野派に釘を刺しておくと、正確に言えば西野に 「好き」と言われたのは真中が(中略)へこんでいる時 ではなくその前日なので、「西野を不当に貶めるな」と言いたくなるかもしれ ませんが、主張の主旨はその違いには左右されません)

これって本来は西野派にとっても極めて残念な展開のはずですよね。以前 これまで見てきたように、カップル成立・維持にあたって、結局「運とタイ ミング」に帰着する部分が支配的だった、ということは、要するに作者に 「正攻法では西野はとても東城に敵わないので、すごく卑怯な手を使って無理矢 理勝たせるしかありませんでした」と宣告されたも同然で、これは西野が おミソ扱いされた、ということに ほかなりません(そこに対して西野ファンは怒り狂わなくちゃいけないはずなん ですが、どうもそういう声はほとんど存在しないみたいだなあ…)と指 摘した通り。もし私が大の西野ファンだったら、自分が支持するキャラがそんな 侮辱的な扱いを受けたことにもの凄く失望すると思います。「西野はそんなこと をしてもらわなきゃいけないようなショボっちいキャラなんかじゃない、自身の 魅力と能力で、自身にふさわしい地位を手にできるキャラだったはずだ!その機 会をなぜ西野に与えず、その栄誉を手にする可能性を永久に奪い去るような真似 をしたのか!」と。

もっとも「西野派」と言ってもピンからキリまでいて、その大多数は 自分の好みにどストライクのとびっきりの美少女が、真中(=自 分を投影している対象)みたいな冴えない男子にぞっこん惚れ込んで、日暮のよ うなパーフェクトな男が側にいても目もくれず、こっちが適当なあしらい方をし ていても気にせず向こうからグイグイ迫ってくれて、自分が何の努力もしないの に、理由もなくひたすら自分を(=真中を)一途に好いてくれて、弁当作りーの 膝枕しーのヤキモチ妬きーのほっぺにチューの大胆なスキンシップや好意度満点 のセリフを惜しげもなくサービスしてくれる夢のような理想 の子に魅かれた男子読者なわけで、そういう単純な受容のしかたをして いる人にはそこまで要求するつもりはありません。

しかし、そこから踏み込んでこの作品の物語的な構造や、西野 が「エンド」を貰い受ける資格の有無西野が東城(をはじめとする 他のヒロイン)に比べて客観的に優れたキャラだったか否か、といった点 を論じるのであれば、上述のような誹りは免れないと思いま す。

「いちご100%」の終わり方に衝撃を受けて、インターネット上の他の人 の考えをあさってみると、その終わり方でいいという人が少なからずいて、さ らに衝撃を受けた。

近年の「ハーレムラブコメ」論議では、「いちご100%」の終わり方が理 想的であったかのように言う人を複数見た。

「いちご100%」の終わり方は理想的であったのか?

あさりたくなりますよね、それはもう。そして、衝撃を受けるのももっとも ですが、これは話としては単純で、上述のような西野の外形的魅力にノックアウ トされた西野派男性読者が、 夢のような理想の子がついに真中(=自分)と結ばれてくれるこ とを擬似体験できた、ということを以て「だからこのマンガは最高なんだ!」と ストレートに褒めちぎってる筆頭は西野派総本山たかすぃさん )というだけのことでしょう。これに対し、少数の西野派女性読者が賞賛する ()内的理由は20年近く 経っても未だに私は謎ですが、大多数の男性読者についてはそれで説明が つくと思います。

終盤の不合理さ

第2の考察記事はちょっと後回しにして、第3の考察記事 【考察】「いちご1 00%」の終盤 作者の意図についての考察の分析を続けます。ここでは、 私が色々と論じた(その1その 2その3その4その5)ような、辻褄の合わない展開 を批判しています。

まず、天地がおかしい。

(中略)

天地の行動としては理解できないが、作者が、真中が東城に直接話を聞く機 会を奪ったとすると、理解できる。

そもそも東城につきあっている男がいるかどうかということは、真中と東城 が二人で少し話せば容易に明らかになることである。

(中略)

このように、なくてもいいことによって、二人が話し合うことができなくなっ ているところは、作者がわざとそうしたと思われる。

(中略)

以上の美鈴の言動はおかしい。

(中略)

以下、推測。

(中略)

美鈴によって秘密にされたこともそのためであった。

(中略)

東城との話をすますまでは、西野と話すことができないということかもしれ ないが、そうだとしてももう少し西野が傷つかないようにすることはできたの ではないか?

こういった所はまったく同感で、私も 「とにかく内実なん かどうでもいいから、『真中と西野がくっついた』という形式を作ることが最優 先。西野側に有利な材料は、捏造でも何でもして整える」「一方、東城側に有利・ 西野側に不利な材料は、ストーリー上の自然さを犠牲にしてでも徹底的に摘み取 る」という作者側の魂胆が垣間見え、げんなりすることこの上ないです と書いた通りの点です。

しかし色々と気になるところはある。

(中略)

ところが東城はそのことについて十分に謝罪していないようである。真中に 対して「勝手なことして/怒ってたら/ごめんなさい…」と言うだけである。

(中略)

南戸が真中の受験前日に、真中の受験を失敗させるつもりで真中を責めてい るところはモヤモヤする。

(中略)

しかし南戸が責めていることに関しては、真中はそれほど悪くない。

(中略)

また南戸自身、真中が西野とつきあっていることを知っていながら、真中を 東城と二人きりにしたことは、「二股」のためにはたらいたということができ るのではないか?

(中略)

しかしまた「いちご100%」の終盤には、真中が西野を選んだ決断をはじ めとして、おかしいところが多い。

これらの指摘も、上のリンク先で書いた通り、まったくもってその通りだと 思います。

「分析」と言いつつ、ほぼ同意見の内容だったので、賛同の意を表明するだ けで終わってしまいました(笑)。

路線変更の原因・時期

続いて、第2の考察記事 【考察】「いちご100%」の結末は読者の人気によって決まったのか?を 見ていきましょう。

しかし「いちご100%」の結末は読者の人気によって決まったのであろうか?

そうではないと私は考える。

ここは私とは意見が分かれる所です。この部分から後では、「作者の言葉」 と「作品内容」の2点から考察が行われていますが、このうち「作者の言葉」に もとづく部分に対する私の論考は後に回し、先に「作品内容」にもとづく議論か ら追ってみます。

作品内容にもとづく議論

いつどこで話が変わったのか?

結末が確定したのは、真中が西野に2度目の告白をしたとき(JC17巻第145話) と思われる。

(中略)

「ラブ・サンクチュアリ」が話題として出てくるのは、JC16巻第139話からである。

第139話においてすでに結末は確定していたのではないか、と思われる。

(中略)

すでに言ったように、「ラブ・サンクチュアリ」が話題になった時には、結 末は確定していたと思われる。

145話説と139話説のふたつが並列していますが、いずれにせよその前後であ ることは間違いないでしょう。[2023, 5/11] 改めて読み返してみると、ここでは結末が確定 という言い回しは、どうも「ストーリー上で」確定した、という意味で使っていて、 「作者がその意図を」確定させた、という意味ではないようですね。そうだとす ると私とは見方が違っていて、私は、「作者が最終ヒロインを西野にすること を決めたのが」この前後だろう、という風に思っています。一方「ストーリー上 で」いつ確定したか、というのは、「ストーリー上の確定」とは何なのかを正確 に定義するのが難しく(少なくとも私にとっては)、私からするとはっきりいつ とは言い難い話、ということになります。

二人が勉強会をやったのは、真中がすでに西野に告白をした後のことであった。

その間に勉強会がなかったのは、登場人物の自然な行動ではなく、作者によ る介入ではないか?

真中と東城が近づく勉強会は、人為的に排除されたのではないか?

(中略)

塾に行くところにも不自然と思われるところがある。

(中略)

東城は真中に同じ大学に行きたいと言って、そのためにどうするかという話 までしていたのに、東城は一人で塾に通い始めて、そのことを真中に言わずに いたというのは、つながらないのではないか?

そこで東城が真中に「で/真中くんって/どこの大学/行きたいの?」と妙 によそよそしくなっているところも、前に「同じ大学に/行きたい」と言って いたことと、つながらないようである。

(中略)

そもそも二人の目標は映画を作ることであった。

その第一の目標に対して、同じ大学に行くということはそれほど重要なこと ではない。

(中略)

東城と真中を引き離すために、わざと問題が付け加えられているように見え る。

(中略)

学力によってクラスが分かれるという設定は、なくてもいい設定と思われる。

二人を引き離すために付け加えられたと思われるのである。

なるほど。これらの指摘は私には浮かばなかった発想(特に、東城がまた中 学のときのように勉強会を持ちかけてもよかったはずではないか、という指摘) ですが、確かにそういう見方もできますね。東城と真中を引き離すための人為的 な壁、という見立ては同意です。

なくてもいい設定という指摘はもっともですが、これらは おそらく河下先生としてはそんなに深い考えはなくて、単に引き延ばしのためだ けにやっていることなんだと思います。つまり、これらの時点ではまだ順当に 東城と真中が結ばれるつもりで描いていて、読者をやき もきさせて結末のカタルシスにつなげるため、また、あっさりくっついてしまわない ための壁としてこういった(ラブコメ系の作品でありがちな)要素を描いてい る…と見るのが自然だと思っています。

東城もいる場所で真中が向井と関係を深めると、それだけ真中と東城は遠ざ かることになる。

東城は真中と向井のデートをとりもったりもしている。(JC13巻第118~119話)

(中略)

東城の塾のクラスには、天地が入ってきて、東城に迫る。

(中略)

塾で二人のクラスが分かれることも、真中は向井に、東城は天地に心を動か すことも、いずれもなくてもいいことではないか?

なくてもいいことがわざと入れられて、真中と東城は遠ざかっているように 見える。

これらも同感です。これらは、テコ 入れをうまく生かせなかった、河下先生が(画力に反比例して)話作りが下手、 ということだと推測して います

「中間の第3期」の最後に、高3の合宿がある。

(中略)

ところが実際には、東城と真中が近づくことは少なく、遠ざかることが多く 描かれている。

(中略)

北大路はそのために、その前にした「友達宣言」を撤回する、というかっこ わるいことをしている。

そういうことは、北大路というキャラクターから自然に出て来たことではな く、人為的に付け加えられたことのように見える。

(中略)

ここでも、真中と東城は近づかず、真中と向井が近づくことになっている。

(中略)

逆に、真中の心が東城から遠ざかることは描かれている。

(中略)

ところが東城は、真中に近づこうとせず、突き放すだけのことになっている。

(中略)

ところが真中はそれ以上進もうとしない。

(中略)

東城も、もう一歩踏み出さなくてはならないはずであるが、それ以上進もう としていない。

これらはいずれも的確な分析だと思います。これらは、私から見ると「障害 を設けないとふたりがあっさりくっついてしまう」ために、それを避けるために やっていることに見え、 高3の合宿の展開からも、東城が本命であるという作者の意志が 揺らいでいるようには見えません。という見解になるのですが、そこは

その後で二人が結ばれるところを盛り上げるために、その前に二人が遠ざか るところを描いたと考えることができるであろうか?

そう考えることは難しい。

と見解が分かれていますね。理由は二人が 遠ざかるところが次々と描かれた結果、その後で二人が結ばれたとしても盛り上 がらないほどになっているとされています。

さらにこの時期の後でも真中と東城が結ばれると思っていた人 は多かったと思われるが、二人が結ばれるところが盛り上がると思っていた人は 多くなかったと思われるともされていますが、ここは根っからの東城派とし ては、大いなる贔屓を込めつつ「いやあ、そんなことは全然ないんじゃない?大 いに盛り上がると思うよ?」と言いたい点です。

このことに絡めてこの時期に東城の人気は低下したと思われると書か れていますが、この推測は私が知る限りは半分当たり、半分外れです。連載期間 の大半に渡って、私は他人の評価は全然気にしていなくてひたすら東城に心奪わ れていたのですが(笑)、終 盤になって話が急に西野に傾いたときになってようやく「何だこりゃ!?他 の読者はこの流れを一体どう思ってるの!?」と面食らって、初めてネット上で の動向を調べてみました。そしてわかったのは、(事前の漠然とした予想・期待 に反して)本作では西野が「一強」に近い断トツの人気キャラで、東 城は「常に北大路に足元を脅かされる二番人気のキャラで、圧倒的多数の西野派 の多くから激しく目の敵にされている」ということでした。

それ以降は連載終了後しばらくまでずっとウォッチしていたのですが、その 時の知識からほぼ断言できるのは、東城の人気は低下したの ではなく、少なくともネット上では連載のかなり初期から(相対的に)低 いままだった、ということです。というのは、web 上では西野のファンサ イトはたかすぃさんを始めと して多数見られた(さすがに現在はほとんど消滅している)一方、東城のは 東城綾ファンサイトがほぼ唯一の もの(まだ残っていたとは驚き…)でしたし、二次創作の絵・小説(こちらも、 現在ではほとんど消滅している)などの量も、西野が東城を圧倒しており、さ らに自主運営型人気投票サイトの得票数は言うに及ばず…という状況だったから です(私よりも早い段階から人気の動向を直接把握されていた方がご覧でしたら、 補足すべき点があったら(あるいは、「その通りであって補足すべき点はない」 旨を)教えて頂ければ幸いです)。

(余談)ですんで、 比較的最 近の人気投票で、北大路が1位だった(のを後から見つけた)のはかなり驚 きでした。連載当時やそれから結構長い間は、西野がまさか人気で北大路に遅れ を取るとは、よほど偏った場(具体例は思いつかない)でない限りとてもじゃな いですが考えられなかったので…。時代が変わって、北大路の方が受けるタイプ になったんですかねえ…?個人的にはこれは何か局所的・変則的な1回限りの結 果で、次回同様な企画があったらまた西野が安定して首位を独走するんじゃない か、という気がするんですが(と言うと北大路派に怒られそう)。

さて、一番重要な結論部分です。

「いちご100%」の結末は、読者の人気によってきまったのか?

「中間の第3期」が終わるところで、西野の人気は上がっていて、東城の人気 は下がっていたにちがいない。

しかし「中間の第3期」に東城の人気が下がったのは、作者によることであっ た。

「中間の第3期」には、東城の人気が上がる条件があった。

ところがそれと反対の方向のことばかり描かれた。

東城の人気を上げようとしてうまくいかない可能性はあったかもしれないが、 実際にはそれと反対のことばかり描かれていたのである。

「中間の第3期」にあのように東城を下げておいて、その後に東城を上げるつ もりであったとは考え難い。

ということで、「読者人気によるものではなく、作者自身の意図によるもの である」という趣旨の結論になっています。

これについては、個人的にはこう思っています。

[2023, 5/24]追記 この話は今まであんまりま とまった形になってなかったので、改 めて整理した節を別ページにひとつ追加しました

この見解を補強する材料としては、前述の「西野派からの東城への激しいバッ シング」を含む西野人気もあります。西野派は、数で圧倒するばかりでなく熱狂 的ファンも目につき、(おそらくそれとの相乗効果もあって)より行動が組織化 された集団です。当然、ファンレターなどを通じて編集部・作者のもとにも、西 野と真中が結ばれる結末を熱望し、また東城をあげつらいその排斥を強硬に要求 する過激な声が大量に届いていたことでしょう。「熱狂的」が昂じて「狂信的」 に至る者までおり、匿名掲示板上の発言でどこまで本気なのかはまったく不明と は言え、もし自分たちの意向に沿わぬ展開・結末になった場合編集部サイドへの (何らかの)実力行使も辞さぬ考えが仄めかされたことすらありました。おそら く、この作品が連載を続けられたのは、西野の人気に負う所が大きく、西野がい なかったら途中で打ち切りになっていたと思います。週刊少年ジャンプという、 アンケートを非常に重視する雑誌の性格を考えると、編集部サイドとしては西野 とくっつく結末で西野派読者の支持を固めることを強く欲していた… というこ とはありうる話だと考えています(西野派の圧倒的多さ、ということで言えば、 担当編集者すら内心では絶対的西野派だった、としても、私は驚きません。「あ あ、やっぱりね」と思うだけです)。

それと反対の方向のことばかり描かれたというのは、単純 に「河下先生のストーリー構築能力の低さのせいで、結果的にそうなってしまっ ただけじゃないかなあ」というのが(願望を込めた)正直な思いです。つまり、 「中間の第3期」にあのように東城を下げたように見えるのは、 「下げる意図があった」のではなく「話作りが下手っぴなせいで意味もなくただ 不遇に扱う形になってしまった」ということなんだと思います(そしてその頃は 東城派はおおよそ固定ファンだけだったと思うので、元々西野に比べて相対的に 低かった人気は低いままで、上がることもなかったがそれ以上下がることもなかっ ただろう…と推測します)。

私は東城派でも西野派でもないと仰る方からすると、客観 的にはそうは思ってもらえないかもしれません。ただ、少なくとも「河下先生の ストーリー構築能力の低さ」だけは願望ではなく客観的な評価だと思っています。 他作品(「りりむキッス」「初恋限定。」「あねどきっ」など)も併せて読めば 誰しもそう思うだろう、という点は自信を持って断言できます。何と言うかこお、 「折り紙付きの拙さ」とでも言うか…(笑)。

[2023, 5/9] 追記 先ほどの件について、もう 一点触れておきます。元の文を再度読み返すと

「中間の第3期」が終わるところで、西野の人気は上がっていて、東城の人気 は下がっていたにちがいない。

しかし「中間の第3期」に東城の人気が下がったのは、作者によることであっ た。

「中間の第3期」には、東城の人気が上がる条件があった。

となっていて、「東城(西野)が優遇されるエピソー ドの有無・量」がそのまま「東城(西野)人気の高低」に反映するということが 所与の前提になっています。しかし、前者が後者に直結するかどうかは実際は作 品次第で、本作は直結しない作品に該当すると思います。本作はほとんどの読者 が「(主に)肩入れするキャラ」が自ずと決まっていく作りになっていて、 肩入れしていないキャラが優遇されるエピソードが投入されたからと言って、そ のキャラの人気が上がる、という単純な関係にはないはずです。

例えば私の話をすると、9巻から14巻まではずっと巻末が西野エピソードばか りでしたが、だからと言って西野に魅かれるかと言ったら全然そんなことはなく て、道端の石ころと同程度に無関心 でしかないキャラのおかげで東城が割を食って、気持ちよく読み終えられな いことがいつまでも続いてうんざりするばかりでした。却って逆効果なのです。

同様に、中間の第3期に仮に東城をもっと優遇していたと しても、東城派はもちろん歓迎だったでしょうが、一方絶対多数を占める西野派 読者からは専ら反発を買うばかりで東城派に鞍替えする人はほとんど出ず、キャ ラ人気はほとんど変動せずただ作品人気(アンケートに反映する部分)が下がる だけだっただろうと思います。(読み始めがたまたまその頃だった新規読者の動 向には影響があってもおかしくはないですが、その人数は全体の人数からすると かなり小さな割合に留まり、大勢は変わらないでしょう)

こういったことからも、「中間の第3期に、作者が東城の 人気を意図的に下げたのだろう」という推測、およびそれを論拠とする結論には 私は乗れません。

作者の言葉にもとづく議論

[2023, 5/11] 続いて、先ほど後回しにした 「作者の言葉」に基づく議論に戻りましょう。

・「どんどん事態が変わっていって」「それぞれがそれぞれに成長していき」 「その結果ああいう結末になったんだと思います」―これによると、登場人物 の成長によって、初めに考えられていたのと違う結末になったようである。

(中略)

結末は作者が考えて選んだというのである。

(中略)

作者の言葉によると、結末が変わったのは、登場人物の成長によることであ り、作者の選んだことであって、読者の人気によることではない。

上述の通り、西野派読者からの声・ 要望を重視した担当編集者ないし編集部、もしくはその両方による厳命で、作者 の意思に反して西野を最終ヒロインとさせられた可能性が高いというのが私 の考えです。引用部分後者の、19巻折り返しの作者コメントで言っている作者に よる選択というのは、「強要されたのはあくまで『最終ヒロインを西野にする』 という大枠・大筋だけで、それ以上細かいことまで指図を受けたわけではなかっ たので、『その大枠の範囲内で』登場人物の行動・往く道を選んだ」 ということなのでしょう。つまり「結末が変わったこと」が作者の(自発的な) 選択によるものだと述べているわけではないコメントだと思います。

前者の、19巻おまけパートのコメントについては、まずどんど ん事態が変わっていってというのは、「西野の人気が過熱して西野をどんど ん優遇せざるを得ない状況になっていった」ということを言っているのだと思い ます。問題は次のそれぞれがそれぞれに成長していきの部分 ですが、ここは具体性がほぼ皆無で、「誰の」「どんな」成長が「どのように」 影響したのかまったくわかりません。どうとでも取れるような曖昧極まる表現で いかにも不自然です。なので額面通りに受け取っていいかは疑問です。真相が 「本当は順当に真中と東城が結ばれる結末にしたかったが、西野派読者の声・要 望が余りに強かったので、仕方なくこういう結末にした」というものだった場合、 正直にぶっちゃけてしまうと西野派読者にとっては興醒めになってしまい、彼ら の支持を失うことになるでしょう。それだとわざわざ意に反してまで彼らに迎合 した意味がなくなってしまうので、そこら辺はボカして無難で曖昧な表現で誤魔 化しているだけなんだと思います。実際、可能性としては、河下先生はもうちょっ と正直に書いてしまっていた所、担当編集者が「それじゃ身も蓋もなさすぎる。 西野派読者がガックリ来てしまってぶち壊しだから詳細は伏せろ」と書き直させ た、ということもありうるだろうと思っています。(余談ですが、もうちょっと 後の (いやいや、2人の未来も幸せです!)も、何だかいかにもつけ足 し臭く、当初の河下先生の文にはなかったのを、西野派読者への配慮から担当編 集者が指示して入れさせたフォローなんじゃないでしょうか)

もし、本当に「作者の中での登場人物の様々な変化(「成長」)の結果とし て、結末の変更は作者が自発的に行った」のだとしたら、それぞ れがそれぞれに成長していきの部分はもっと具体的な書き方になるのが自然 ではないでしょうか。それが真相だったのなら、事情を明かしてしまっても別に 何も問題はないわけですし。

番外

以下、落ち穂拾い的な補足です。

第2の考察記事【考察】 「いちご100%」の結末は読者の人気によって決まったのか?について

真中は、東城、北大路のいる映研を早く切り上げて、西野に会いに行っている。 (JC8巻第65話)

その後の展開を見ると、直接の目的は館長への手土産にケーキを買うことで あって、そこにいた西野に会ったのはたまたまだったようにも見えます(もちろ ん、真中が「西野がいる可能性が高い」と思って(あるいは事前に西野にバイト のシフトを聞いていて)西野と会うこと「も」目的に含まれていた可能性はあ る)。

肝試しの前の夜に、東城は肝試しで真中に告白することをきめていた。

「告白…か…」と内語しているだけなので、きめていたわ けではないと思います。西野に言われて意識していた…ということだと思われま す。

東城は、その天地に心を動かしたりしている。(JC13巻第108~110話、113話)

東城が真中に心を動かすと、それだけ真中から遠ざかることになる。

東城が真中に心を動かすとは、「天地に」の書き間違い? (私が何か読み間違いをしている?)

第3の考察記事【考察】 「いちご100%」の終盤 作者の意図についての考察について

西野は真中のそういう表情を見て、帰って行った。(第151話)

正確には、帰って行ったのは152話。

東城は家庭教師に来て「あとちょっとで/二人きりの時間も/終わりね…」と独 白しているように、その家庭教師の仕事を最後の「二人きりの時間」と考えてい たようである。

ここでの東城の独白は、時計にちょっと目をやってからのものなので、「あ とちょっとで唯が来るから、今日の二人きりの時間も終わり」と思っている だけ、という解釈が自然に思えます。最後の二人き りの時間、のような特別な意味合いは篭っていないのではないでしょうか。


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井汲 景太 <ikumikeita@jcom.home.ne.jp.NOSPAM.>(迷惑メールお断り)
最終更新日: 2024年04月18日