1. I''s
  2. イエスタデイをうたって

I''s

元々読んだことはなかったのですが、このコーナーを作り始めた頃、あちこ ち見回ってみたところ何かと比較されることの多いマンガだったので、自分の目 で内容を確かめるために、機会があったら抑えておこう…とはずっと思っていま した。古本屋で全巻見かける機会があったらその時買おうかと思っていたのです が、全巻揃っている場面に行き当たる機会がなかなかなく、結局数年後に一気に (やむなく)新刊で買い揃えました。

全体的な感想としては、(当然ながら)似ているところもあり、そうでない 所もあり…という感じでしたね。「どちらが上か?」と聞かれたら、まあ終盤に あんなひどい破綻をしていない I''s の方が出来は当然上でしょうか…(笑)。 話作りの腕前の方も、さすがに河下先生に比べればずっとまともでしたしね。た だ個人的関心の深さとしては逆になってしまうわけですが。

もっと色々細かい点を比較しようと思えばできますが、そこには余り興味が ないので割愛します。それよりも、私の関心を引いたのは次の点でした。当初伊 織の対抗馬役として出ていたいつきですが、彼女は一度アメリカに戻った後は、 一度も日本に帰国せずに最後まで話が進むんですね。実体としての再登場が一切 なく、回想やビデオなどの映像としてしか出てこない。ここは結構潔い思い切り 方だと感心しました。これは、「一貴の『相手』になりうる可能性を、作者が意 図的に注意深く排除している」ようにも見えるので、いつきこそが作者にとって 大切にしたいと思っている、思い入れのあるキャラのようにも見えますね。泉が 使い勝手のいいひっかき回し役として割と安直に作者に「再利用」される気の毒 なキャラであることと比べてみると、いつきは「この娘を『読者をやきもきさせ るためのダシ』として使うのはやめよう」という作者なりの誠意・潔さが込めら れたキャラなのではないかと感じられます。この感じは、いつきが一貴にはっき り好意を抱いていながらも、一貴の想いを尊重してむしろ伊織との仲を取り持と うとする所からも補強されます。

このようにいつきは一度身を引いた後は「晩節を汚す」ようなことをせず (させられず)、有終の美を飾ったと言えるのですが、これは西野とは余りに鮮 やかな対比を成しているキャラですね。西野は一度身を引いたにもかかわらず、 再登場してノコノコとしゃしゃり出てきて 『読者をやきもきさせる』ための材料として いいように消費され尽くしたキャラで、泉と同様な(と言うか、それをもっ と極端に誇張したような)非常に残念なキャラとして終わってしまっています。 せっかく西野も高1のクリスマスで有終の美を飾れるところだったのですから、 西野派の方々はいつきの描き方をこそ理想として見習わないといけない んじゃないでしょうか?自分が好きで応援するキャラが、そんな 形でストーリー上の都合に安直に迎合して(させられて)、読者をやきもきさせ るダシとしていいように利用し尽くされる、なんてことは、本来 だったら最も恥としなければいけないことのはずですから。

※ ちなみに、いつきが「個人的に好きなキャラ」かと言 うと別にそういうことはありません。いつきファンの方すみません…。と言って、 他に積極的に好きなキャラがこのマンガにいるかと言ったら特にいないのですが。 一応、消去法的には伊織、ということになるんですかねえ…。ただこの自信のな さにも表れているように、ランキングを決めること自体にほとんど意味がない事 態ではあります。

イエスタデイをうたって

絵柄は5〜7巻くらいが一番好きですね…(誰も聞いてないよ)。えーと、 登場人物の中でいちばんダメな人はメインヒロインの子さんで(笑)、単にこ の作品について語るならその話がメインになりますが、いちごとの比較というこ とになるとその話は特に出番はありません。ここで取り上げるのは別の話題です。

もともと、チラッとしか読んだことのなかったマンガだったのですが、以前、 西野というキャラを恋愛マンガ界隈での「希少性」があるよくできたキャラだ、 という類の持ち上げ方をする西野派の方がいたので、「それ程のものか?そのセ ンで行ったら確かこっちの方がよっぽどよくできていたような…」と記憶を掘り 起こして確認のために揃えてみた作品です。と言ってもそれ「だけ」で買ったわ けでもなく、それ以前から多少の興味は持っていたので、買ってみるのにちょう どいい機会でもあったのですが。

掲載頻度が低く進行が非常に遅い話でしたが、その行く末を見定めるためずっ と買い続けていたところ、しばらく前にやっと完結して最終巻が出たので、「結 局西野と比べてどうだったか」という観点からまとめてみたいと思います。

正々堂々の清々しさ

ハル(野中晴)はリクオ(魚住陸生)のことが好きで、一方リクオは以前か らずっと森ノ目子のことが好きで、告白もしているのですが、子は亡くなっ た幼なじみのことが忘れられずにリクオとは友達でいたい…と受け流している。 そして、ハルが中退した高校で子はハルの担任だった、というのが基本的な人 間関係です。ストーリーの初期、ハルは子の帰りを待ち構えて、以下のような 話を持ちかけます。「先生 / あたしと勝負しない?」「先生はリクオのこと何 とも思ってないかも知んないけど / アイツほっといたら一生諦められないかも しんない / 先生が側にいる限りね…」(1巻 p.175, p.185)ハルに好意的な 子は「魚住くんとは友達以上進展することは無いよ… だから安心して」(1巻 p.186)とかわすのですが、ハルは子がいる限りリクオにとって自分は眼中に なく、今のままではリクオの「妥協」以外に自分の方を振り向いてもらえる見込 みはない、と思って次のように宣言します。「あたしやっぱり先生に宣戦布告す る / 一方的でもコソコソすんのヤだからよろしくね」(1巻 p.195)正々堂々 とした宣戦布告で、気持ちのいい場面です。その後も、「へへへ……言いたい事 全部言ったから / なんかスッキリしちゃった」「あたしが学校中退(やめ)た の先生のせいじゃないからね」と、ハルはあくまで真っ直ぐなキャラで、さらに 読者の好感度は高まります。

元の話で西野の魅力とされていたのは「主人公と本命ヒロインの関係を知り も(知らされも)しない道化的な役回りでもないし、主人公と本命ヒロインの好 感度を上げるダシとして利用されるだけの安いカタキ役でもない」(典型例はそ れぞれ「オレンジ☆ロード」のひかると「めぞん一刻」の八神)というポイント だったのですが、ハルは非常に高いレベルでこれを達成しているキャラです。

西野派の方は「西野だって泉坂高校を辞退して桜海学園を選ぶことを告げた 時の態度はハルに負けないくらいそのポイントをクリアしているよ!」とお感じ になるかもしれません。また、ハルも、終盤になって何だかんだで子が(一応) リクオを受け入れたことを知って諦められずにいたときにこの「宣戦布告」を思 い出して「そうだよ / 終わってる / 終わってるよ / あのとき言った勝負はも うついたんだって / あたしは負けたんだってば / 敗者は黙って去るのみなのに / あたしって超カッコ悪いっ!」(10巻 p.59〜60)とその見苦しさを今さらの ように自覚している通り、結局それほど気高いキャラでもない、という指摘も可 能でしょう。ただ、西野の方は、そうやって正々堂々と挑んだはずの勝負も、余 りちゃんとしたエピソードが割かれず、肝心の真中も暖簾に腕押し状態のまま結 局思うように成果が挙がらず自分から嫌気が差して真中を見限ったわ けですから、ここで言っている「魅力」というのもその時点で途切れてしまっ ていますね。そして結局肝心の場面では「正々堂々」どころかノーブラ騒 動に端を発する呆れるほど強引な成り行きでかっぱらってもらった真中を、都合 よく労せずして献上してもらっているだけの出来レースに乗っているだけですか ら論外です。

「半周遅れのランナー」の自覚

ハルは子に対する「半周遅れのランナー」だと自覚していますが、そのこ とに悩みながらも、子に当たったりリクオを恨んだりせず、多少愚痴を垂れた りする程度で真っ直ぐにリクオのことを想い続けます。

西野のことを「真中の本命は東城であると知りながらも、それを責めたりし ないで好意を示すところが健気」と西野派の方が評価することがありますが、そ れも別に「例を見ない」とか「画期的」などと評するほどのものではない、とい うことは改めて確認しておきます。また、さらに釘を刺しておきますが、西野に ついてそういう点を評価するにしても「最初の別れまで」と「再登場以降」では 評価できる水準が段違いです(もちろん後者の方が下)。後者は 「正式な彼女のはずなのにそんなひどい扱いを受け、 自分から愛想が尽きて見放したにも関わらず、はっきりした理由もないまま再び 真中に謎の絶対的好意を執拗に抱き続ける」という意味不明で支離滅裂な茶番劇 の結果です。それにも関わらず西野を「健気」であるキャラとして成立させ ようとしたら、本来は非常に手間のかかる描写を積み上げる必要があるわけで、 再登場後の西野の健気さというのはそういう困難な作業を手抜きされて結果 だけ出現しているインチキな紛い物です。最初の別れまではともかく、再 登場以降の西野をそのような「本来の困難さをクリアしていないイミテーション の健気さ」にかこつけて誉めそやすというのは単なるおべっかに過ぎず、西野派 の方々はそうやって再登場後の西野にまでへつらう己を恥じなければいけないん ではないでしょうかね。

西野派の方は「それを言ったらハルだって『リクオのことがそんなに好きな はっきりした理由』なんかないのにいつまでもすごくリクオに執着してるじゃな いか、ハルの方が西野より大きく優れているキャラだなんてことはないよ」と主 張されるかもしれません。

実際、ハルがリクオのことを好きな理由がいかに些細で、はっきりした説明 がつかないものか、ということは、作中でハル自身が繰り返し述べています。

この点については西野とハルの大きな違いが2つあります。まず1つは、 (何度でも繰り返しますが)ハルは西野と違って 「真中の方から告白してきたから付き合った のに、ちっとも自分に興味を持ってくれるように見えず、せっかく話しかけても 上の空ばかり。そればかりか他にもっと好きな娘がいて、正式な彼女である自分 を蔑ろにしてその娘のことばっかり見たり考えたりしている」なんて失礼千万な 酷い扱いを受けて幻滅し、「もうこいつとはやって行けない」と「自分から」見 放したなんて経緯がなく、リクオのことを「ずっと」好きでい「続け」た、 という点です。「人を好きになるのに理由はいらない。事故や錯覚みたいなもの だけど、忘れられない」で正当化できるのはそういう一貫性・整合性がちゃんと ある場合だけですよ。一度関心を失ってしまった再登場後の西野 がいくら「好きになるのに理由はいらない」なんていう口実で体裁を取り繕おう としても、そんな何の根拠もない安易で杜撰な言い逃れは一 切通用しません。

そしてもう1つは、ハルがリクオを想う内面をちゃんと読者に見せ続けてく れたことですね。「半周遅れの ランナーの自覚」の所で引用した部分に加えて、以下のような部分もありま す。

なぜリクオのことが好きなのか、はっきりした理由がなくても、見込みが薄 くても、それでもリクオを一途に想い続けるその内面を、手を抜かずにきちんと 描くことで、「ああ、そんなに恋しく想っているんだなあ、健気だなあ」という 読者に対する説得力が生まれます。一方、西野にはそれがなかった。 「なぜ」好きなのか、だけでなく、「ど のように」好きなのかもまったく不明だった、というのは致命的 です。そうやって何の裏付けもないまま性懲りもなく「いろんなことがあっ たけどずっとずっとキミのことが好き」だの「どうしようもないくらい淳平くん のことが…」だのと口先限りの二束三文の白々しい御託をい けしゃあしゃあと繰り返そうが、そんなものは芸を仕込まれた動物がそ の芸を披露しているのとどこも変わらない。その行動の意味も考 えぬまま、自分以外の誰かの思惑と都合に一から十まで言いなりになって、訓練 通りの振る舞いをしてみせるだけ、という点で、再登場後の西野は動物同然の描 き方をされています。「猿芝居」というのはまさにこのような状況を言い表すた めに用意されたような単語ですね。西野派の方が本当に西野のことを 好きだと言うならば、西野が再登場してからはこんなにも薄らみっとも ない侮辱的な扱いを受けていることに憤慨し、「西野の真中への好意」 なんてものは断固否定する、というのが本当にすべきことで す。………で、再登場後の西野描写がこんな風になってしまったのは、おそらく 終盤突入まで作者は西野と真中をくっつけるなんていう考えがまるでなく、「西 野の真中に対する想いの切実さ」を持たせる必要性をまったく感じてなかったか らなんでしょうね。それで、西野の真中への想い関連についてはかくも全面的に 間に合わせのやっつけ仕事で終わってしまっているんだと思います。

物語に対する誠実さ

そういったわけで、ハルというキャラは西野に対するアンチテーゼとして高 く評価し、また高評価を保ったまま締めくくりを迎えることを非常に期待しても いたのですが、残念なことに最終巻でかなり評価を落としてしまった所もありま す。

最終的にハルの想いは報われるのですが、その過程の主要部でハル自身の決 断や行動はほとんど寄与することなく、向き合いたくない現実から逃げ出して自 分を無条件に受け入れてくれる幼い頃の思い出の地に逃避して思考の迷宮を堂々 巡りしている間に、都合のいい成り行きが勝手に重なってくれたおかげで棚ぼた 的にリクオが手中に転がり込んでくれた、という部分が多分にあって、そこは西 野と大差ないと言わざるを得ない水準にまで転落してしまったキャラでした。そ れまでの「貯金」で遥かに水を開けていたおかげで、トータルでは西野よりはずっ と上等なキャラで終わったことは間違いないですが、それでもその大差をかなり 食いつぶしてしまったことはもったいなくて残念に思います。

ただ、その株を落としたラスト付近の展開の中でも、「腐っても鯛」的に西 野に対する優位性が明確に見られる点がひとつあったので、そこは紹介しておこ うと思います。最終巻、ラスト近くで、ハルに好意を寄せる雨宮が東京から愛知 までハルを追って来て、すれ違いの末に駅でハルに追いつき、掴まえます。その 直前に、彼の幼なじみで彼に好意をはっきりと寄せるみもりからの急を告げる電 話を雨宮は受けており、雨宮がハルに「電車で途中まで一緒に帰って、そこから 一旦自分はみもりの所(長野)へ、ハルは東京へ向かう」という提案をした場面 でハルは次のように告げます。

「行かないで / と言ったらどうしますか? / わたしと一緒に戻るなら みもり さんのところへは行かないでください」「雨宮さん…さっき 言ってくれましたよ ね / 傍にいられるのなら 相手が他の人を好きでも希望を持っていられるって… / それはわたしにも……みもりさんにも言える事だから… / だからわかるんで す / そう思っていても 結局ツライって / それでもやっぱり傍にいたいと思って しまうんです / そういうの思い切るためにここまで来たのに結局 帰ろうとして る / きっともう自分じゃどうしようもないんです / 情けないです / どうにか したいですよ / 雨宮さんについていけば断ち切れるかもしれないけど / でも… このままじゃ自信が無いんです / 雨宮さんに選び続けられる自信が… / 自信を ください そうしたら…わたしも断ち切れると思うんです / 比べられるものじゃ ないっていうのはわかってます / でも わたしの為に選んでください / 雨宮さ んにとって一番大切なのは誰ですか?」(11巻 p.226〜229)

これは、ハルが雨宮に縋っているわけではなく、「雨宮が最終的に選ぶのは みもりの方」ということをハルはほぼ確信しています。実際、雨宮がその決断を 口にしたとき、ハルは穏やかな表情で雨宮の顔をしっかり見つめながら「わたし もそう思います」と答えています。

さて、ハルはこうやってリクオから見てライバルに当たる男に「自分を選ぶ かどうか」の決断をちゃんと迫るというアクションを起こしました。では、西野 はどうだったでしょうか?真中から見てライバルに当たる男と言うと、相当する のは日暮ということになるでしょうが、日暮に対して同様の行動をとったでしょ うか?もちろん、西野は日暮に対してなーんにもアクションなんか起こして やいません。日暮が一度は西野に対して本腰を入れるか、と考える場面が あったにも関わらず、それを受けるエピソードというのはまったく描かれずにう やむやになり、西野は日暮周りに関しては、相手にしっかり向き合って何か決断 したり相手の意思を確認したりといった類の事柄に何ひとつ煩わされずに済んで います。ああそうですか、西野さん。貴女ひとりだけそうやって背負うべき重荷 をチャラにしてもらえるんですか。そうやってひとりだけ特別扱いされてお手軽 なシチュエーションにありつけるんですか。いやあ、本当にご立派でご大層なご 身分でいらっしゃいますことで。でも西野派はそんな所を見向きもせずに、阿諛 追従するばかりで免罪してくれる(と言うか、最初から罪に問う意識がまったく ない)んですから楽なもんですよね。ケッ!

これまで、西野というキャラの 物語上の不誠実さについてはさんざん糾弾してきましたが、これもやはりそ の一環になっています。この一点を取るだけでも、西野がいかにハルと比べて劣っ たキャラか、ということがまざまざと見てとれますね。

「ほんとに西野嫌いなんですね…」
以前も書いた通り、『嫌い』という のとはちょっと違います(そもそも嫌うに値するほどの内面すら、 西野には備わっていない)。『嫌い』なのではなくて、『西野派が西 野を不当に高く称賛しようとしているのでそれを検証するためにいちごを読み返 すと、改めて西野というキャラの猛烈な『チャチさ・足りてなさ』をまざまざと 感じることになって、怒りが燃え上がることになる』といった感じの話なのです。 その怒りに任せて、何の手加減もなしに西野に対する厳しいことを書き連ねてい くと、結果としてこういう文章になるわけで、そういう所は『西野派に反論する という文脈あってのもの』だと思ってください」

※ちなみに、「イエスタデイをうたって」で一番好きなキャラが ハルかと言うと、やはりそういうわけではありません(ハルファンの方すみませ ん…)。どちらかと言うと子派かな…と言うか、これは「リクオの想いが最後 には子に届く話」だと思って読んでいた(ので子はさっさと軟化すればいい のに、と思っていた)、というのが近いですね。なので中盤以降なかなか2人の 仲が進展しなかった(そしてハルも、完全に脱落したかと思われるのになぜか出 番だけはずっと続く)のは不可解だったし、最後の展開にはかなり驚かされまし た。


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井汲 景太 <ikumikeita@jcom.home.ne.jp.NOSPAM.>(迷惑メールお断り)
最終更新日: 2017年7月6日