先日、西崎・松本間の裁判が、両者が訴えを取り下げて一応の解決に至り ました。これ自体はめでたいことで、報道されている合意内容も妥当なものだ と思います。
しかし、両者が「ヤマト」の新作を断念していない、というのは非常に残 念なことです。
別ページでも述べたとおり、もはや「ヤマ ト」の作品としての寿命はとうに尽きており、歴史的使命は終わっています。 シリーズ途中での余りにも無惨な没落の原因は詰まる所それなのに、またも続 編を作るというのは、過去の失敗から何も学ばない暴挙です。あのあまりにも 偉大な艦(ふね)が、あさはかな思慮に踏みにじられてこれ以上汚されるのは もう見たくありません(涙)。
それとあと一つ、今さらヤマトの新作を作っても、それはアニメ界の現状 の改善に、何一つ寄与しません。「出資者」が「金蔓」の単なる同義語で、制 作にゴーサインを出すかどうかの決定権をほぼ一方的に握られて、「失敗しな いこと」が最優先され、ごく一部の例外を除けば、「原作もの」や「リメイク もの」などの「かつてあったものをなぞった模造品」しか作られなくなったの が今のアニメ界の現状です。
そこには「語るべき作品」の作り手もいなければ、「味わうべき作品」の受 け手もおらず、ただ単に金銭の授受に終始する「商品」を介した希薄でうすら 寒い関係が漂っているに過ぎません。
今「ヤマトの新作を作る」という行為は、こういった現状認識や問題意識な しに、原作・リメイクの蔓延に荷担する、見下げ果てた行為です。ちょっとで もまともにものを考えることのできる人なら、そのことが身をすくみ上がらせ るほど恥ずかしい行為だと解らなくてはいけないはずなのに…。
「これで『ヤマト』の新作が作られる!」と短絡的に喜んでいる「ファン」 の姿を見るにつけ、私は絶望的な思いに苛まれます。
※文中敬称略