ガロア理論の学習に至るまで

\(\newcommand{\field}[1]{\mathbb{#1}}
\newcommand{\Q}{\field{Q}}\)
「5 次(以上の)方程式には解の公式がない」という話を初めて読んだのは、小学校の図書室の本でだったか。当時は当然ながら 2 次方程式の解の公式はおろか \(\sqrt{~~}\) 記号すら知らなかった(それどころか「方程式」とは何なのか、を理解していたかどうかすら怪しい)が、他に取り上げられていた数学の話題と並んで、このことは印象に残っていた。

成長するに従い「方程式」がどんなものなのかを知り、2 次方程式の解の公式、そしてその導出、と理解が進んで行く中で、「5 次方程式に解の公式がない、ということのちゃんとした証明は知りたいものだなあ」という気持ちはずっと持っていた。「その前に、とりあえず 3 次、4 次の方程式の解の公式(と言うか、解法。「公式」そのものは、まともに書くと複雑すぎて手に負えないという話だったので)をちゃんと知りたい」とも思っていた私が、高校に入って最初にやったことの一つは、図書室に行って 3 次、4 次方程式の解法が載っている本を探すことだった。

今から思えば高校の図書室に都合よくそんな本が見つかる可能性はかなり低いはずだが、運よく大して苦労もしないうちに期待通りの本に出会えた。題名は覚えていないが、著者は忘れもしない、家にも何冊か文庫本があった矢野健太郎さんその人であった。喜んだ私はその本の該当部分をじっと読み、確かにその手順でどんな3 次・4 次方程式も解けることが理解でき、その手順も 2〜3 日で覚えてしまった(ちょっと記憶が曖昧なので、ひょっとしたら出会ったその日のうちに覚える所まで行ってしまっていたかもしれない)。もちろん、その解法は今でもちゃんと覚えていて再現できる。

さて、こうなると目標はいよいよ 5 次方程式(の解の公式がなぜ存在しないのか)だが、通俗本から仕入れた知識ではこれはかなりの難物で、大学レベルの数学が必要という話だったので、かなり長い間手は着けずにいた。知っていたのは「それにまつわる理論は『ガロア理論』と呼ばれる」「『群』や『体』といった数学的概念が主役となる」「『解の置換』に関する深い洞察を通じて解明される」といったことだった(※ 上の記述は、正確な歴史的経緯とは異なるかもしれない。「一般の 5 次方程式を、係数に有限回の加減乗除と累乗根を施すだけで解くことはできない」ということを最初に証明したのはアーベルで、ガロア理論の登場はそのやや後のことなので)。

いよいよこの問題に挑んでみようという気が起きたのは 10 年程前のことだった。職場は私にはちょうどいい難易度の数学を扱うことが中心の、ある意味夢のような場所で、蔵書も結構いいものが揃っていて自習にも向いていそうだった。とは言うものの、最初に見つけた本は大学の数学科生(あるいはもうちょっと上?)向けに書かれた本でかなり難しく、読み通してちゃんと理解するのは相当にハードそうだった。もうちょっと読みやすそうな本はないかと蔵書を探って発掘できた本が

志賀浩二 数学が育っていく物語 第5週「方程式 解ける鎖、解けない鎖」(岩波書店、1994)

だった(以下志賀本)。

志賀本によれば、現在ではガロア理論というものは大元のガロアが作った形から大きく形を変えて発展し、方程式論というのはそのいち応用に過ぎないという形で扱われるのが普通であって、5 次方程式に関わることを理解することを目標とするならば、ガロア理論の学習には数学的に高度な準備が多すぎて非常に難しくなっているということだった。

そこで志賀本はガロア理論によらない、クロネッカーによる「5 次方程式が解の公式を持たないことの直接証明」を紹介していた。これは私にはちょうど手頃そうな難易度に見えた。それを、細部の些細な点の確認は後で行うことにして本筋を追ってみると………確かに証明されたように見えた!これで、私の関心の中心は解決されたようなので、「ガロア理論」の学習はまあちょっと後回しにしてもいいかな、という気持ちになった(志賀本は、ガロア理論については入り口付近をちょっと紹介する程度しか触れていないので)。

………が。後回しにしていた「些細な点」を詳しく検討してみると、以下に見るように、どうも際どく証明し切れていないように見える!(これは元々のクロネッカーの論文の不備なのか、志賀さんによる紹介の仕方に問題があるのかまでは調べていない。あるいは、私の理解が不十分なだけで、別に問題はないのかもしれない)

志賀本での流れは次のようになっている。
アーベルの補助定理(p.83)→定理I(p.85)→クロネッカーの定理(pp.89–96)→5 次方程式の不可解性(p.96)
ここでは、私が不備だと考えている点の詳細について述べる。志賀本をお持ちでない方、参照可能でない方にはほとんど内容がわからない話になってしまうことはご容赦いただきたい。

\begin{equation}
\text{pp.89–90 で、次のことが証明されている。}
\label{eq:1}
\end{equation}

\(p\) を素数とし、\(p\) 次方程式 \(f(x)=0\) は \(\Q\) 上で既約とする。\(\Q\) に次々にべき根を添加して、体 \(K\) に達したときはまだ  \(f(x)\) は既約なままで、さらにべき根 \(\sqrt[l]{A}\)(\(l\) は素数で \(A \in K\))を添加して体 \(K(\sqrt[l]{A})\) になったとき、初めて  \(f(x)\) が可約になったとする。このとき、\(l=p\) である。

この証明の過程でポイントとなるのは、

体 \(K\) 上では \(x^{l}-A=0\) は既約な方程式である

ということで、それはアーベルの補助定理によるとされている。p.83 で述べられているアーベルの補助定理は次のような定理だ。

『\(p\) を素数とする。体 \(K\) 上の方程式 \(x^{p}-A=0\) は、\(\sqrt[p]{A}\not\in K\) のとき既約となる』

一見、アーベルの補助定理の仮定はみたされているように思える。\(f(x)\) が \(K\) では既約だったのに \(K(\sqrt[l]{A})\) では可約になるということは、\(\sqrt[l]{A} \not\in K\) でないとありえないからだ。

しかしここで、次のことを思い出してもらいたい。『複素数 \(\mathbb{C}\) の範囲で、\(l\) 乗根は \(l\) 個ある。\(\sqrt[l]{A}\) という表記は、そのうちの特定の \(1\) 個を表しているに過ぎない』ということを。これを念頭に置いて、それぞれの定理をもう一度見直してみる。

まず、アーベルの補助定理の方だが、実は書き方が紛らわしい。仮定の

\(\sqrt[p]{A} \not\in K\) のとき

というのは、「\(A\) の \(p\) 個の \(p\) 乗根のうち、あるひとつが \(K\) に属していなければそれだけでいい」という意味なのだろうか?違う。もしそうだと、「他の \(p\) 乗根のどれかは \(K\) に入っていてもいい」ということになってしまうが、一方、

\(A\) の \(p\) 個の \(p\) 乗根のうち、どれかひとつでも \(K\) に入っていたら \(x^{p}-A\) は \(K\) で可約になる

ということは明らかである。アーベルの補助定理は、当然そういう場合を仮定で除外しなければ成立しない。つまり、アーベルの補助定理は、仮定をより慎重に書くならば

『\(p\) を素数とする。体 \(K\) 上の方程式 \(x^{p}-A=0\) は、\(A\) の \(p\) 個の \(p\) 乗根のうち、どれひとつとして \(K\) の元でないとき既約となる』

という定理である。

さて一方、\eqref{eq:1}では \(\sqrt[l]{A}\) という表記はどういう意味で使われているのだろうか。先ほど述べた『\(f(x)\) は \(K\) では既約だったのに \(K(\sqrt[l]{A})\)  では可約になるから、\(\sqrt[l]{A} \not\in K\)』という議論からは、

\(l\) 個の \(l\) 乗根のうちのある特定のひとつ \(\sqrt[l]{A}\) が \(K\) に属さない

ということしか引き出せない。つまり、\eqref{eq:1}の仮定のもとでは、「\(A\) の \(l\) 個の \(l\) 乗根のうち、今 \(\sqrt[l]{A}\) と表記している特定のひとつ以外のものが \(K\) に含まれている」という可能性がある。その場合、アーベルの補助定理の仮定は成立しなくなる。

そう考えると、実際、次のような例が\eqref{eq:1}の反例になっていることがわかる。

\(p=2\) 次方程式 \(x^{2}+x+1=0\) は \(K=\Q(\sqrt[3]{2})\) 上で既約。
しかし \(K\) に \(2\) の \(l=3\) 乗根のひとつ \(\sqrt[3]{2}\omega\) を添加した \(K(\sqrt[3]{2}\omega) = \Q(\sqrt[3]{2}, \omega)\) では可約になり、\(x^{2}+x+1=(x-\omega)(x-\omega^{2})\) と因数分解される。ところが  \(l \ne p\) である。

(一応、p.89 の始めの方で \(p\) は \(2\) と異なる素数と仮定されているので、この例は形式的には反例ではない。しかし、\(p \ne 2\) という条件はこの段階ではまったく使われておらず、後の方で「少なくとも \(1\) 個の実数解を持つ」ということに利用されているだけで、証明のこの段階は \(p \ne 2\) かどうかには全然左右されない議論になっていることに注意。実際、これと本質的に変わらず、\(p\ne 2\) であるような反例を作るのは別に難しくはない)

この問題をうまく回避して、\(l=p\) が言えて丸く収まるような議論に修正できないか、ということは当時色々考えてみたのだが、私の実力ではどうもうまくいかなかった。せっかくこの手に捉えたかと思えた 5 次方程式の代数的解法の不可能性の証明は、あと一歩の所で私の手からこぼれ落ちてしまったのだ。

当時、志賀本の続きも読んだのだが、上のことから私はかなり落胆していたらしい。そこにはガロア理論の入り口的解説が書かれていたのだが、その内容を私はすっかり忘れてしまっていた(そういう類のことがそこに書かれていたという事実そのものも含めて)。先日、再びガロア理論にチャレンジして、今度こそ内容を理解できた時に改めて会社の書架から志賀本を引っ張り出して眺めたとき、結構苦労して理解した話のいくつかがそこにちゃんと書いてあった(ということは、私は一度はその話を読んで理解したことがあったはずだった)、ということは結構ショックだった(笑)。

なお、上記の反例について、補足をいくつか。まず、「\(\sqrt[3]{2}\omega\) を添加したときは、一見 \(3\) 乗根を添加したように見えて実際には \(\sqrt{-3}\) を添加したのと同じなのだから、この場合は \(l=2\) と見るべきなのでは?したがって、\(l=p\) はやはりちゃんと成立しているのでは?」という疑問は当然出るだろう。しかし、ある体の拡大で、それが \(1\) 個の \(l\) 乗根の添加で可能であって、かつ \(l\) の値として複数の選択が可能な場合、そのうちどれが \(l\) として「正しい」値なのかをアプリオリに決定することはできるのか?ということが私にはわからない。例えば「可能な値のうち最小なものが正しい値である」という基準を選択した場合、確かに上で私が挙げた例は排除できるが、それが今度は逆向きにはたらいてやはり破綻するような反例は存在しないのか?しないとしたらそれはなぜなのか?という点はまったく自明ではなく、全然解決になっていないように思う。

また、「\(\sqrt[l]{A}\) を添加する、というとき、\(l\) 乗根のうち特定の \(1\) 個を添加したと見るのではなく、\(l\) 個すべてを添加した、と見なせばうまく議論が進むのでは?」という疑問を持つ方もいるかもしれない。しかし、上で述べた志賀本の流れの場合、p.85 の定理Iは「一度に添加する根は1個だけ」に制限しないと成立しない作りになっている。このため、定理Iに依存して議論を行う限り、\(l\) 個の \(l\) 乗根をいっぺんに添加するということはできない。

それから、上のような反例が生じ得る条件を整理してみる。条件は

(1) \(K\) に \(A\) の \(l\) 個の \(l\) 乗根のどれかが含まれている
(2) それとは異なる \(l\) 乗根のひとつ \(\sqrt[l]{A}\) を添加すると \(f(x)\) は可約になる

ということだが、(2) で \(\sqrt[l]{A}\) を添加した後では、\(l\) 乗根は \(l\) 個ともすべて体に含まれることになる。なぜならば、(1) で元々含まれていた \(l\) 乗根と今添加した \(l\) 乗根の比は \(1\) の虚数 \(l\) 乗根であり、したがって \(1\) の原始 \(l\) 乗根でもある(\(\because\) \(l\) は素数)から、\(1\) の原始 \(l\) 乗根が体に含まれることになるからである。つまり、(2) での体の拡大は、\(\sqrt[l]{A}\) の代わりに \(1\) の原始 \(l\) 乗根を添加してもまったく同じことになる。

それから、(1) で \(K\) に予め含まれている \(l\) 乗根の個数は \(1\) 個と断定できる。なぜなら、もし \(2\) 個以上の \(l\) 乗根が \(K\) に含まれていたら、それらの比として \(1\) の原始 \(l\) 乗根が \(K\) に含まれていることになり、結局 \(K\) は \(l\) 個の \(l\) 乗根をすべて含んでいることになってしまい、\(\sqrt[l]{A}\) を添加しても何の変化も起こらないことになるからである。

したがって、反例が生じ得る余地があるのは、

(1) \(K\) が \(A\) の \(l\) 乗根のうち \(1\) 個だけを含んでいて
(2) そこに \(1\) の原始 \(l\) 乗根を添加する(ことと同じ結果をもたらすような添加を行う)

ような場合のみに限られる、という所まではわかる。

そこで、次のような考えを持つ人もいるかもしれない。最初の体として、すべての素数に対する \(1\) の原始素数乗根を \(\Q\) に予め添加した体をスタート地点とすればよいのではないか、と。

この場合、確かに以後はどの素数 \(l\) に対しても、\(l\) 乗根の1つ \(\sqrt[l]{A}\) を添加しただけで \(l\) 個の \(l\) 乗根がすべて添加されることになって、\(x^{l}-A=0\) がアーベルの補助定理の前提をみたすかどうかについては問題は解消する。しかしその場合、今度は適当な具体的な(整数係数の)方程式を1つ与えられたとき、それが始めの体で既約かどうかの判定が容易にはできなくなるのではないか。志賀本の流れでは、p.96 で

\(p\) を \(2\) と異なる素数とする。このとき有理数を係数とする \(p\) 次の既約方程式が代数的に解けるとすれば、実解の個数は \(1\) か \(p\) である。

という定理に至って、「\(5\) 次方程式 \(x^{5}-3x+1=0\) などは有理数係数で既約だが実解の個数は \(3\) だから、代数的には解けない」という実例を挙げることで5次方程式の解の公式の存在を否定する、という風に進むのだが、スタートの体を \(\Q\) から上のように拡大してしまっていると、(定理の仮定もそれに合わせて拡大した体での既約性を要するようにスライドするはずだから、)その体上で\(x^{5}-3x+1=0\) のように具体的に与えられた方程式が(何かのはずみで)うっかり(?)可約になってしまっている可能性が生じてしまって議論に綻びが生ずる。(整数係数の方程式の)既約性の判定はあくまで「\(\Q\) 上で」考えるからこそ容易に済むのであって、そのように野放図に拡大した体で既約かどうかを個別に判定するのは最早簡単には行かないように思える。

【2014, 8/26 追記】 どうやら解決できたようだ。


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