ガロア流のガロア群の定義解説のハマリ所

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ガロア群の定義は、現代流に再編された代数理論だと、ベースになる体 \(K\) とそのガロア拡大体 \(L\) に対して、\(L\) の \(K\) 同型写像全体のなす群として定めている。これはこれでスッキリしていて利点も多いのだが、そこに至るまでの数学的準備が結構必要な上、方程式の解との関係が最初はよく解らない形で与えられているという特徴もある。現代代数学はその特徴を特に「欠点」とは捉えずその形で話を進めるわけだが、ガロア理論の解説書では、しばしばガロアが当時考えていた形に立ち戻って定義を紹介している。例えば、中村亨「ガロアの群論」 や、それに影響を受けた 結城浩「数学ガール」、「4次方程式と5次以上の方程式のGalois理論」などがその系列に属する。その基本発想は私は評価したいのだが、そこで述べられる「ガロア流のガロア群の定義」というのは、私からするとひとつ「理解しづらいクセのある叙述」がある(おそらく、ガロアの原論文でこのような形で述べられていて、それを尊重しているのだろうが)。

その手の解説では、有理数係数の方程式のガロア群 \(G\) は、解 \(\alpha_{1}, \dots, \alpha_{n}\) に対する置換群として、次のように「定義」される(\(q(X_{1}, \dots, X_{n})\) は有理数係数の有理式とする)。

\(G\) に属するすべての置換 \(\sigma\) に対して \(q(\alpha_{\sigma(1)}, \dots, \alpha_{\sigma(n)}) = q(\alpha_{1}, \dots, \alpha_{n})\) \(\Leftrightarrow\) \(q(\alpha_{1}, \dots, \alpha_{n})\) は有理数

ご覧の通り、同値記号「\(\Leftrightarrow\)」を使って定義されている。さて、この定義、一読して頭にスッと入った方はいるだろうか。私は、ここでの同値記号の使い方が普通と大幅に違っていることが中々わからず、かなりの混乱を強いられた。

普通、数学で何らかの定義を同値記号を使って行うときは、定義される対象(この場合なら \(G\))に対する条件として述べられることが多い。例えば、可換群を定義するときの

群 \(G\) が可換群である \(\Leftrightarrow\) \(G\) の任意の元 \(a\), \(b\) に対し \(ab=ba\)

のような形が典型的である。また、今のように「集合」を定義する場合には、集合そのものではなく、集合の要素がみたすべき条件を同値の形で表現することも通常のことである。例えば、交代群 \(A_{n}\) を定義する場合は、

\(\sigma \in A_{n} \Leftrightarrow\) \(\sigma\) は偶数個の互換の積

といった具合だ。なので、ガロア群の定義を上の形で見たときも、私はてっきりそのような用法で同値記号が使われているとばかり思って読もうとした………が、それではさっぱり意味が掴めず、首を捻るばかりだった。それもそのはず。この「ガロア群の定義」では、同値記号の左右に置かれた条件が「何に対する」条件なのか、ということが普通とは全然違っていたのだ!

上で挙げたような普通の例では、同値記号が結んでいるのは「集合(\(G\))に対する条件」(前者)や「集合の元(\(\sigma\))に対する条件」(後者)である。ところが、ガロア群の定義では、同値記号の左右にあるのは「有理式 \(q(X_{1}, \dots, X_{n})\) に対する条件」なのだ!!どおりで、「\(G\) に対する条件」や「\(\sigma\) に対する条件」として読もうとしてもうまく行かずに行き詰まってしまうはずだ!!!

お願いだから、世のガロア理論の解説書きの方々は、「ここでは同値記号の用法が数学で普通『定義』を行うときとはちょっと違うので注意」という旨の但し書きをちゃんと付けておいてくれないだろうか。あるいは、ここをどうしても同値記号で書く必要はないはずだ。ここは「集合の相等」として

「\(G\) に属するすべての置換 \(\sigma\) に対して \(q(\alpha_{\sigma(1)}, \dots, \alpha_{\sigma(n)}) = q(\alpha_{1}, \dots, \alpha_{n})\) となるような有理式 \(q(X_{1}, \dots, X_{n})\) の全体」\(=\)「\(q(\alpha_{1}, \dots, \alpha_{n})\) が有理数になるような有理式 \(q(X_{1}, \dots, X_{n})\) の全体」

のように書けば等価な内容になるし、何よりも私が陥ったような混乱を引き起こすおそれもない!いちいち「…ような有理式の全体」と書くのは、もちろん予め「何に対する条件か」をちゃんと知っている人(文章の書き手)にとっては分かり切ったことで簡潔さのために省きたくなるだろうが、しかし「この文章で学んでいる人間」(読み手)にとっては、そこは概念をはっきりさせるために非常に重要なポイントの1つだと思う。

いやもちろん、私が読んだ文献も定義の後で色々具体例を説明してくれて、定義の意味が伝わりやすくする努力はしてくれているのだが、いかんせん元々の定義が飛び抜けて誤読を招きやすい形になっているという自覚が希薄なのだ。そうではなくて、このような「非常事態」に当たっては、まずイの一番に「この同値は \(G\) に対する条件を結んでいるのでもないし、\(\sigma\) に対する条件を結んでいるのでもない」ということを明記すべきだ。具体例の解説ももちろん重要だが、それよりもまずこちらの方が話として先だろう。そこの所がよくわからないまま具体例を見せられても、混乱が増幅するだけではないか。

さて、このように、「ガロア群の(ガロア流の)定義では同値記号がかなり異色の使い方をされている」ということを踏まえて改めて振り返ってみると、「果たして、これは『定義』になっているのだろうか?」という疑問が浮かび上がってくる。と言うのは、これだと「そんな都合のいい置換群 \(G\) なんて果たして(いつでも)存在するのか?」ということがよくわからないし、「存在するとしても、そのような \(G\) は(各方程式ごとに)一意に定まるのか?」ということも全然自明ではない。
前者の疑問については、まさしくその「存在証明」こそがガロアの元論文で定理のひとつとして提示されているということなので、それはまあいいとしても、後者については(この形のままでは)謎のままである。

これは、やはり「定義」と言いながらも、\(G\) に対する条件でもなく \(\sigma\) に対する条件でもない形で述べられていることが祟っている。普通の「定義」の形だったら、存在性と一意性は大抵もっとはっきりわかるものだ。

実際、一意性の成立はかなり微妙なバランスに依存しているらしい。元の方程式が重解を持つ場合は、\(G\) は一意に定まらなくなるからだ。極端な例として、3次方程式で3重根を持つ場合を考えてみよう。\(f(X)\) が \(X^{3}\) とか \((X-1)^{3}\) の場合で、このとき \(\alpha_{1}=\alpha_{2}=\alpha_{3} \in \Q\) だが、そうすると \(G\) によらず「\(G\) のすべての置換に対して有理式 \(q\) の値は不変で、かつ有理数」という性質が成立してしまい、\(G\) が決定できない。考えてみれば、重解があるときは、その重解を入れ替えるような置換が \(G\) に入るかどうか決まらなくなる、というのはいかにもありそうだ(「決まらなくなる」と直ちに断言はできないのは、\(G\) は群になるという条件があるため、1個の置換を \(G\) から自由に出し入れできるとは限らないためだが、それでもおおよそそういう事情によるのだろう、ということは察知できる)。※ もちろん、ガロア流の定義では重解を持つ方程式は予め除外されているので、私がしている話は「定義に不備があるという指摘」ではない。

この点について、先日詳しい方に聞いてみた所、その場では解決しなかったものの、結局それはガロア理論の基本定理(群と体の1体1対応)に帰着されて解決される、という教えを後日送っていただき、やっと疑問が解消した。その解説は公開の許可を得ていないのでここでは略すが、もし要望があれば公開の可否を問い合わせてみるので、興味のある方はご連絡願いたい。


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