ガロア理論入門ノートについて・その8

\(\DeclareMathOperator{\Irr}{Irr}
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以下の文章で、「本文書」というのは「ガロア理論入門ノート」のことを指す。この記事は、blog 移転に際して、後から気づいたことを反映して全面的に書き換えた。

ガロア理論では、「べき根による解の公式がない」という証明中の主定理は「べき根で解ける方程式では、ガロア群は必ず可解群になる」という内容だ(本文書では定理37前半)。この主定理と「ガロア群が可解群にならない方程式がある」という事実を組み合わせることにより、証明が完成する。そして主定理では、「方程式がべき根で解ける」ということの定式化は「べき根の添加による拡大を有限回繰り返した体に最小分解体が包含される」という形で行われるのだが、この記事ではその「べき根の添加による拡大」の定義の詳細に注意を向ける。

本文書の p.28 のべき根拡大の定義の所で、私には気になることがあった。ここでは、添加する数 \(\alpha=\sqrt[n]{a}\) の最小多項式(の最高次の係数を \(1\) にしたもの)は \(X^{n}-a\) の形に限られている。しかし、以前の記事でも触れたように、\(\sqrt[n]{a} \not\in K\) だからと言って必ずしも \(X^{n}-a\) は \(K\) 上既約とは限らない(\(n\) を素数に限ったとしても)。これでは「べき根 \(\sqrt[n]{a}\) の添加だけを有限回繰り返した拡大」であっても、「広義べき根拡大」に含まれないものがあることになってしまわないだろうか?それだと、「べき根による解の公式が存在しないことの証明」に穴が空いてしまうことになってしまわないか?という点を私は懸念していた。

もう少し詳しく述べる。解の公式があるとした場合、個別の方程式に公式を適用したときに、\(\sqrt[n]{a}\) の中身 \(a\) がたまたま \(a=\alpha^{n}\)(\(\alpha\) はそこまでの体 \(K\) の数)の形になっていることがあるはずだ(\(2\) 次方程式の解の公式で、判別式 \(b^{2}-4ac\) がちょうど平方数になるケースと類似の話)が、その場面で \(n\) 乗根での枝の取り方が(偏角の範囲等で)予め決められていると、\(\sqrt[n]{a}\) は \(\alpha\) とは別の \(n\) 乗根で、しかもまだ \(K\) には入っていない数だった、ということがありうる(例えば、\(8\) の \(3\) 乗根は \(2\) と \(-1 \pm \sqrt{-3}\) の3つあるが、\(3\) 乗根の枝として \(\sqrt[3]{8} = -1 + \sqrt{-3}\) となるものを取るように指定されていたら、これは \(\Q\) には入っていない)。そういう場合は、\(\sqrt[n]{a}\) の最小多項式は \(X^{n}-a\) にならない(今の例だったら、\(\sqrt[3]{8}\) の最小多項式は \(X^{3}-8\) ではなく \(X^{2}+2X+4\))。したがって、その場合は解の公式から誘導される体の拡大は、本文書の「広義べき根拡大」には該当すると言えなくなるから、この記事冒頭で述べた主定理を適用することができなくなってしまう。

こういった微妙な問題は、大方の文献だとまったく無視しているか、必要な \(1\) の原始 \(n\) 乗根は最初から体に添加されていることにして、直接的な問題を回避しているようだ。(\(1\) の原始 \(n\) 乗根が体に入っていれば大丈夫、というのは、その場合は \(a\) の \(n\) 個の \(n\) 乗根のうちどれか1つでも体に入っていれば、\(n\) 個すべてが体に入ってしまって元々体の拡大になりえないから)

色々考えた末、\(\sqrt[n]{a}\) の最小多項式が \(X^{n}-a\) にならないケースをべき根拡大に含めるべきかどうかは、局面に応じて違う立場を取るのが適していることがわかってきた。

○「解の公式があるかどうか」を考えていて、「もしあったとしたらどうなるか」という「必要条件」を考察している場合は、上で書いた懸念の通り、\(X^{n}-a\) が最小多項式にならないケースも「べき根拡大」に含めた方が都合がよい。そうすれば、上のような例外的なケースにも主定理を適用できるようになる。具体的には、本文書の「広義べき根拡大」の定義で
\begin{equation}
\label{eq:14-1}
K_{i} = K_{i-1}(\alpha_{i}),\quad \Irr(\alpha_{i},K_{i-1})=X^{n_{i}} −a_{i}
\end{equation}
となってる所は条件を弱め、
\begin{equation}
\label{eq:14-2}
K_{i} = K_{i-1}(\sqrt[n_{i}]{a_{i}}), \quad a_{i} \in K_{i-1}
\end{equation}
とすることになる。本文書定理37前半の「べき根で解ける\(\implies\)ガロア群が可解」の証明では、最小多項式の形は直接は利用しておらず、単に「べき根を添加している」以上のことは使っていないので、この変更による悪影響はない。

○ 一方、\(1\) の原始 \(n\) 乗根 \(\zeta\) も方程式
\[ x^{n-1}+x^{n-2} + \dots + x + 1 = 0 \]
の解なので、\(\zeta\) 自身を代数方程式の解としての考察対象にすることができるが、その際「\(\zeta\) はべき根拡大に含まれる数か」を考えている場合には話が違ってくる。

例えば、\(1\) の原始 \(3\) 乗根は \(\omega = \dfrac{-1 \pm \sqrt{-3}}{2} \in \Q(\sqrt{-3})\) なので、最小多項式が \(X^{2}+3\) であるようなべき根拡大に含まれている。つまり \(\omega\) は\eqref{eq:14-1}のように条件の強いタイプのべき根拡大体に入っている。

ところが、もしも\eqref{eq:14-2}のように条件の弱いタイプも「べき根拡大」の範疇に含めることにしたら、\(\omega\) は \(\dfrac{-1 \pm \sqrt{-3}}{2}\) という具体的な形を求めるまでもなく「べき根拡大に含まれる数」になる。上の方で述べた通り、「\(3\) 乗根の枝を \(\sqrt[3]{8} \ne 2\) となるように指定した」とき、\(\sqrt[3]{8}\) と \(2\) の比が \(\omega\) になって \(\omega \in \Q(\sqrt[3]{8})\) となるわけだから。

同様にして、

\(n\) が素数で、\(a \in K\) の \(n\) 乗根のうち1個だけが \(K\) に入っている場合、他の \(n\) 乗根の1つ \(\sqrt[n]{a}\) を \(K\) に添加するというのは \(1\) の原始 \(n\) 乗根を添加するのと同じこと

だったことを考えると、\(\zeta\) は定義によって無条件で\eqref{eq:14-2}のタイプのべき根拡大に含まれる数、と言える。

ここでは、\eqref{eq:14-1}, \eqref{eq:14-2}のどちらの定義が都合がいいかと言うと、条件の強い\eqref{eq:14-1}の方だろう。本文書の定理37後半の「べき根で解ける\(\impliedby\)ガロア群が可解」の証明は\eqref{eq:14-1}の場合を想定した議論になっている(\eqref{eq:14-2}だと数学的帰納法が不要になって直接証明が可能になってしまう)ため、\eqref{eq:14-1}の方を採用していれば \(\zeta\) が \(\dfrac{-1 \pm \sqrt{-3}}{2}\) のような具体的な形を持つことまで言えるのに対し、\eqref{eq:14-2}だと(上述のように \(\zeta\) は「定義によって」べき根拡大に含まれてしまうため)定理37後半の主張が弱くなってしまい、\(\zeta\) は「\(1\) のべき根である」以上の情報が何も得られない、ということになってしまうからだ。

○そうやって一度「\(1\) の任意べき根は \(X^{n}-a\) が既約になるようなべき根添加のみで作れる」ことが示された後なら、「解の公式があるかどうか」を考えている場合に戻っても、私が気にしていた「特殊ケース」は「\(X^{n}-a\) が既約になるようなべき根添加の有限回の積み重ね」で必ず置き換えられる、と言えるので、結局\eqref{eq:14-1}をべき根拡大の定義としても一般性を失わない、とわかる(つまり、ここまで示した後なら志賀本のクロネッカーの定理の証明が正当化される、ということになる)。

このように、「べき根に解ける」と「ガロア群が可解」の関係を考察するに当たっては、次の順に考えることが私の懸念に対する答になっているようだ。
(1) 「\(\implies\)」を示すときは、最初は\eqref{eq:14-2}を「べき根拡大」の定義に採用して、
(2) 「\(\impliedby\)」を示すときは「べき根拡大」を\eqref{eq:14-1}で再定義し(その方が強いことが言える)、
(3) その結果を「\(\implies\)」にフィードバックすることで、「べき根拡大」を新しい定義に置き換えても結局同じことになる、と言える

これによって同時に、多くの文献で「べき根拡大」の定義が\eqref{eq:14-1}の方に限定されている理由が理解できた。ただ、これは上で述べたように「結果として」べき根拡大というのはそういうものに限ってよい、とわかるからであって、そのことはちゃんと説明した上でなされるべきことではないだろうか。


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