各話感想を一通り書き終えて、改めてシリーズ 全体通しての感想をしたためたいと思います。これまでに書いたことと重複す ることは繰り返しません。
プリ9の優れていた点の一つとして、視聴者に媚びた作りをしなかった、 ということが挙げられます。
他の多くのアニメが、女性キャラのあられもない姿態や、ひたすら男にとっ て都合のいいばかりの言動を売りにして、それ以外まったく内容のない「家畜 の餌」と化している状況の中、10人もの個性的な女性キャラが登場するにも関 わらず、「あざとい」要素に全面的に頼ることなく、ストーリーと演出の力に 訴えて26話を乗り切ったその心意気に、惜しみない拍手を贈ります。
アニメという映像表現文化の存在意義を問われているこの時期にあって、 その問題に逃げることなく取り組んだことは、非常に高く評価すべきことでしょ う。もちろん、その試みのすべてがうまく行ったとは、残念ながら言えない面 もあります。しかし、安易な道に逃げずに、プリ9という作品そのものの存在 価値を、何もない所から創り出そうと茨の道を歩んだ意志を、私は尊び讃えた い。その魂の気高さに関しては、1998年のアニメ界の白眉であった「 カウボーイビバップ」や、「機 動戦艦ナデシコ(劇場版)」にもまったく引けを取らない、偉大なる作品だっ たと思います。
フェニックス、並びに偉大なるプリンセスナインに栄光あれ! (←「ド」のつく人のセリフ(笑))
後半は、涼・いずみ・高杉のドロドロの三角関係に突入してしまったプリ ンセスナイン。これのおかげで、肝心の試合の場面の量が圧迫されてしまった し、欝々として実力を十全に発揮できない涼の姿には、もどかしくてやきもき させられたものです。私以外にも、不満の声の目立つ展開です。
ただ、私はこの「ドロドロ」は、望月監督の経歴を考えればやむを得なかっ たろう、と考えています。もともと望月氏は「魔法少女もの」畑の出身で、年 頃の男女の揺れ動く心の機微を描くことこそが、アニメを創る上での最大の動 機なのでしょう。それはアマチュア時代から一貫しているようですし、「プリ 9」と平行して「ファンシーララ」のシリーズ構成をしていたことからもそれ は推し量れます。
かつて、望月氏が監督をつとめた作品の一つに「きまぐれオレンジロード (劇場版)」があります。私はこれは見たことはないんですが、聞く所によれ ば、原作の明るく軽い雰囲気とはうって変わって、主役3人の三角関係を極め て重く、ドロドロと描写した作品だった、とのことで、「くっつくかどうかで 気を持たせる」ラブコメの部分をこそ楽しんでいた多くのファンには、かなり の不満を残したようです。
内容からして不評を買うことが容易に予想できる作品を、あえて「劇場版」 という形で送り出したからには、望月氏には相当の覚悟があったのでしょう。 このことからも、望月氏の「ドロドロ好き」は筋金入りなのだと考えられます。
こうして見ると、望月氏が「プリ9」を監督する上で一番やりたかったこ とは、あの「ドロドロ」だったのではないでしょうか。そして、「本当にこれ がやりたい」という、創作意欲の一番底にある motivation を剥ぎ取ってしまっ ては、誰にも真の意味での「モノ作り」は出来ないでしょうから、望月氏が 「プリ9」で「ドロドロ」を描いたことは仕方のないことだった、と私は思い ます。
実際、やりたいことをやり遂げてスッキリしたのでしょう、 26話ではファンサービスに徹し、あれだ け豪勢な内容にしてくれたのですから、望月氏が「ドロドロ」に拘った件も、 水に流そうと思います。
娯楽作品として、26話の完成度は大変なものです。つけいる隙はほとんど ありません。あれだけの内容を計算ずくで構成できるのですから、それまで 「ドロドロ」に固執してファンサービスにやや淡白だったのは、「できない」 からじゃなくて「やらなかった」だけなのだと思います。
ただ、既にあれだけ好きなようにやりたい放題やったのですから、続編が 作られることがあったら、今度こそ野球・試合を主体に、ファンサービスに徹 した正統派娯楽作品にして下さるよう願ってやみません。私が「プリ9」に最 も期待することは、やはり猛者ひしめく高校野球界を、その剛速球とナインと のチームワークによって、苦しみつつも勝ち抜いて行く、涼の勇姿と燃えるス トーリーなのですから………!