二次創作での西野

西野というのは、「真中の方から告白し てきたから付き合ったのに、ちっとも自分に興味を持ってくれるように見えず、 せっかく話しかけても上の空ばかり。そればかりか他にもっと好きな娘がいて、 正式な彼女である自分を蔑ろにしてその娘のことばっかり見たり考えたりしてい る」なんて失礼千万な酷い扱いを受けて幻滅し、「もうこいつとはやって行けな い」と「自分から」真中を見放したわけです。その上、真中を見放した原因 の一番の核心である「自分よりも好きな娘が他にいる」ことに何ら変化を見出し たわけでもなかった。そういったありとあらゆる事情 を覆すに足るほどに切実で強力な理由など何ひとつなかったにもかかわらず、 「なぜかいきなりフルパワーで胸をキュンキュンさせて、他の男に目もくれずに 真中に尽くして、尽くして、ひたすら尽くしまくって誘惑し迫り続ける」なんて 挙動を西野は示す。「もう待てないよ」「何かを待つのが嫌いで、嫌になった」 「こんなカワイイ娘が誰かをずっと待ってる恋してんのなんてもったいなくな い?」というセリフから溢れ出ている、真中に対する強烈な不満と完全に矛盾す る形で、延々と真中からの承認を待ち続ける。何じゃそりゃあ!!!何たる支離 滅裂で破綻した言動。こんなに頭が狂ったデタラメな話は、まともに理解するこ とを完全に放棄して唖然とするしかありません。

こういった西野の描写というのは、(最初の別れの前までは目を瞑るとして も、再登場後は)要するに男子読者の願望と幻想に無限に迎合し続ける、薄っぺ らのぺーらぺらで内面ゼロの記号性100%のキャラへの後退なわけですが、当時 web 上に盛大にばら撒かれて今でも生き残っている二次創作を見ると、そういう 超特大の欺瞞というのはどれもこれも見事なまでに綺麗さっぱりすっぽかされて、 「西野はもうどうしようもないくらい純粋一途に真中が好きで、好きで、恋い焦 がれている」ということが無条件かつ当然の前提となっているんですね(笑)。 いくら何でもそれはどうなのか。

二次創作を行う人が西野のことを本当に考えるならば、西野が再登場後になっ て上述のような「展開の奴隷」とされてしまったことを気の毒に思って、「操り 人形に過ぎなかった再登場後の西野に主体性を取り戻させる」ことを目指すべき でしょう。つまり、西野がふと我に返って「自分は真中のことが好きだとずっと 思ってしまっていたけど、そんなものは単なる思い込みだった。改め て自分の胸のうちを見つめてみると、別にそんなに彼につきまとうほど深い 思いは宿っていないし、動機なんてなおさらない」と卒 然と悟り、憑き物が落ちたように真中への馬鹿げた執着から解放される 、という話こそが、西野に与えてやるべきものなんじゃないでしょう か。それが、ファンの願望による強制にがんじがらめに縛られて、本心を口にす ることも許されず、指先一つに至るまで言動のすべてをファンの言いなりになる ように操られてきた西野というキャラに、二次創作者が与えてやるべきせめても の救いだと思います。二次創作者がキャラに対して「本当に」向かい合う、って のはそういうことでしょう。

まあ web 上の二次創作なんてものの大半は西野派男子読者によるもので、 「自分が」西野と結ばれたい、という願望・幻想がダダ漏れになったものだから、 上述のような欺瞞がすっかり無視されているのは当たり前ではあるんですけどね(笑)。 二次創作者に限らず、西野に熱烈に入れあげている男性読者というのは、自分を 真中に投影しているからそういう欺瞞はむしろ双手を挙げて歓迎で、「自分が」 西野と結ばれること最優先で、西野側の都合なんかお構いなしで平気で西野の尊 厳を踏みにじる妄想に浸れてしまうわけです。本来空っぽである「西野の真中へ の想いの強さ」というのは、頭の中で容易に「自分の西野への想いの強さ」で掏 り替えられてしまい、そういう代用が行われていることの欺瞞には気づきもしな いんでしょう。そこは「所与のもの」ということにしておかないと都合が悪いか ら、「西野は、日暮みたいなパーフェクトな男が側に居ても、それでも一途に俺 だけを見て、俺一筋でいてくれるんだ!なんて健気なんだ、なんていい子なん だ!」で思考停止しちゃうわけです。何と都合のいい、身勝手すぎる幻想である ことか(笑)。

(そう考えていくと、少数とは言え存在する女性読者に よる二次創作までもが、上述の超特大の欺瞞を余りに無防備に受け入れているの はかなり謎です。そんな欺瞞に乗るほどの動機など全然ないはずなのに、一体何 を考えてそういうことになっているんでしょうねえ…?)

追記

再登場後の西野の振る舞いを「理由はともかく、西野が真中のことを好きっ て言うんだからそれ(だけ)で問題ない。それは、恋愛話がメインになっている 男向けのマンガに共通して見られる『冴えない主人公が数多の美少女に囲まれモ テモテ』というファンタジーを、『少年誌のそういうマンガだから』と割り切っ て許容する所から始める、という『読者との共犯関係』の一環に過ぎないのだか ら」と擁護・正当化しようとする議論は、ここでは成立しません。ちょうどいい 議論が他所の blog に見られるのでここで引用しますが…

https://minami-n.cocolog-nifty.com/diary/2004/10/48_1.html より

少年誌は男の子の夢を投影するものであって、男の勝手な願望を投影するものと は違うと思うのですよ。あだち充型浅倉南系完璧ヒロインに愛されるのは男の子 の夢だけど、南はその完璧さ故リアリティを持たない漫画の中のヒロインです。 だからそれは男の子の夢。でも波多野が二股かけてホイホイ戻って彼女に許され たいと思ったり、振った彼女にまだ愛されたいと思ったりするのは勝手な願望。 そんなひとりよがりなドリームは少年漫画で許されるはずはない、と思いたいん だけどなあ。

これは別のマンガ(「モンキーターン」)に対する評なのですが、そのまま ズバリいちごにも当てはまる議論です。真中は、東城のことが本命であるにも関 わらず、西野とずっと不誠実な付き合いを続け、西野を傷つけ、振られるに至り ました。そして、その後西野からの奉仕を貪るだけの真中が、たまたまちょっと 付きまとっていただけの連中に、勝手にいちゃもんつけてノされただけの、大し た恩義でも何でもないショボくてチャチなエピソード(西野のコンプレックスを 取り除いたわけでもなければ、心の傷を癒したわけでもない)だけで、 二股かけてホイホイ戻って彼女に許されたり、 振った彼女にまだ愛されたりするのは勝手な願望であっ て、そんなひとりよがりなドリームは少年漫画で許されるはずは ないのです。それは「少年マンガのファンタジーだから」で許される範囲を 超えてしまっている。

その「ファンタジーだから許される」で正当化を図る議論は、もし北大路を 対象にして展開されているものだったならば十分理解できるし、私も文句を付け るつもりはありません。北大路は西野と違って、「真中の余りに酷すぎ る扱いに幻滅して自分から真中を見放した」なん ていう経緯がありませんでしたから。そもそも北大路は、「真中の方 からの申し出で一度は正式な彼女の立場になった」わけでもないので、真中の態 度は「西野に対するものほどには」(相対的には)酷くなく、それらの結果、真 中にいかに蔑ろにされようとも、とにかくそれでも真中のことを一途に好きでい 続けることが辛うじて可能だった。それらの点が北大路と西野の決定的に違 う点で、北大路は「真中に酷い扱いを受けても、それでもそれを上回るほ ど、真中のどこかしらに『絶対譲れないくらい強く惹かれる部分』があって真中 を好きでい続けた」ということはずっと一貫していて、それは(リアリティーは 全然ないものの)「作中の事実」としては一応辛うじて真実でした。したがって、 「理由はともかく、北大路が真中がいい、って言ってるんだからそれでいい」と 許容することが正当化できます。それは(相当渋い顔をしないと認められないけ れど、それでも一応は)「少年誌のファンタジー」の範疇に収まる事柄です。し かし西野はそんな正当化はできません「真中の、西野に対する扱い」は、北大路に対するものを遥かに超える ような、余りに酷すぎるものであり、 その当然の結果として、「西野の、真中への好意」は(かつて多少は あったとしても)すり潰され、蹂躙されて消尽してしまった、というのが 「作中の事実」です。おまけに、その後は真中に未練がある 様子もなく、ちゃんと吹っ切れた風でサバサバしている描写もあった。である以 上、西野が再度真中に向かうためには、その「特大のマイナス」を覆す ほどに強烈で明確な「真中のことが好きになる理由」が 絶対に必要不可欠です。しかも、周りから真中よりももっとマ シな選択肢が我先に立候補してきている中で、よりにもよって特大のマイナス付 きの真中「なんか」を選ばなければならないほどに強烈で明確な理由が。もしも それほどに高いハードルを超えられるほどの、オールマイティーとすら言えるほ どの強固な理由が高々とそびえ立っていれば、再登場後の西野の振る舞いも何と か「少年誌のファンタジー」の許容範囲に再び収まることも可能だったでしょう。 しかし実際にはそんなものはありはしなかったのです。何で すかそれは。西野は催眠術にでも操られているのですか?惚れ薬でも飲まされた のですか?家族を人質に取られて、脅されているとでもいうのですか? 「作中の事実」としてさえ「真中を(そんなにも)好きになる理由」が100%の虚 偽になってしまっている西野が、それでも真中一筋に向かい続けるな どという話は、読者を愚弄するインチキ極まるデタラメじゃ ないですか。「ずっとずっと淳平くんのことが好き」?「どうしようもないくら い淳平くんのことが好き」??お笑いの猿芝居ですな。再登場後の西野の真中へ の好意など、ひとかけらの真実もない、見せかけとまやかしにまみれた上っ面だ けのイミテーションでしかないじゃないですか。そんな西野は「最初の別れの前 までの、評価すべき点のあった西野」の美点をすっかり失ってしまった生け る屍とでも言うべき残りカスであって、「かつての西野」のショ ボっちく惨めな抜け殻・残滓に過ぎません。話の適当さにかけては人 後に落ちない河下先生が、その総力を放り出して作り出した適当中の適当キャラ、 クイーン・オブ・適当、それが再登場後の西野です。

…とまあ、別ページで既に述べたこと と大体同じ内容を、別の言い方で再度言い直してみました。


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井汲 景太 <ikumikeita@jcom.home.ne.jp.NOSPAM.>(迷惑メールお断り)
最終更新日: 2020年11月20日