> どうも始めまして。みなさんのご意見は大体読ませてもらいました。熱く語られておられますね。「GS美神」は僕が小学校五年か六年のころABC系列でアニメ化されていたので、それを見てから原作もぼちぼち目を通すようになりました。あ、もちろんコナンや犬夜叉のアニメも現在はぼちぼち見ています。
新人も旧人も余り関係有りませんよ(ちょっと違う)。どうぞ宜しく!
このサイトではアニメ『美神』と区別して、しばしば原作を『極楽』と
略しております。
> さて、肝心の「GS美神」についての件ですが、率直な感想をば一つ。
> 確かに内容は面白かったし、キャラもすごく立っている人達ばっかりだったので、そこは別に文句のつけようがありません。
いいひとですね。友達になりましょう(怪しい)。
> ただ、後年になって「スレイヤーズ」や「セイバーマリオネットJ」などの富士見ファンタジア系の作品がアニメ化されてくるにつれて私の頭の中には小さな疑問符が浮かび上がりました。すなわち、
> 「美神ってもしかして富士見系のアニメから元ネタかっさらって来ているのでは?」という。
いいひと……でええっ!(吃驚)
> もちろん、この論には根拠があります。コミックの14巻だか15巻のあたりの香港の地下洞窟でのメドゥーサとの戦い。あの時出てきた「鬼門」の二人が冥子やエミたちを運んできた時のカプセル(?)に刻印されていた文字「天地無用」、あれは一体・・・?
あれは搬送の際に上下を引っ繰り返しても構わないタイプの小包に貼る
表示の事で、恐らく某AIC作品との直截的な関係は無いでしょう。
> さらに、その後の20〜23巻のあたりは急に魔族がらみのネタが多くなり、それまでは小竜鬼様ぐらいしか出てこなかった神も一気に増えたし、さらには魔族と神族の衝突も激化。・・・そー言えばこの時期って「スレイヤーズNEXT」がTV東京でスタートした時期と妙に重なっていると思うのは私の気のせいでしょうか?いや確かに「NEXT」は魔族がらみのネタが多かったけど・・・。
これは偶然ではないでしょうか? 『NEXT』と『極楽』では余り
にも共通点が少なすぎるのでは。えーっと、主人公の髪の色とか?(笑)
> まぁ、24巻あたりのネタはもう「バイオ」だ、って椎名先生みずから公言しているようなものなのであえて触れないとして、問題は30〜35巻あたりのいわゆるアシュタロス編。ルシオラ、パピリオ、ベスパの三人の設定がやはり当時アニメでやってた「セイバーマリオネットJ」のセイバードールズ(パンター、ティーゲル、ルクスの三人)の三人とダブって見えました。さらに極めつけはアシュ様本人!私には何度見ても「ありゃファウストじゃねぇかぁぁぁぁぁっ!!」と、心の中で絶叫せざるを得ませんでした。さらに付け加えるならこれは富士見系のやつじゃないんですけど、30巻に登場した都庁地下の施設の入り口は「るろうに剣心」の志々雄の比叡山のアジトの入り口(両方鳥居が立ち並んでいる)に似てるし、さらにフジテレビ(?)スタジオでの戦いで見せた美神のあの表情!(絶叫シーン)あれは私にはどー見ても「るろうに」左之介のバカ笑いシーンとダブって見えました。これらの現象もやはり私の気のせいなんでしょうか?
クセのある悪の幹部トリオに非情のボスと云う構造は最早お約束です
ね。確かに『J』は造形的にも被りは有りましたが、両者の繋がりは
どうでしょうか? 余りに有り勝ちな構造なので。
鳥居が立ち並んでいるのは、よく稲荷神社で見かけられますね。信徒が
参道に一本ずつ奉納していくんです。
美神の馬鹿笑いは……気の所為でしょう。あくまで美神の造形の許容
範囲内ですし。
> 長長とくだらないことを綴ってしまいましたが、どなたか私の率直な意見に答えてくれればありがたく存じます。
お言葉に甘えて、率直に行かせて戴きました。
残念ながら否定的な意見ばかりになってしまいましたが、そもそも創作
技術には限界が有ります。「この世の物語の構造は、シェイクスピアの
作品のパターンを組み合わせるだけで、全て説明できる」と云った意味
内容の言葉が在ります。つまり形式のみを追求した場合、大昔の一人の
作家の仕事だけで語れてしまうんですよね(まあこれは喩え話ですが)。
しかし、それら有数のパターンを選出し、自由に組み合わせて、無限の
可能性を創り上げる事を可能にするのは、ひとえに作家一人一人の力量
です。例えば椎名氏の場合、多くが(作者本人含む(笑))指摘する通り
数々の映画や小説が氏の作品の元ネタであるのは公然の事実です。しかし
それらを咀嚼し、氏のオリヂナル作品として完成させるのはまさに椎名氏
本人の(テクニーク・センスなどを含めた)力量です。我々読者はそう
云ったクリエイタァ諸氏の力量に惹かれていくのでしょうね。
と言っても、構造の一つ一つを追求していく試みの有為性を否定して
いる訳では有りません。寧ろそうした作業は読者が作品に共感し、また
作品を咀嚼して吟味する上では欠かせない作業となる筈ですから。
まあ長々と意味不明な事を書き連ねてしまいましたが、同じ『極楽』
を(そしてサブカルチャを(笑))愛好する者として、これからも宜しく
お願いします。