> ですが雪之丞たちの前に現れた、本当に初登場のときには横島との
> 関係は予測されていなかったのではないでしょうか?
> その後横島との関係を示唆した結果、ルシオラの顔もそれっぽく…のような。
> 本論からそれてすみませんでした。
脱線させた張本人です(苦笑)。全くかたじけないです。
さて、ルシオラと忠夫の絡みが当初から織り込み済みだったと
推測した根拠は、第1にルシオラの女性性とハカナサを強調こそ
すれアシュタロスの部下としてはややちぐはぐな印象を残す「ホ
タルの化身」と云う出自(特撮の悪役でもハチやチョウ/ガ(蝶
と蛾は生物学的にほぼ同等)は昔から居るが、ホタルは極めて珍
しい……登場後暫くの間「ルシオラ=アリの化身」説すら流布し
ていた)、第2にアシュ編開始当初(通称たらこくちびる)とそ
の後に於ける彼女の造形の変貌にはグーラーと云う先例が在ると
云う事です。まあ何れも推論からの仮定なので、根拠は無いに等
しいのですが(ドクロ)。
> 使い捨てというか、GS美神という作品においてはとてもインパクトもあって
> 印象にも残り、またその内容もとても感動的ですし、横島を成長させる、
> もしくはイメージアップ(?)させたことなどから重要なキャラクターだった
> といえるのではないでしょうか。
勿論、ルシオラがアシュ編に於いてもはや欠くべからざる重要
人物であった、と云う指摘は明白な事実なのですから大賛成です。
ただ僕が(ルシオラーの皆さんを敵に回す覚悟で(苦笑))敢
えて「使い捨て」と繰り返したのは、アシュ編とその前後の物語
の繋がりと云う観点で見た場合の彼女の立場はやはりそう評する
しか無いと判断したからです。
ここで一旦『極楽』から離れて、別の作品を例に採ります。そ
の作品とは……同じ小学館のマンガの大先輩娯楽作『ドラえもん』
です。
最近の作品群はさて措いて、藤子・F・不二雄氏の手掛けた
『ドラ』には大きく分けて単行本に収録されている一話完結の
「日常編」と、劇場映画の原作となる「大長編」の2種の形態
が有る事はご存じでしょう。
日常編の方はひみつ道具を巡るのび太たちのすこしフシギな日
々がこれでもかとばかりに描かれ、いくら季節が変わろうが、過
去や未来が存在しようが、彼らは永遠に同じ年を繰り返しながら
延々と生き続けるのです(道具よりこの現象の方がよっぽどフシ
ギですが)。
一方、大長編はその名の通り通常より遥かに多い質量で描かれ
ます。しかもそれらの舞台の殆どが、すこしフシギな日常から大
きくはみ出した異境の地での大冒険活劇です。それ故のび太を始
め主要な登場人物は造形面や設定面に通常存在しない特性が加え
られ(例:ジャイアン⇒無茶苦茶好い奴)、いつもと違うより劇
的な生と死の現場に遭遇し……そして、すこし成長します。
しかし大長編の結果は直接的に日常編に影響を及ぼす事は無く、
その逆もほぼ成り立ちます。日常編の物語同士も基本的には独立
していて、大長編同士もまた然り。
さて、ここで登場人物の名前などを適当な『極楽』のそれに置
き換え、かつ「大長編」を「アシュタロス編」と読み替えれば…
…『ドラ』と『極楽』の類似性に気が付きましたか?
ただ最後の段落には注意しなくてはいけません。『極楽』の場
合は別に大きな物語の流れが存在する故、それぞれの通常編同士
には少なからず連続性が有り、「大長編」もその前後の通常編と
連続しているのです。前後の物語との連続性を失っているのび太
にはまず成長は有り得ませんが(例外……一応の最終回(笑))、
忠夫たちは新しい面子を徐々に増やし、少しずつ成長するのです。
そしてここに、ルシオラの悲劇が在るのです。
「ザ・グレート・展開予想ショー」にて数多くの「ルシオラの
生存を前提とした展開の予想」が見受けられる事から解る通り、
最大の難関である「ルシオラの復活」さえ解決すれば、いや、そ
もそもルシオラに致命傷を与えなければ、そこから続いたであろ
うもう一つの物語を紡ぎ出す事は充分に可能だった筈なのです。
しかし最終的に『極楽』は、ルシオラの退場を選びました。そ
の理由の主な物は次の3つなのではないでしょうか。
1.アシュ編のクライマクスの為
2.予定調和的日常へ回帰する為
3.余りに深入りし過ぎた為
1は説明不要でしょう。否が応にも盛り上がってしまいます。
2は連載漫画としての安定性を優先した方針です。成長を犠牲
にする事でのび太が日常=主に失敗談を無制限に継続できたよう
に、アシュ編以降の忠夫は恋愛感情を大いに後退させながら、あ
たかもアシュ編が存在しなかったかの様に物語は進行します。
3は2とも関係します。ルシオラの存在は忠夫の恋愛対象の最
有力候補であった令子とキヌの、忠夫に対する恋愛感情までも後
退させてしまいました。この状態で若しルシオラが元気だったら
……少なくとも、それ迄の様な日常は戻ってこなかったでしょう。
かくて、存在意義の薄まった物語を俄か盛り上げて退場したか
に見える彼女を「使い捨て」と評する気持ちも理解できた、と云
う訳です。