> > しかし、私は以下のように異議があります。
> > ・キリスト教で三位一体説を採らない場合
> > キリストは唯一神「エホバ」の子ですが、「エホバ」は「ヤハウェ」であり、上記のように「アッラー」でもあります。
> > (ユダヤ・キリスト・イスラムの各一神教の神は共通なのです(旧約聖書も共通))
> > これだと「キーやん」は「アッちゃん」の子供(爆)
> > ・キリスト教で三位一体説を採る場合
> > 父と子と精霊は一体なのですから
> > 「キーやん」と「アッちゃん」は同一神(核爆)
>
> 以上の議論はキリスト教側に偏った視点なので、逆にイスラーム側
> からの観点から行きますね。
> イスラームによると、そもそもキリスト教と云う物が神の教えを取
> り違えて「不完全な存在であるキリストを完全な存在たる絶対神の子
> である」と規定した歪んだ教えである、となります。
> 従ってこの場合、上の結論に到る事は絶対に有り得ません。
> あ、因みに「エホバ」は厳密には誤用ですね。
>
> > キーやん(後光つき)とヒミコが話している光景を想像すると笑えますが。
>
> 確かに面白過ぎます、これ(笑)。
> でも日本の神様は仏教の神様を本地に取る場合があるから、仏教系
> を考慮すると更に複雑になるかも。誰かこの3者を統一的に融合した
> 宗教世界を構築してみません?(無茶)
歴史的事実を書くと,最初に発生したのは「仏教」でB・C500年頃になります。次は「キリスト教」でA・C2〜30年頃に成立し出しました。最後は「イスラム教」でA・C700年頃に誕生しました。
キリスト教とイスラム教の関連性は省きますが、仏教説話(釈尊や弟子等の指導語録、一般的には「経典」として後世に編纂された物)にある譬えと同じような話が「聖書」等にもあったりと、キリストの時代にエルサレム辺りに仏教が伝わっていたと思われます。
ちなみに、イスラム教も「聖書」を使用しています。個人的に、時代や生活環境の違い等が、「イスラム教」を生み出したと考えています。
それに、イスラム教の戒律はそんなに厳しくは無く、その土地の風土や習慣に合わせて変化しています。要は、「最低限行わなければならない信仰上の戒律以外は、特に定まっていない」のである。
最も、これは「仏教」や「キリスト教」等も同じで、「世界宗教」と呼ばれる「宗教」の共通点でもあります。つまり、「郷に入っては郷に従え」という事が大事だと言う事です。(無論、「時代の変化」等も含めてですが・・・。)
>雪男さん
仏教の「神様」(?)というのは、実は存在してません。
と、言うよりは元々あった地元の神々を「仏」としてとり込んでいったというのが正しいのです。
何故かというと、「他人に理解させる為に、地元の神々の名を使った」為です。
つまり、「本質を正確に伝えるのではなく、解り易く「例え」を引用する」という事をしただけです。
そのため、各地域で色々な「仏」が出てきたのです。ちなみに、帝釈天はバラモン教の至高神「ブラフマン」を取り入れて出来たものです。
仏教本来の教えは、「キリスト教」や「イスラム教」と違い純粋に「自己変革」するもので、常に自分を律してよくして行こうとする教えに過ぎません。
だから、「地獄界」や「修羅界」といった事は全て「自分の中にあるその時の瞬間の生命状態」に過ぎないと言う事です。
厳密には、そういった状態が互いに関係しあい。さらに、「過去」・「現在」・「未来」が関わってくるという「森羅万象の法則」を説いた教えであります。
さらに、一番重要なのは「悟りを開く」(成仏)ための方法を解き明かしているという事です。
その方法を理解する為に、先程の「地獄界」等を先に教え、本当に伝えたい事を説くのに40年以上教えてきたのです。(ガマン強い・・・。)
だから、経典のほぼ全てが「極一部の事を解り易く説いている」に過ぎないという事です。つまり、最後に説いた「法華経」だけが全てを説いているという事です。
他にも、色々ありますがとりあえずこの辺で・・・。
それと最後に、「仏像」は釈尊の時代にはなく、後世に出来た物です。
とりあえず、「仏教」に関して書いておきます。