元ネタ大作戦!!第3ステージ 過去ログ

No. 118 私論、桶狭間の真相

富士見と美神のファン : 01/06/25(Mon) 12:57

ええっと・・・ごめんなさい。近頃はちょっぴし忙しかったもので、小説の
ほうも「元ネタ〜」への投稿もすっかりなおざりになっていました。
桶狭間の戦いが奇襲ではなかったという説の根拠はいろいろあって、第一に
今川義元は上洛を目指していたのではなく、単に尾張に領土を広げよとして
いただけだったということが前提にあります。その理由は、例えば長尾景虎(上杉謙信)はと織田信長は桶狭間の前年の1559年に上洛しています。信長の場合は少数でこっそり上洛していたようですが、謙信の場合は五千人もの軍勢を引き連れています。その際に謙信は、京都の道筋にある朝倉や六角などの大名に自分達の進路を妨げないようお願いしています。もちろん、1568年に信長が足利義昭を連れて上洛したときもそうです。その時、六角義賢が滅ぼされたのは、信長の通告を無視したからであって、信長が事前に工作を怠っていたわけでなないんです。ところが、今川義元の場合そういった根回しをした様子が全く見られません。
第二に、信長は圧倒的多数の敵に対して一発逆転を狙って奇襲攻撃をかけたといいますが、これも全く根拠がない俗説なんです。実際、織田軍の行動は今川軍に筒抜けでしたし、リアリストの信長がそんなバクチみたいなことをするのもなんだかおかしいですしね。実際、「信長公記」には信長が今川軍本体に真正面から襲い掛かったと書いています。
第三に、今川義元も窪地に本陣を構えていたわけではありません。「信長公記」によれば桶狭間の地形は「おけはざま山」となっています。前述のように今川義元は信長の行動はちゃんと知っていましたし、第一桶狭間周辺は「MISTERジパング」でもやってた織田軍の三河における前線基地、安祥城陥落の後はずっと今川の領土だったのです。
では、以上の点を踏まえた上で信長がやろうとしていたことは一体なんだったのか?私なりに推測しますと、通説では今川軍およそ三万に対して織田軍はおよそ五千。しかも、丸根や鷲頭の砦の守備にも兵力を裂いているから、実際信長が動かせた兵力はせいぜい二千〜三千となるでしょう。
信長はこの部隊を温存し、丸根や鷲頭の砦はハナから見捨てるつもりだったのではないかと思います。そして、この二つの砦を落とした敵の部隊(家康軍と朝比奈軍)が疲労しきっている所に、温存していた精鋭をぶつけるつもりだったのではないでしょうか?つまり、一番弱っている敵に大打撃を与えて、今川義元の出鼻をくじくのが目的ではなかったかと思います。前述したように、今川義元は上洛のための長期遠征の準備はしていません。と、なれば、敵が手強いとわかれば義元としてもまた出直してくるしかなかったからです。
さらに、「信長公記」には信長が、大高城にいる家康軍と義元の本体を誤認していたことをにおわせるような記述もあります。そこで考えられることは、今川義元は信長が大高城の家康軍を狙っているのを知っていた。ところが、信長のほうは家康軍と義元の本体を間違えていた。さらに幸運なことに、大雨が織田軍の、義元本体に向かう行動を秘匿してしまった。てっきり家康軍を襲うと思っていた今川軍は、雨が上がった直後に突然織田軍が自分の本体を襲ってきたので驚いて四分五裂してしまった・・・っといったところでしょうか?
結論としては、桶狭間の戦いは信長の勘違いと天が信長に味方したというまったくの幸運がもたらした勝利だったのではないかと思います。


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