西暦663年の“白村江(「はくそんこう」もしくは「はくすきのえ」) の戦い”で敗れた後、大和朝廷が唐・新羅に対する防衛のために行った事業 の一つに“太宰府の北に大堤(おおづつみ)を築く”があった。この大堤の 名が「水城(みずき)」。現在も福岡県太宰府市に残っているらしい。 (全長約1km、幅37m、高さ14m) ちなみに、有名な「防人(さきもり)」の設置も上の事業の一つ。 参考文献・『総合資料日本史』浜島書店