書こうと思っていたことがもう1つあったことを思い出したので、それを書いておく。
角の三等分問題や円積問題などの作図不可能性は、普通、作図したい実数が「定規とコンパスで作図可能な数」の集合に含まれない、ということを使って証明する(※「普通」と書いたが、それ以外の証明が存在するのかどうかは知らない)。
そのとき、「作図可能な数」というものを定義するために、「定規とコンパスはこういう使い方しかできない」という一覧を厳密に定めていく。その一覧に従えば、確かに角の三等分問題や円積問題は作図不可能ということになる。しかし、私が前からひとつ疑問に思っているのは、「普通、『定規とコンパスのみによる作図』と言った場合、その一覧にはないタイプの使い方も一部認めているのではないか?つまり、その定式化は、一般的な感覚による『定規とコンパスのみによる作図』を正しく掬い取っておらず、よくある作図不可能性の証明というのは、もうちょっと深く考える必要があるのではないか?」ということだ。(別に、定規とコンパスの裏技的な使用法を考えているわけじゃなくて、後述の通りごく真っ当な使用法だよ)
まず、通常、「定規とコンパスのみによる作図」の定式化に当たっては、次のようにルール化する。
- 定規は、作図済みの2点を結ぶ直線を引くことに使える。ここで「作図済みの点」とは、始めに与えられた点と、その時点までに作図した直線や円の交点をあわせたもの。
- コンパスは、作図済みの1点を中心とし、作図済みの2点間の距離を半径とする円を描くことに使える。
- 以上のみが定規とコンパスを使って行える操作とする。始めに与えられた点から、これらの有限回の操作で作図済みになる点が「作図可能な点」になる。
一見、どこにも問題はないように見える。普通、「定規とコンパスによる作図」と言った場合、定規の目盛を使ったり、定規に印を付けておいたり、といった操作は考えに入れないし、これで全部の操作が尽きていると思う人も多いだろう。
では、「始めに円が1つ与えられているとき、定規とコンパスでこの円の中心を作図できますか?」と言われたら、あなたならどう答えるだろうか。おそらく、容易に方法を思いついて、「可能だ」と答えるだろう。実際、円の弦の垂直二等分線を2本引けば、それらの交点が円の中心だ。円の弦を得るには、円と2点で交わるような直線を適当に引けばよい。
ところが、今述べたような作図は、上記 1.〜3. のルールの下では「できない」ことになる。定規は「作図済みの」2点を結ぶ直線を引くことにしか使えないので、始めに何も点を与えられていないと、「円と2点で交わるような直線を『適当に』引く」ということが許されない!
しかし、普通の感覚では、「適当に」直線を引いて、円と2つの交点を得る、という操作は明らかに「定規とコンパスで可能な作図」になるのではないか。少なくとも、私はそういう感覚を持っている。
(類似の問題としては、「平行四辺形 ABCD が最初に与えられているとき、辺 AB の中点を『定規だけで』(コンパスを使わずに)作図できるか?」というものもある。ABCD の外部に「適当に」点を取って…という操作を通じて作図可能だが、上のルールに準じた制約のもとではそういうことはできず作図不可能になってしまう)
もちろん、今の例は、1.〜3. では認められない操作をしたからと言って、普通考える「作図可能な数の集合」が広がるという類の話ではない。始めに、円と交わるように引く直線 \(ax+by+c=0\) のパラメータ \(a\), \(b\), \(c\) の値によらず最終的に得られる点(円の中心)が確定する、ということは、その中心の座標をパラメータを使った式で表していくと最終的にすべてのパラメータが打ち消しあって不定性がなくなる、というだけの話だから、体の観点から言えば体が拡大されるわけではまったくないからだ。
ここで私が目を向けて欲しいのは、「ルール 1.〜3. は、普通の感覚で『可能』と感じられる操作をすべて表し切っているわけではなく、『定規とコンパスによる作図可能性』というものを追究する上では一考の余地があるのではないか」ということだ。私の頭では上述のような「適当に」直線を引いたり、「適当に」点を取る、といった例を思いつくのが限界のため、作図可能数の世界を広げることにはつながらなかった。しかし、それ以外に「ルール 1.〜3. では不可能だけど、普通の感覚では『定規とコンパスで可能』と感じられる操作」というのがあって、それによって真に作図可能数が広がる可能性というのは本当にないのか?という可能性は、まだ追究する余地が残っていたりするのではないだろうか。
実際、円と交わるように「適当に」直線を引く、というのは、非常に容易な「自明な操作」に思えるが、見方によっては必ずしもそうでもない。もし人間の意思が介在せず、「ランダムに」直線を引く、ということをした場合、それが最初の円と交わる確率は限りなく \(0\) に近い。無限に広い平面上の、たった有限の領域にしか円は存在しないのだから、平面上のありとあらゆる直線が等確率で選ばれるとすると、円と交わる確率は無限小だからだ。「与えられた」円と交わるような直線を「確実に」引く、というのは、実は人間の高度な認識能力に支えられた非自明な(かなり高度な)操作だと言える。「現実の」作図にそのような高度な操作が含まれているということは、それは 1.〜3. で捉え切れていない何らかの要素を含んでいる可能性があるのではないだろうか?
こういった疑問があるため、角の三等分問題や円積問題は、私の中ではまだほんのちょっとだけ「未解決問題」の色が着いた問題なのである。(と言っても、どんなに厳密な考察を繰り広げてルールを再定義してみた所で、それが「普通の感覚で可能なすべての操作」を「本当に」表し切っている、という保証には結局辿り着けないから、こういうことを言い始めると結局何も言えなくなってしまうので、どこかでは「これで全部、と認めることにしよう」と割り切らざるを得なくなることは確かなのだけれど)
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