終盤の展開・考察

  1. 真中の恋愛感情の 消滅
  2. 最後、作者に迷いはあったか?
  3. 引き延ばしの理由
  4. 路線変更の理由は?その2
  5. 終盤の真中と西野の関係
  6. 「青春もの」としての検討

真中の恋愛感情の消滅

終盤の展開では、真中からは突如として東城に対する恋愛感情を「消滅」さ せています。具体的に列挙すると

  1. 西野への告白やキスの際、東城のことがまったく頭をよぎらない
  2. 東城に彼氏がいる「らしい」という疑惑はあいまいな状況証拠しかないの に、もうそうだと信じ込んでしまい、ちゃんと事実確認をする気がなくなっ ている
  3. 西野とよりを戻したのは「東城に彼氏ができたから」ではない、と外村に 断言
  4. 「そんな半端な思いで西野を選んだわけじゃない」と北大路に断言
  5. 「初めて東城の姿を収めた」思い入れのあるはずのフィルムを編集してい るはずなのに、東城への未練が頭をもたげたりしない
  6. 「西野とつき合いを再 開した」ことをあっさり東城には告げる(北大路にはあんなに逡巡したの に?いくら東城に「彼氏がいる」と思い込んでたにせよ?) (Google cache)
  7. 「東城が文化祭に誘ったのは実の弟だったってわかっても/今は西野が大 切だ」
  8. 東城の告白にも、大して逡巡することなくすぐ返事をする
  9. 「今は東城の涙より/西野が見せたさびしい表情の方が俺を辛くさせるん だ」
  10. 西野の家でも、東城の顔はまったく頭をよぎらない
  11. 屋上で東城に会っても、手酷く振ったことへの気まずさはなし。おまけに 「見つめる先は多分同じ場所ではないだろう」
  12. 自作映像のダメ出しを依頼したり、その結果を聞くときも「信頼できる友 人」以上の態度はなし
  13. 西野とぎくしゃくしても、「こんなとき、東城だったら…」というような 比較・逃げの姿勢は見られない
  14. 家庭教師のときも、東城がまだ自分に未練が残っていたとはまったく思っ てもいない
  15. カラオケボックスで「東城じゃなくて小説」と迷いなく断言
  16. 卒業式のときも、「すぐに追いついてみせるから」と罪悪感なし

という具合ですが、これらは一面ではもちろん「終盤の 真中は、(一応)西野には一途だった」と評すべき部分です。

が、これは「何の考察も交じえずに、描いてあることを単に機械的に羅列す るならそうなっている」というだけの話で、「そんなにも唐突に東城 のことがどうでもよくなってしまう」というのは、読者に著しく甘えた極め て不自然でご都合主義的な展開です。その少し前に遡るだけでも、

という具合ですし、それ以前にもこれまでの3年弱の間、 真中が東城に深い思い入れを抱く縁・絆がたくさんあったことは言うまでもあり ません。さんざん繰り返されてきた「東城が自分にとって特別な存在である 」ことに彼の中で一体どう決着をつけたのか、説得力のある清算過程が読 者に見えないまま、何の理由も説明もなしに、「東城が文化 祭に誘ったのは実の弟だったってわかっても/今は西野が大切だ」だの、「今は 東城の涙より/西野が見せたさびしい表情の方が俺を辛くさせるんだ」だのといっ た短いモノローグで「消滅している」という結果だけ無理矢理出現さ せており、読者を舐めきった話としか言いようがありません。

おかげで終盤の真中には、いつなんどき「俺、自分の本当の気持ちに気づい たよ。俺、やっぱり東城のことが…」と言い出すんじゃないか、というヒヤヒヤ するような疑惑が最後までずーっとつきまとっちゃってるわけですね。この辺り の感覚が上述の「一応」という留保に凝縮していると言って よいでしょう。

この辺り、別項でも書いた通 り、東城と真中の間に「結界」でも作ったかのように接触・対話を断ち、誤解を 増幅させることによってしか、短期間で西野とくっつけさせる方法がなくて、そ の「結界」描写の一環なのでしょう。上で列挙した中でも、例えば2番目の 「東城に彼氏がいる『らしい』という疑惑はあいまいな状況証拠しかないのに、 もうそうだと信じ込んでしまい、ちゃんと事実確認をする気がなくなっている」 という部分は最大級におかしな部分で、普通の展開じゃ真中がいきな り東城を切り捨てて西野に走ってそのまま、なんてことには絶対 できないので、とにかくもうどんなに無理があろうが「東城には彼氏 ができた」と真中が思い込んでる「ということにしておく」ことが必 要で、作者権限で無理矢理言わせたセリフですね。あれはどう見てもそれまでの 真中から出てくるセリフじゃありません。

(「『東城にもたぶん彼氏がいる』というのは、真中が 自分に一生懸命そう言い聞かせることにより、東城への未練と恋愛感情に整理を つけていたのさ。だから矛盾なんかじゃないよ」という主張は成立しない。 北大路・向井への態度から、 そんな殊勝な心がけじゃないことは明らか)

また、「東城、今キミにすごく会いたい」の直後に東城の本気告白 を受けたにもかかわらず、大して逡巡することなくすぐ「今は西野のことを大切 にしていきたいんだ」と断った(おまけに、喉元過ぎれば熱さを忘れる、とばか りに西野宅に乗り込み、東城のことがまったく頭をかすめもしないまま事に及ん でしまう)、というのは、表面的には「会いたいけど、それはあくまで『友人・ 恩人・脚本家』としてだけで、恋愛感情からではない」ということに間違いはな いわけですが、これまたやっぱりそんなにもあっさりと東城に対して淡白に なってしまうというのは、非常に説得力の乏しい無理やりでいい加減な作 りですね。

(いや、いかに「無理のありすぎる強引な展開」であっ ても、パンツマンガ時代の「お色気アクシデント」に持ち込むための展開なら文 句言いませんよ?もともと「そーいうマンガ」で、 そのバカバカしさこそが見所のひとつだったんですから。でもストーリーマ ンガに移行したのに、ストーリー上の肝心な部分で無神経にそういうことをやら れては…。「その直前まで東城の彼氏疑惑に疑問を抱いていて、塾に向かうとき まではそれを確認したい、と考えていたことはどこへ行っちゃったのか」とか、 「試写会のとき『これは東城との夢の結晶だ』という認識だけは都合よく残って いるとはどういうことか」とか、余りに杜撰すぎてフォローできない点が目白押 しで、作者はそこから生じる矛盾には無理矢理フタをして後は知らんぷり です。パンツマンガ時代が長すぎて、そういうエピソードの作り方しかで きなくなっちゃったんですか、河下先生?)

ちなみに、こうやって真中の恋愛感情を無理やり消滅させている以上、最終 巻作者コメントの「お互い好き合ってても事情やタイミングなんかで一緒になれ なかったりする恋の不条理な部分」なんて描写にはなっていませんね。その「お 互い」の前提が成立していないんですから。「好き合って」いたのはノーブラ騒 動以前までで、それ以降の終盤の真中は「双子の弟」に取って代わられたような もんです。あれは「東城のことが好きじゃない」男の言動ですよ(それとも河下 先生の仰る「事情」というのは、「東城が知らないうちに、真中が双子の弟に取っ て代わられる」などというデタラメすらも含むのでしょうか?)。

最後、作者に迷いはあったか?

学園祭前後からの終盤の展開で、東城で締めるかそれとも西野で行くか迷っ ていたのか、それともラストは決まっていたのかは判断が別れるところですが、 こうやって終わってから振り返ってみると、「終盤に入ってからはもう、西野で 行くことに決まっていた」のだろうと思います。

このマンガは、学園祭前後から、それまで取っておいたカードを次のように 惜しげもなくバンバン切ってきて収束フェーズに入りました。

これだけ重要なカードを切ってきたんだから、作者サイドとしてはやっぱり 締めに入っていたんでしょう。で、「東城と西野のどちらを選ぶか」という重要 ポイントの見通しもなしに、なし崩しに締めに入るとは思えないんですよね。そ の時点で作者と編集の間では西野に決定していて、だからこそ天秤は西野側に大 きく傾き、東城側のアドバンテージはついに根こそぎ洗い流されていったのでしょ う。

「最終的にどちらを選ぶかは決めずに締めに入った」という可能性は、様々 な理由からないと思っています。そのひとつは「 流れが変わってからは真 中は一応西野一筋を貫いている」ということで、西野と再度つき合い始めて からの真中は、「正式な彼女」である西野に対する態度は、辛うじて人並程度の 誠実さ(笑)を見せるようになっていて、学園祭の前も後も一貫して、「東城が 好きだ」という直接的な描写は(一応)ない、ように見えます。どちらを選ぶの か決まっていなかったのなら、読者を煙に巻くため最後の最後まで(と言うか、 最後だからこそ余計に)真中にフラフラさせたことでしょう。

(その「誠実度メーター」が一番ぶれかかっていたのは多分東城に送られた ノートの小説を読んだ回で、あの時は「だって俺は東城のことが嫌いなわけじゃ ない」とか「これを読み終わったあとも俺はまだ西野と上手くやっていけるのか」 とかいうふざけたモノローグが飛び出して来ていて「この期に及んでまだそれ かー!」と激しく突っ込みたくなったものです(笑)。一応次の回で、ギリギリ セーフとなりましたが)

他の判断材料としては、西野とキスをするときと、ベッドインのとき、いず れも東城のことが真中の頭を掠めもしない、という点も挙げられます。もし、こ の時点で作者がまだ東城と結ばれる可能性を残すつもりだったら、「東城のこと が脳裏をよぎって真中がためらう」という場面を入れたはずだ、というのが私見 です。これまでは同様の場面では大抵そういう出来事が起こっていたので(もっ とも、チェルシーエンジェルイベント後の中学の保健室でも特にそういうことは 起きていなかったので、これは決め手となるほどの材料ではないですが)。

他にも、

といった辺りも有力な材料です。

また、上記のカードを切った段階では、もう残っているカードでめぼしいも のって、「ノートの小説」くらいしか ないはずです。これは話が西野寄りになったことが決定的になった後ではもはや あまり意味はないアイテムで(実際、そういう使われ方をしましたし)、仮に途 中で気が変わって東城側に持って行こうとしても、他によっぽど強烈な隠し札を 持っていない限りもう手遅れでしょう。

引き延ばしの理由

別項で述べた通り、このマンガの「事実上のク ライマックス」は学園祭後に真中が西野の家に押しかけて、夜を明かした回であ り、そこで終了するのが一番きれいな形だったんですよね。にもかかわらず その後10回以上も連載は続きます。

一度は西野で完全に決まったかに見えたのに、その直後からなぜか東城にス ポットが当たる話が続き、しかも 真中と西野のすれ違いが演出される。西野で終わるんならそんな描写はまっ たく不要で、とっくに終了すべきですから、ここまで来て急にまた、東城で終わ る気になったかのように見えてしまいます。しかしそれはそれでもう西野側に深 入りしすぎていて手遅れにしか見えないのも事実…というわけで、続行された理 由は、リアルタイムではさっぱりわからなかったんですが、終わった今その理由 を推測し、「なさそうな順」に挙げてみると…

  1. メディアミックスの商品展開の都合上、連載がもうちょっとだけ続いてく れないと困る、という大人の事情。ああ、担当編集者の「水希ちゃ〜ん、 悪いんだけどあと10回くらい引き延ばしてよー。内容なんてどうでもいい から、ヨロシク!」という無責任な声が聞こえるかのようだ(笑)。
    これはただのネタですが、「でもひょっとしたら万が一っ!」 と気の迷いがよぎってしまう所がパンツマンガであるが故の業の深さ。
  2. ブラジャーの伏線を、何としても最後まで使い切りたかった、という作者 の意地。
    ストーリーマンガとしては破綻しているパ ンツマンガなので、使い切れなかった伏線の死骸がそこらじゅうにゴ ロゴロしています。例のブラジャーは、このマンガにしては珍しく中期的 なスパンに渡って生かすことのできた伏線なので、これだけはどうしても 最後まで使い切りたかった………という理由も、やっぱりないだろうこれ。
    (「伏線の死骸」については、「編集からのテコ入れ要請があれば、伏線 の回収など一も二もなく放り出して、最優先で要請に応えなければならな い」ということが度々あっただろうことから、多少は大目に見なくちゃい けないんだろうと思いますが)
  3. 誰もがびっくり、大逆転の「唯とくっつく」エンディングに持って行く機 会を伺っていた。
    いや、不可能じゃないんですよ?(笑)「雪の日の回で東城が真中から精 神的自立を果たし、空港の回で西野が真中から精神的自立を果たした。そ して、2人から距離を置いたことで真中も成長し、数年後3人はもうお互 いを必要としなくなっていた。最終回、久しぶりに再会した3人。真中の 側にいたのは『やっぱりじゅんぺーの側にいてあげられる女の子なんて、 私ぐらいしかいないよ』と言ってちゃっかり真中の妻の座に収まった唯だっ た」という展開にすれば(笑)。
  4. 黒川先生の裏設定を出しておきたかった。
    ちょっとはあると思います(笑)。
  5. やっぱり、卒業式までは描き切りたかった。また、西野の留学問題に答を 出しておきたかった。
    これらは多少はありそう。
  6. ノートの小説」の伏線の決着を つけたかった。
    これは比較的強い動機だったと思われます。
  7. 「真中の成長」を描きたかった。ハーレムタイプのラブコメ要素搭載のマ ンガの宿命として、真中には一貫して非常に不誠実な思考・行動を取らさ ざるを得なかったわけで、これではくっついた西野が幸せになれるか非常 に不安。なので真中を一旦「リセット」する必要があった。
    多分、これと次の【8】が本命なのでしょう。
  8. 東城を救済したかった。
    真中への絶対的な信頼を描写しようとした結果、東城は真中へ極めて強い 依存心を持っているキャラとして描かれることになりました。それは2人 きりの更衣室(じゃあないのか。でもまあいいや)で「真中が脱げと言う なら(濡れた服を乾かすためとは言え)脱いでもいい」とまで言わせる程 で(正直やり過ぎ)、その依存心は「隷属願望」とさえ言える水準に達し ています。
    真中にはその東城を支え切れるほどのキャパシティーがあるとは思えない ので、これだと、2人がくっついても、将来互いに相手をダメにしてしまっ て、幸せになれるとはちょっと思えない(笑)んですよね。ただ、もちろ んラブコメとしてはエンディングで目の前の2人さえ幸せ一杯なら万事O Kで、彼らの将来にまで思いを馳せる必要は全然ないわけです。だから、 東城とくっつけるならそれは別に問題ではなかった。
    ところが、予定が変わって東城はラブコメのハッピーエンドからは弾き出 されることになってしまいました。この時点で連載終了だと、失意のどん 底の東城が将来幸せになれる目がまったく出てこない―――という訳で、 路線変更で西野によって最終ヒロインの座から蹴落とされた償いに、東城 には最大限いい役を振ろうとしたのでしょう。それは、以下のような非常 に優遇された描写から見て取れます。
    1. 雪の日の回:真中から精神的自立を果たさせる。真中には涙を見せ ず強く振る舞うが、別れ際には(読者には)涙を隠せない。
    2. 卒業式:東城は立ち直り、答辞も立派に務める。もう、真中と普通 に会話もでき、読者にも涙は見せない。まだちょっと内気でモジモ ジした仕草が見られる。
    3. 最終回:真中のことをいい思い出として吹っ切ることができ、すっ かり「いい女」へ変貌を遂げている。小説家としても成功し、おど おどモジモジした所は微塵もなくなり、4年ぶりに会った真中にも まったく動じない。
    と描写を重ね、「真中との恋は実らなかったけど、でも決して東城は不幸 になったわけじゃなくて、十分に幸せになれたんだよ」とアピールしてい るんでしょう。実際、最終巻の作者コメントでも、そんなことを述べてい ます。この優遇ぶりは、「 作者の持ちキャラ」への 愛着も手伝ってのことなのでしょうね。
    この辺りの描写を見ると、やっぱりラスト「東城に(無理にでも)勝たせ る」ことは、作者としては全然考えていなかったんだろう、という気がし ます。

………で、【8】の[1][2][3]を見れば「ラストでやりたかったこ と」はよく解るんですが、でもやっ ぱりそこに至るまでの展開をもうちょっと考えてよ河下センセイ!! とは強く言いたいです(笑)。

路線変更の理由は?その2

上記のように、終盤は作者の思い入れは西野よりもほとんど東城に向けられ ていた節がありますが、この見方をさらに推し進めると 「本命ヒ ロイン交替は作者自身が選択したもの」という説になります。

上記 blog で述べられている「西野が最終ヒロインになったのは、読者人気 に合わせたせいではないはず。だって完結させるなら、もう人気取りの必要はな くて、作者のやりたいようにやれたはずだから」という主張は結構説得力があっ て、私も同様のことを独自に少し考察してもいました。

私なりにこの説を補足するなら、これはどうも影が薄くなりがちだった東城 を強制的に話の焦点に据える作戦としては、非常に優れた面を持ちます。つまり 東城には悲劇のヒロインとしてスポットが当たりまくるわけで、実際真中の西野 への再告白以降の話では合宿前までとは段違いの存在感でストーリーの中央に君 臨し、最後までその座をほとんど譲りません。一方 西野は、特に学園祭以降は明らか に精彩を欠きます。

終盤に入る手前で「このまま予定調和的に東城がハッピーエンドを迎えても、 結局東城は十分活躍させられないままに終わってしまう。でも私は、ハッピーエ ンドを放棄してでも、この娘にメインヒロインにふさわしい活躍をさせてやりた い」と作者が決断したとしたら―――本命ヒロイン交替は、作者自身の意向によ るもの、ということも考えられるでしょう。そういう意味で、この説は確かにい ろいろな疑問点を説明できます。

この説の難点は、「それにし ちゃあ東城が敗れる直接の原因がノーブラ騒動に端を発する真中の誤解、と余り にもしょーもなく、かつ弱い」という点です。作者本人の意向で描かれたの だとしたら、あそこまで無理の多い展開で西野とくっつけさせる必要はないんじゃ ないか?という部分が極めて不自然で、 個人的には結局「いやー、やっ ぱり西野の読者人気に迎合したんじゃないの?」という見解に戻ってしまいます 。最終巻の作者コメントも、どちらな のかいまいちはっきりしなくて決定打に欠ける、という点がもどかしいです ね。

終盤の真中と西野の関係

終盤の真中・西野の描写を追っていくと、カップルとしてはずいぶんとお粗 末な部分が目につきます。西野に ついては既に別項で詳しく見たので、ここでは真中を中心に一通り見ておく ことにしましょう。

終盤の始めで真中が西野を「選んだ」のは、明らかに真中の「逃げ」でした。 「東城がダメになった」と思い込んでいた所に「もっと甘えてよ」とか「ヒトっ てどこかに逃げ場がないと…」みたいな耳あたりのいい優しさが丁度いいタイミ ングで差し出されて、「東城がダメだから、もう西野『』いいや」と 逃げたのが見え見え。真中が外村の追求に対して否定しているにもかかわらず、 事実上そう言ったも同然、ということがありありと見てとれてしまうのは、状況 的に、「手近なところで手を打っておこう。相手はいいって言ってくれてるんだ し、こんなおいしい話はない」という打算が、少なくとも無意識のうちには働い たとしか思えないからですね。この場での西野は「東城の代用品」、「東城の予 備」扱いをされていたに過ぎません。

北大路や向井に対して、西野とのことをちゃんと告げなくちゃいけない、 という大事なことが真中の頭に浮かばなかったということは、真中の西野に 対する向きあい方が極めていい加減だった、ということの動かぬ 証拠です。本当に西野との付き合いを真剣に考えていたんなら、他の 娘との関係をちゃんと清算しなくちゃいけない、ということに当然意 識が向かわなくちゃいけませんから。

北大路に対しては、外村に言われるまで思い出しもせず、向こうが迫ってき てようやく言えた、という有様でしたし、向井に対する態度なんかもっとひどい。 向こうから言われなかったことをいいことに、知らんぷりしてとぼけ切った、と いう形になっています(北大路に対しても、向こうから言われない限り真中の側 からは言うことはなかったのでは…)。いかに向井本人から「保留にして欲しい」 と言われていたとはいえ、その保留の事情がキャンセルになった、ということは 当然伝えなきゃいけません。塾で何度も顔を合わせているのですから、 「西野がいるから、こずえちゃんの気持ちには応えられない」と言う機会は何度 でもあったはずなのに、「今この瞬間にも、彼女は自分にちゃんと好きだと言う ための努力を積み重ねているかもしれない」という当然のことすら思 い浮かばないばかりか、いけしゃあしゃあと帰り道を送って行こうとまでする、 なんて、いくら真中でも不自然すぎます

また、別項でも書きましたが、 「東城に彼氏がいる『ら しい』という疑惑をあいまいな状況証拠だけで信じ込んでしまい、ちゃんと事実 確認をする気がなくなっている」なんて話は極めて説得力に乏しい訳ですが、 これも、もし真中が「どんな事情があったにせよ、俺は西野にあれだけのことを 言って選んだんだ、だからもう東城の彼氏疑惑が本当かどうか、なんてことを気 にする資格は俺にはない」とまで決意した上で「確かめない」ことを選んだのな ら、それはそれで筋が通っていて、(東城派として非常に不本意ではあるけれど) 評価してやってもよかった部分です。しかし、実際は「北大路を振らなきゃいけ ないことを忘れていた」「向井に対しては知らんぷりしてとぼけ切った」などと いう、ただ舞い上がっていただけに過ぎなかったため、全部がおじゃんになって いますね。終盤の真中は、自分の心にさえ嘘をついて、西野・東城・北大路・向 井の気持ちを玩んでいただけに過ぎません。

本来なら、ここで東城に事情を尋ねて、本当のことを知った上で、「さあどっ ち?」(あるいは、北大路と向井も含めて、「誰?」)と迷わせた上で、「それ でも自分の中に確かな理由を見出して本命を決定し、選ぶ」というプロセスを経 て選択が行われるべきなのに、そうしなかったもんだから「西野を選んだ」こと の重みが非常に軽くなってしまっています。その部分は学園祭に至るまで後回し にされた挙げ句、上述の ような短いモノローグいつの間にそんな重大な決心がついたのかよく わからないまま非常に形式的に片付けられてしまっているわけです。

致命的なのは、カラオケボックスのシーンで「ずっと肝心な部分には触れな い関係だった」というモノローグによって、「誠実に西野を選んだとは 到底言えなかった」ということまではっきりと真中が自覚しているた め、結局真中が西野を「選んだ」のも「『もっと甘えてよ』とか『ヒトっ てどこかに逃げ場がないと…』みたいな耳あたりのいいことを言ってくれるうわ べの優しさが丁度いいタイミングで差し出されたことと、見てくれと、ライトエッ チサービスに目が眩んだだけ」という極めて薄っぺらな 選択だったことが確定していることです。

最終的には真中は西野を「選んだ」とは到底言えず、単に「目が眩んでいる」 間に、「うまいこと作者が(邪魔者の)東・北・向を始末してくれた」おかげで 「もう、西野しか選択肢が残っておらず、今さらどうしようもなかった」という 消極的な理由に過ぎないのです。

他にも、

という具合で、ちっとも心が通じ合っているように見え ません(一部、 西 野の欠点として挙げたリストとのダブりがありますが、同一のイベントが真 中側の失態と西野側の失態の両方を描いていることも多いので、そうなっていま す。ご了承ください)。

そもそも、真中にとって西野がどういう存在かというと、まず第一に「与え てくれる」存在なんですよね。「かわいくてやさしくて、俺のこと誰よりもわかっ てくれて」というセリフが端的に表しているように、まず不安を埋めてくれる、 それから性的満足を与えてくれる、という具合で。西野と真中の関係を「スキン シップ勝ち」と評した方がいましたが、言い得て妙だと思います。真中にとって 西野は「何かをしてあげたい」存在としては希薄で、「笑った顔が見たい」とい う抽象的な表現でしか表されておらず、事実上一方的に「奪う」「与えてもらう」 だけの関係でしかありません。東城との夢が重なり合ってるのとは大 違いです。

おまけに、結局「つり合ってない」ままなんですよね、この2人。真中は真中 で相変わらず西野に猛烈に気遅れしてて、「西野って俺の一体何が好きなんだ ろ…」と悩んだり、「本当は俺、西野にふさわしくないんじゃないだろうか…」 と落ち込んだりしていて、西野に嫌われないよう、ずっとびくびくおどおどする ばかりで、腫物に触るかのような扱い・つき合い方しかできていません。「どこ が好きなのか」を直接尋ねることもできない、というのは、正式な彼氏彼女 の間柄にふさわしくないひ弱な関係と言わなければいけないと思うのです が…。こういう所は、最初に振られたときの「西野は俺と同じ目線で恋愛をした かったのに、俺はいつも西野を見上げる形になってしまっていて」という反省が 全然生かせていません。連載初期だけではなく、終盤ですら互いに相手 を分かり合おうとせず、住む世界が違う存在として描かれています。「それが原 因になって結局2人は破局する」という話にするつもりだったのならともかく、 このカップルを成立させて終わらせるつもりなら、真中が自覚を持って その問題を解消する、という展開は欠かせません。それが、「主人公」 というものに対して要求される最低限度の資質というものでしょう。仮にもストー リーマンガの体を装おうとしている以上、そこはストーリー上必要不可欠な 急所であって、なしくずし的に知らんぷりしたまま幕を下ろしてしまう、な どということは、読者に対する重篤な裏切りです。

そして西野も西野です。かつて西野自身の言った「雰囲気に流されない で」というけじめも結局ぶち壊しにされて、雰囲気に流されただ けで西野を選んじゃったことに知らんぷりなのはお粗末ですし、 別項で挙げた問題点に加えて、 真中の承認にアイデンティティーを委ね切っているばかり。ついでに言えば、ラ ストのカラオケボックスの場面で「フランスに行くまではまだ彼女」ってのは 「白紙化」した動機・理由から言ったらほんとは NG ですよ(これは要するに作 者が西野派のご機嫌取りをやってるだけですね)。

さらに、「東城には『俺が好きなのは西野だ』と言った」と西野に報告に行っ た真中がどんな扱いを受けるかと言うと、告白前と同じく西野が一方的にお恵み を垂れ、真中が奉仕されていい目を見るだけで、西野の真中への接し方としては パンツマンガ時代と同じ、内面の乏しいお人 形さん同然で進歩がありません。「真中とくっつく」という役回りを演じるため だけのハリボテ人形。それが終盤の西野です。いつまで経っても身体の関係だけ に留まり、相手の心に踏み込んで信頼関係を構築しようという意思は感じられま せん。

時には相手にぶつかってこそ、信頼し合える関係に到達できるというもので あるはずなのに、西野も真中も、お互いの真心が信頼できないままおっかなびっ くりの表面的な関係に終始しているのです。

こういった所は女性読者はやはり気になるものらしく

と厳しい見方をしています。

結局、相手の求めるものにお互いあ まり応えられないままな上にそれを克服しようという意思・行動にも乏しいため、 正直な所ちっとも幸せそうじゃありません。そういった双方のいい加減な態 度のせいで、真中の「これが、俺の本気」というセリフも、西野の「どうしよう もないほど好き」というセリフも、極めて嘘臭いものになってしまっていて、 互いに告白してカップルになるという上辺さえ達成できればそれでよくて、 それ以上その関係を充実させようという真剣さなどないようにすら見えま す。

おかげで「くっついたこと」それ自体が幸せなんだ、内実なんかどうでもい いんだ、という表面的な見方をしないとあのカップルが幸せとは思えないような 有様です。「ずっと肝心な部分には触れない関係 だった」というモノローグを受けて、「やっと肝心なところに触れ合った」とい う姿を描くかと思えば、それはうやむやのうちに済まされちゃって、そんないき さつがあったのかどうかもはっきりしないままですし。

真中の再交際受諾以降から、東城の描写を抜いて、真中・西野の2人の関係 だけ眺めたら、何ともみすぼらしいカップルになります。求心力のない真中・西 野カップルに大きな進展が見られるのは、「学園祭の最後、東城の本気告白で真 中が背を押されたとき」と「東城が眠っている真中にこっそりキスしてしまうと き」だけで、そんな所でさえ東城頼みで、自力では完遂することすらできない関 係なのです。これら東城の行動の反動の「反発力」でマンガ的に何となく西野側 に重心が移ったように見えるんだけど、実際真中・西野が相手に互いに向かい合 い、認め合う説得力のある展開は何もない。

無理矢理ストーリーラインを奪って行った割にはしょぼいカップルにしかな らなくて、東城のあれほどまでに切実な想いを犠牲にし、 あんなにも相性ぴったりだった 東城との仲をぶち壊しにしてまで無理矢理でっちあげる価値なんか これっぽっちもないと言うしかありません。

河下先生、一体何のために東城に身を切るような思いをさせてまで身を引か せたんですか!?もう、当時も今も、こんな「もったいない!これじゃ あ元々の予定通り東城とくっつけた方がずっと気持ちよく読める話になってたは ずじゃないか!」という未練がいやが上にも募るような描写、頼むか ら勘弁してくれ!!という思いが去りません。せめて天下御免の熱々カップルぶ りを存分に見せつけてくれれば、それほどまで未練が募ることもなかったのです が…。

「青春もの」としての評価の検討

このマンガの終盤は、「青春もの」として高い評価を得ることが時にあるの ですが、これはかなり疑問と言わなければなりません。第1の障害が 東城がほとんど何の見返りもなくボロ雑巾のように使い捨て・見捨てられてしまっ たことで、第2の障害が真中 と西野の心がちっとも通じ合わず、祝福するにふさわしい資格に欠けるとい う点、そしてもうひとつが西野 が選ばれる過程が、余りに露骨で都合のよすぎる運とタイミングにべったり依存 しているという点です。また、もちろんこれらは密接に関連しあっています。

真中と西野の関係を「なかなか心が通じ合わない、という障害がありながら どうしようもなく相手に惹かれ合って、不器用な2人がぎこちなく壁を克服して いく所が切なくて感動するんだよ!」だの「青春時代の恋なんて、いっぱい間違っ てお互い傷つけ合っていくもんで、そうやって躓きながらお互いを認め合ってい くもんだ。そういう過程が描かれているんだから、それでいいんだ」だのと言っ て美化して済まそうなどというのは(最終話のジャンプ掲載時の扉アオリが まさしくそんな感じでしたが(笑&怒))、自分に都合のいい所だけ しか見ようとしない茶番極まりない言い逃れで、以下の 通りものすごく色々なものを「見なかった」ことにしないと成立しな い詭弁です。

まず第一に、成立までの過程として、その関係は 「真中の方から告白してきたから付き合った のに、ちっとも自分に興味を持ってくれるように見えず、せっかく話しかけても 上の空ばかり。そればかりか他にもっと好きな娘がいて、正式な彼女である自分 を蔑ろにしてその娘のことばっかり見たり考えたりしている」なんていう失礼千 万な酷い扱いを受けて幻滅し、「もうこいつとはやって行けない」と「自分から 見放した」にもかかわらず、そのことの落とし前もつけずウヤムヤにし、真中を 見放した原因の一番の核心である「自分よりも好きな娘が他にいる」ことに何ら 変化を見出したわけでもなく、再度真中を好きになるような強い理由など何もな いまま、催眠術にでも操られたかのように突如として「どうしようもないくらい」 真中のことが好きになってしまい、他の男に目もくれずに真中に尽くして、尽く して、ひたすら尽くしまくって誘惑し迫り続けるような、「そんなに尽くす甲斐 のない相手、もう見放そうよ、西野さん!」と評すべきマネまでしてやっと得ら れたに過ぎず、そうでなければそもそも始まりさえしなかった偽 りの関係でしかありません。そればかりでなく、 ノーブラ騒動とその後の奇跡的 偶然がなければ始まらなかった関係でもあります。そして、西野と真中の再 交際以後のうまくいかなさ・すれ違いっぷりからするに、もしもノーブラ騒動の 偶然がなかったら、彼らが付き合い始めることは絶対なかったはずです(あんな に「互いに相手が好きー!」という最高の滑り出しだった付き合い方でさえあん なにあぶなっかしかったんだから)。そういった偽りを勘定に入れずに、「その ぎくしゃくした、うまくいかない人間関係というのは現実にもよくあることで、 それをとやかく言ってもしかたがない」などという一般論に塗り込めて正当化し ようというのは言葉遊びの類であって、単なる子供だましです。

そしてまた、成立後の2人の関係も「すべてが結論先にありきのシナリオに 沿うまま、登場人物の感情を切り捨てて動かすだけ」の「 恋愛感情が消滅した真中 」「学園祭のときに真中を見捨てもせずに、真 中に縋るばかりの西野」によって無理やり維持されただけで、そうでなけれ ばあっという間に破綻してしまったはずです。空虚で白けます。

さらに、真中・西野双方の不 誠実さは極めて深刻であり、これは「未熟でぎこちない恋愛模様がリアルに 描写された」のではなく、「人間関係が貧弱過ぎ、恋愛模様の描写としてはお粗 末過ぎで体をなしていない」というだけのことです。(作者の描き方が)た だ単に恋愛模様として理不尽なだけで、「だんだん認め合っていった」な んていう描写は、事実上皆無です。いったいどこの世界の「リアル」なんでしょ う、それは。

そんなチンケな甘やかされた「おままごと」で演出された紛い物の 「もどかしさ」ごときに「切ない」と心を動かされるような、おめでたいに も程があるような感受性は、私は持ち合わせていません。そもそもはじめ の「どうしようもなく相手に惹かれ合う」という所からして 偽りと欺瞞に満ちていますし、ちゃんちゃらおか しいですね。

もしも、2人の関係がもっと充実したものだったら、「入り口こそものすご い偶然に頼ってたけど、これだけ相手のことを想いあうカップルになるんだった ら、どの道こうなることも十分ありえた」と許容できたことも考えられるし、東 城のことにも目を瞑って「お2人さん、お幸せに」と祝福してあげられた可能性 もありました。けど、あれじゃあ到底そういう風に思うこと はできません。

あの結末というのは、二重の意味で、単なる消去法です。真中の選択につい ては、ノーブラ騒動の偶然によっ て「たまたま」西野と表面的に付き合っていただけの期間中に、 「ちょうどうまい具合に」東北 向を「始末する」ことができ、もう西しか選択肢が残っていなかっただけ。 西野の側も、ちっと も真中との仲を深めようという意志が感じられない所からして、「真中を選 んだ」と言える要素は著しく蝕まれており、最終的には「真中と西野」を熱望す る読者のためだけに、真中を「あてがわれた」のです。まる で、家畜が繁殖のためにつがわされるかのように。最終話で 割かれたページ数にも表れていますが、これは「西野と」結ばれた、という物語 ではなく、「東城と、ではなかった」というだけの意味しか ない物語に終わってしまっています。

「東城と真中のような、物語に彩られた派手な話より、 両想 いで、相性もぴったりだったはずの子と、ほんのわずかなすれ違いだったり ほ んの少しのタイミングの悪さで結局 結ばれないまま終わってしまったり。本来 は 本命ではなかったはずの子と、つきあうことになって、多くの時間を過ごし て、離れがたくなってしまったり。青春って、人生って、理屈じゃないんだなぁ という、現実の苦さを描いた地味な話の方が価値があるんだよ」と言っ てあの終盤を正当化したいのであれば、ノーブラ騒動なんて軽くて無理矢理な偶 然によってもたらされただけのものを認めちゃいけませんし、それだっ たら何より真っ先に「雪の日の別れからカラオケボックスに至る一連の流れ」こ そが槍玉に挙がらなければいけません。何しろ、

なんてのは、ドラマチックこの上ない展開にほかな らないわけですから、地に足を着けた、地味な「現実回帰」にこそ価値が あると言い張るのでしたら、ここはそんな奇跡的な展開など何ひとつ起こらない ままただ淡々と時が経過し、結果として 留学に関して詳しい ことを何も話そう・詰めようとしなかった西野・真中のカップルは、 なす術もなく自然消滅した、という話こそがふさわしかった はずです。それこそが「現実の苦さ」というものでしょう。

それに、そういう所に価値を見出すならば、「真中と結ばれる」ことを唯一 絶対の価値とするパンツマンガ時代の下世話で安っぽい描き方から、 「現実の苦さ」を受け入れる屈託こそを最終目標とする描き方にシフトしな ければお話になりません。最終回の真中・西野のように「4年もの間別れ 別れでも想いが色褪せない、深い深い絆で結ばれた2人が、誓いに従って結ばれ る」という、おとぎ話みたいに能天気な「バラ色の幸せな結末」が一方的に提示 されるだけなどもっての外です。「大学不合格や、2人が一 旦は離れ離れになるという『痛み』を背負う場面はちゃんとあり、少年誌なんだ からそんな要素は一時仄めかすだけで十分」などと「少年誌」を理由に持ち出す のであれば、「予定調和」から大きく外れた「地味さ・苦さ」を正当化の口実に する根拠がなおさらなくなりますし、 そこまでして弁護しなくちゃな らないほどの深い人間関係など描かれていません

「真中と西野の想いがなかなか噛み合わなかったのは、あっさりくっついて しまったのではありがたみがないからで、そこにケチをつけるのは筋違い」と言 い張りたいのでしたら、最後、その壁を「2人で努力して乗り越えて」くっつく 所にこそ描くべき価値があるのに、東城の自滅という敵失で「たまたま」そ のきっかけが得られただけで、「乗りこえるべき壁」がウヤムヤにされちゃった んじゃ、何の価値もありません。

「とぎれそうになった儚い絆が、二人の信頼によって辛うじてつなぎ止めら れ、奇跡の回復を果たした」という話にしたいなら、

といったところに頬被りしようなどというのは許されま せん。それを「現実的だ」などと言って評価しようなどというのは、現 実というものをバカにした過大評価であって、「リアルさ」を単なる 方便として責任転嫁の口実に使った無責任な逃げです。「いや、その偶然の些細さ こそが『1回限りの人生』の儚さを表していて、そこに人生の尊さが込められて いる。だから東城派は東城の不運を認めなきゃいけないんだ」と言い張りたいの だとしたら、先ほど述べたような単なる消去法に過ぎない真中・西野 カップルや、その後あんなに東城に屈託なく接する真中のおかげでその「人 生の尊さ」とやらを込めたはずの儚さもぶち壊しです。

ちょっと違った角度からの視点として、 「アイズ」は、あの最終回、個人的には非常に納得いかなかった もので。伊織の夢は、連載初回から女優だったのに。(中略)舞台に出るってい う夢をつかんで、ようやく夢の一歩を実現するところだったじゃん。/ なんでそれを「イチタカのそばにいる」なんて理由で全部チャラにされなきゃ いけないのよ!と、当時すんげー怒りました。それ以外選択の余地はなかった のか? / 少年誌的には「アイドル的な女の子が自分のそばにいてくれる」 ことがドリームなのだと思います (中略)自分自身のために夢を追いかけた西 野が真中と別れ、真中のために自分を捨てることをいとわない系統の東城が最終 的に真中のそばにいてハッピーエンド…これだと、ジャンプはいつか「アイズ」 がそうだったように、永遠に男の子のための雑誌であったと思うのです。いや、 ジャンプは永遠に男の子のための雑誌だけどさ。/ だけど、西野は夢も恋もつか んだ。主人公と違う夢(映画とパティシエ)であっても、それは共存することが できた。(中略)そーゆー意味でいちご100%が「西野エンド」ではなく「非・ 東城エンド」であったとゆーのは画期的なことだったと思います。のよ うに、「女の子が『自分自身のために夢を追いかける』ことを、『アイドル的な 女の子が自分のそばに居てくれる』ドリームよりも優先し、男の子向けの雑誌で あるための歪んだ奉仕関係を否定した」ということに価値を見出して本作を擁護 する意見もあります。

ですが、作中での「西野と真中の夢の共存」の描き方は非常に形式的で、 西野の自己実現は限りなく希薄です。それは「フランスへ行きました。 帰ってきました」という他人事みたいな淡白な描写で済まされていて、結局パティ シェ云々が設定・セリフだけで済まされているからです。

165話も167話も、西野の描写の力点はあくまで「真中が選んだのは西野だった。 西野はただ一筋に真中だけを想っている」という所にあり、結末の「最後に西野 は真中のもとに戻ってくる。2人は結ばれる」という一点に感動が収束すること を主眼にして構成されています。それは要するに「西野派男性読者が一 番見たいもの」であって、だからこそ「西野のパティシェとしての自 己実現」はむしろ読者の意識からは消されるよう、最大限に配慮された描写になっ ているのでしょう。読者のドリームに応えるには、「『4年間の別離』なん てものは、事実上なかったも同然」という描き方をするのが一番ですから。

そういう意味で「西野の自己実現」は極めて蔑ろにされており、こ れは事実上「アイドルみたいな子が自分のそばにいてくれる」ドリーム に寄り添ったエンディングにほかなりません。そのことをはっきりと 暴き立てるのが以下の指摘です。 (2005.08.30 の所)で、最後にそれぞれの結末が描かれ、東城は 作家として順調に歩み始め、北大路は女将として将来を決め、南野[ママ]は大 学へ進み、西野だけは「真中くん、これからも一緒にいてくれますか」[ママ]だった。/ 男におまかせかよ!(ノ`Д´)ノ ~┻━┻ アンタ留学してケーキ職人になるんだろ!どう考えたってフラ ンスでケーキ修行している方がヘナ男待ってるより楽しいよ! / …と女は思っ てしまうので、西野は(年いった)女には人気がなさそうだ。扱い易そうで都合 良さそうだもんな、西野。つまり、最後は西野こそが「真中のため に自分を捨てることをいとわない」タイプに(事実上)なってしまってい て、「主人公と違う夢との共存などというものは、このマンガでは描か れていない」と言っていいのです。

【 追記 】 なお、この点に関しては、元記事を書かれた方と電子メールでのや りとりを重ねた結果、“西野は夢も恋もつかんだ。主人公と違う夢(映画とパティ シエ)であっても、それは共存することができた”“そーゆー意味でいちご 100%が「西野エンド」ではなく「非・東城エンド」であったとゆーのは画期的 なことだったと思います”という部分については、ああ、それは 自分で言った事だけど変だったな、そこは訂正して返上致しますというご返 答を頂きました。誠実なご返答にお礼申し上げます。やはりこういったこと を根拠にこの作品に価値を認めようとするのは無理筋なのですよね。

それに、あの展開だと、結局あのマンガを通しての東城の存在意義って一体 どこにあったのやら。最後西野とくっついて終わるんだったら、途中で離れるこ とに何の意味もなくて、いちばん初期の段階で「勘違いで告白してOKもらいまし た、そのままつき合ってめでたしめでたし」で終われば済んじゃうわけですから、 別に東城なんて必要ない話ですよね?東城はさんざん待たされた挙句バカを 見ただけで、 気になる男の子が、学校一の美少女とくっついて終わりなんて、 しかも自分のアドバイスがきっかけになってるんですから、夢も希望も無い。世 も末です。というコメントが、その空しさをよく表しています。「 何の欠点もなく恵まれた、太陽みたいな女の子が、奥手で口下手な女の子を差し 置いて脚光を浴びる」だなんて話は、「陳腐」なんて生易しい言葉で済ま せちゃあ、その人の知能程度を疑わなければならないほどに、形容の程度がこれっ ぽっちも足りていないわけで。その余りにも足りない欠落を 埋め合わせるだけの相応の説得力・完成度と言ったものにまったく欠 ける終盤に終わってしまったことには、心の底から落胆させられます。 「終盤は、東城の方の描写にこそ力が 入っていて、ちゃんと東城にも意義のある話になっている。だから、やはり 東城派は終盤の東城のなりゆきを 東城は真中から自立して自らの才能を開花させた。最後の最後ま で真中依存を思わせておいて。彼女はきれいに飛び立った。のようにポ ジティブに受け止めて、認め肯定しなきゃいけないんだ」などと言って正当化を 図ろうとしますか?そんなものは、 結果として、真中と西野の関係だけでは余りにもお粗末すぎる物語性を穴埋 めする尻拭いをしてもらっただけに過ぎないのであって、その薄汚い裏面をうや むやにしてもみ消そうとするおべんちゃらにしかなっていません。

まあ結局同じことを何度も繰り返し言ってるだけですが。ともかくこんな具 合に、その「リアルだ」「リアルであることに価値がある」という言い分を認め るには、 http://d.hatena.ne.jp/asinouda2/20050418/p1で言うところの「 忖度力」を、非常に高度なレベルで必要としますね(笑)。上で散々 けなしたことの他にも、

のように、読む側が不都合な真実に目を背けて限り なく都合よく読んであげなければならない要素が目白押しで、こんな体た らくじゃ、「このマンガって、パンツマンガ と見せかけて、その実は忖度力養成マンガだったんだな」とでも言う しかないですね(笑)。

詭弁の最たる所が、終盤になってからこのカップルを成立させるためのとばっ ちりで、東城があんなにもひどい目に遭わさ れた、という所で、そこに目を向けない、というのはおこがましいにも程が あって限りなく卑怯です。それまでの物語の「慣性」 を受け止める「質量」が余りにも小さい。天地エピソード(「君は僕を好きにな る」)も、向井エピソード(「友達だもんね、向井さんも、真中くんも…」)も 空転し、まさにこのときのためにこそ3年半に渡って延々と引っ張ってきたはず のことが水泡に帰し、かけがえのない、たった一つのものを喪った東城に対して、 西野がほとんど何の代償も支払うことなく、欲しいものをすべて手に入れたとい う悲惨さ・不公平さ。ノーブラ騒動の勘違いが決め手、という軽さ。そして最も タチの悪い所と言うと、 終盤(特に学園祭後)は、東城を利用するだけ利用してポイ、という形になって しまっている所です。真中の「映画監督の夢の手助け」「将来の夢への真剣 な目覚め」も全部東城がお膳立てするばかりで西野は何の寄与もせず、しかも、 東城が自分から何か行動を起こす度にご都合主義的に真中・西野カップル化に有 利な結果が転がり込むわけで、東城にとっては単なる「タダ働き」よりまだひど い。真中・西野カップルは、何重にも渡る東城への搾取の上にしかなり たちえないのです。

東城を「悲劇のヒロイン」として際立たせるために殊更落差を付けようとし たのか、作者が恋愛もののセオリーとして「最後に結び付くまでに、2人の心が すれ違い続ける」というのをやろうとしたのか、それとも単に考えなしだっただ けなのか、いろいろ理由は考えられますが、どんな理由があったにせよ、これほ どひどい有様では無惨な失敗と言わざるを得ないですね。

まったく、あのラスト2ページの2人のセリフ・モノローグの何と虚しいこ とか。「ワクワク」が裏づけに乏しくデッチ上げ臭さ にまみれた上っ面だけのセリフであることは言うに及ばず、真中の方も砂を 噛むように無味乾燥な「言葉の土くれ」を吐いてるだけです。どっちも「言葉の 屍」を晒しているだけで、何の重みも感じられない。あの東城を見殺しにし、東 城との充実していたはずの未来(「映画の中だけじゃない。東城となら何だって できる気がしてた。一緒にいてそんな気分になれた女の子は多分東城だけだ…」 というモノローグから、何と豊かな可能性が予感され、滲み出ていることか。 「西野はかわいくてやさしくて、それでいて俺の気持ち誰よりもわかってくれて」 などという表面的で依存心丸出しのセリフとは大違いです)をドブに捨ててまで 選択したはずの展開の末路が、その決断の重みにふさわしい「格」にまったく欠 ける、こんなにも空々しい、無様でみすぼらしい体たらくを 晒すだけで終わってしまうなんて、つくづく残念でなりません。


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井汲 景太 <ikumikeita@home.jcom.ne.jp.NOSPAM.>(迷惑メールお断り)
最終更新日: 2015年9月12日