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Amazon カスタマーレビュー

ふと思い立って、 Amazon.co.jp のカスタマーレビューからめぼしいものをリストアップし、 時折それをサカナに好き勝手コメントしてみようと思います(単なる思いつ き)トップページのリンク集内で時折、 一部を引用してコメントをつけていますが、あんな感じで。カスタマーレビュー は必ずしも東城派によるコメントばかりというわけでもないので、トップページ のリンク集とは別の場所でこのようにやってみることにします。

[2017, 7/16]「魅力再発見!!夢と成長が副 題の恋愛漫画。面白すぎて全巻レビューしてしまいました(笑), 2017/6/5」より

ここからいくつかは、同じレビューアーによる全巻レビューから取り上げま す。「全巻」なので19巻以外のものも含まれるため、それらについては個別に見 られるよう、表題にリンクをセットしておきます。

[2017, 7/18] この全巻レ ビュー、 blog でまとめられていたんですね。最初からそちらにリンクを貼っといた 方がよかったかもしれません。

第1巻レビュー「夢と成長が副題の恋愛漫画。「夢・努力・美少女」。, 2017/6/4」より

かわいい女の子。完成度の高いストーリー。緻密で感情表現に 富んだ絵柄。そしていちごパンツ。いや、 完成度の高いストーリーってのはどうなんでしょうね。 他の3つはともかく。

ヒロインたちが「主人公の夢を応援し、主人公とともに歩もう とする」ことで、読者は彼女たちのことをより親身に感じることができ、そして 彼女たちの愛らしさと魅力が相乗的に加速する。いや、主人 公の夢を応援って要素は、大半が東城に集中していて、西野や北大路は間接 的にしかそういう関わりを持っていませんでしたよ?ありもしなかった美点を捏 造するのは感心しません。

主人公がハーレム的にモテる話は数あれど、主人公が夢を追い かけている恋愛漫画は珍しい。そうでしたっけ?確かに、一番多いのはやり たいことが特にない、モラトリアム的主人公の話でしょうけど、 珍しいとまで言うほど少なかったでしょうか? [2017, 7/18] ああなるほど、 blog の別記事で結構詳しく検証されていたのですね。確かにこうやって実 証的に示されると珍しいという見解にも説得力が感じられま す。何点か口出ししたくなる箇所もないではないですが、ここは多くの例に当たっ て調べられた努力に敬意を表して、余計なことを言うのは控えます。「銀の匙」、 いいですよね。

第3巻レビュー 「爆乳娘さつき・盗撮魔の犯罪者外村・黒川先生 登場。話のテンポは落ちる。だがしかし, 2017/6/4」より

北大路さつきが登場する高校生編は話のテンポが落ち、(中 略)3巻の終盤あたりからは話の勢いが戻ってきます。後の方の巻のレビュー と合わせて読むとわかってきますが、要するにこの人は「西野の出番があって優 遇されること」を面白い・勢いがある、「西野が出番がないこと」をつまらない・ テンポが悪い・マンネリ化、という言い方をしているだけですね。単なるキャラ 贔屓を、作品の出来・不出来という客観的評価にすり替えようとしているに過ぎ ず、これが意図的なら悪質ですし、意識しないままに混同してしまっているんだ としたらレビューアーとしての資質の低さの現れです。

第4巻レビュー 「文化祭という目標が与えられる。しかし恋愛方向の話はここからマンネリ化してくる。, 2017/6/4」より

西野つかさに釣り合う男になるためにも高校でやりたかったこ とをやるぞ!!自信を失っていた真中を奮起し、目覚めさせる役割 を果たした東城のことにまったく触れず、ひとり西野だけが真中の意 欲に寄与したかのような書き方を臆面もなくするのですか?それは厚かましいに も程があるのでは。

第5巻レビュー 「お色気を交え、話は遅々として進まないようにも見えるが……, 2017/6/4」より

西野と真中を取り巻く「夢・成長・楽しいこと」というキーワー ドを1巻からしっかりと追っていれば西野と真中の関係って、そんなキーワー ドに取り巻かれていたでしょうか?真中の夢である「映画作り」には西野は まったく関わっておらず、嵐泉祭で真中に紹介されるまで「真中の夢」が何なの か知りもせず、その場で「ねえ もしかしてこの映画淳平くんたちが作ったの…?」 と尋ねるくらい、西野は蚊帳の外に置かれていました。それに対する「う ん/これが 俺のやりたかったことなんだ…!」というキッパリとした答が明確 に物語っている通り、この作品で西野はここまで「真中の夢」を巡る物語から疎 外されっぱなしでした。また、 西野の成長に真中自身が まったく関与していなかったのは言うまでもありません。西野と真中の成 長と夢は、ストーリー中で互いに乖離した回路としてバラバラに駆動していた のです。それはおそらく作者による意図的な隔離で、それこそがこの巻 の「ついに、西野が真中を見放して振る」という展開に重みと説得力を与えてい るわけです。

これまでこのページの他の箇所でも度々取り上げて来ましたが、西野派には しばしばこういった「真中と西野の夢と成長がストーリーとうまくがっちり噛み 合っていた」という虚飾に満ちた幻想に耽溺する人々が見られます( その1その2)。 この作品の読者が、ありもしなかった 虚構に囚われるのは西野派に限らず共通して見られる現象なのですが、やは りいちばん重症なのは西野派だと言っていいと思います。

誇らしげに語る真中を複雑な顔でじっと見つめる西野つかさの 切ない顔をよく見てください。(中略)この1コマは本巻の西野の話だけでなく、 後々のストーリーにも影響を与えた、超重大な伏線であり、とてつもなく深い感 情表現であり、河下水希先生の真骨頂ともいえるシーンです。これほどの絶 賛に値するまでの描写とは正直思わないのですが(すみません)、言及されてる 場面で出てくるヒロインは西野だけですし、西野派の方がここぞとばかりに西野 を称賛する気持ちはわかります。ただ、この場面だけではなく全体を通して見る なら、東城はもちろん北大路だって「表情の精妙さ」にかけては公平に見て西野 に遜色ない水準でした。西野ひとりを特別扱いすることが妥当であるほど傑出し た表情の持ち主だったかと言ったら、それは過大評価に思えます。

第6巻レビュー 「天地登場。マンネリ加速。レアキャラ西野。, 2017/6/4」より

真中がまっとうなラブコメしているのは、滅多に現われない西 野つかさちゃん相手だけじゃないかな、と思わされるような、東城とさつきとの 掛け合いにマンネリが加速し始めた6巻です。そうでしょうか???この6巻 だったら、真中が放課後の部室で思わず東城を抱きしめてしまう、という行動を 2度も起こしており、いよいよ真中の心が東城ひとりに決まりつつある…という 部分がラブコメとして最も注目すべきポイントなのではないでしょうか。それと も、それは性的スキンシップ方面に偏りすぎており、まっとうな という評に値するのはプラトニックな西野との関係のみだ、という意図の言 明なのでしょうか。

実際のところ、ここら辺の展開で人間関係は一度飽和状態を迎えており、真 中も東城も、口には出さなくてもお互いの気持ちをほぼ確実なものとして受け止 め、信頼するようになっています。北大路に半裸で迫られた際も「せっかく今/ 東城といい感じなのに――」「駄目だよ 俺 やっぱ東城のことが…」というのが 断る理由で、「…でも それは俺がさつきだけを選んだとき言ってもらえる言葉 で/今は…やっぱりダメなんだよ…ごめん…」と拒絶するほど、心は「東城一筋」 に決まっている状態です。河下先生としては、真中の気持ちを曖昧にしたままの 引き伸ばしもここら辺で限界を迎えていて、後はもう順当に真中・東城カップル が成立させて連載を終了するだけ、という状態になっていたのではないでしょう か。その「作者の中ではもう話は終わっている」という事情があちこちから漏れ 出していて、連載が持たなくなりつつあるからこそ、真中も東城も、相手の本心 を事実上察知し、真中の気持ちも東城に決まっているという描き方しかできなく なっている…というのがこの辺りの描写なのではないかと思います。

で、河下先生としてはもう描くことがなくなっていて、順当に真中と東城で 無難に連載を終了したかったのだけど、編集部側はそれを認めず、ジャンプのい つものやり口で、無理矢理引き伸ばしを命じてきた。そのせいで仕方なく、 既にお払い箱にしたはずの西野を、ただ話の 都合に合わせて踊らされるだけの操り人形として再投入せざるを得なかった …というのがこの6巻で起こっていることなのでしょう。そのことと向かい 合おうとせずにつかさちゃんは、時たま君臨するレアキャラの女 神のような存在になっていましたとあさっての方向を向いた論評を繰り出し ていても、何の意味もないんじゃないでしょうか。

第7巻レビュー 「やっぱり西野が出てくる話は面白い!!, 2017/6/4」より

西野がメインの話が多くなったことで、マンネリ感が解消され ました。話としてはまったく逆で、西野再登場以降は、 西野がメインの話こそが最もマンネリです。 別ページで書いたことを引用しておきま しょう:

貸切りプールのときにしろ、保健室のときにしろ、集恋神社のときにしろ、W デートのときにしろ、海デートのときにしろ、真中のベッド潜り込み事件のとき にしろ、高3合宿後の真中家押し掛けのときにしろ、懸垂返しのときにしろ、泉 坂への弁当持込のときにしろ、「満ち足りた幸せな時間を過ごした」ときにしろ、 とにかく西野は散々真中に尽くすんだけど、結局真中が一方的に西野の好意 に奉仕されていい目を見るだけで、真中から「西野ときちんと向 かい合おう」という誠実さを引き出すことには成功してないんですよ ね。少なくとも16巻までは、西野の「奉仕」が終わるともう西野のことは真中の 心からほとんどきれいさっぱり消えてしまって、真中の心の奥底には結局「 東城とのノートの思い出」が繰り返し 甦ってくるばかりでした。そんなに尽くす甲斐のない相手、もう見放そうよ、 西野さん!アナタ16巻までは(下手したら16巻以降も)「ミツグ君」よろ しく真中に尽くすだけ尽くして、おいしい汁吸われてるだけですよ?な んでそんな奴が「そんなにも」いいの!?(そういう意味で、終盤突 入までの西野エピソードは「積み重ね」に極めて乏しく、「読者に西野とのドキ ドキエピソードを擬似体験させるための読者サービス」以上の意味はほとんどな かったと言えるでしょう(もちろん東城にだってそういうエピソードはいっぱい ありましたけど、西野エピソードって事実上そういうもの「だけ」しかなかった わけで))

こうやって、作中で実際に描かれていたことに即して考えれば他の高校に行って以来レアキャラ化していた西野ですが、その 分、現われるたびに真中に大きな影響を残していきます。というのが上でも 触れた通りの西野派のいつもの「虚飾に満ちた幻想への耽溺」に過ぎないことが 明白です。記憶が都合良く改竄されているだけで、「そうあって欲しい」という 自分の願望が、こっそり記憶とすり替わってしまっただけなのではないでしょう か。

しかし真中は何回さつきに向かって「さつきからはもう何もも らえない」って決意すれば気が済むんでしょうかね。。。この部分は非常に 同感ですね(笑)。

第8巻レビュー 「西野がストーリーに絡み、東城は夢に向かって飛躍。舞台は今年の合宿へ。面白そうな展開。なのに・・・, 2017/6/4」より

この巻のレビューは珍しくほぼ真っ当なことのみが連ねられています。真中 がバイト先でしょっちゅう別れたはずの西野と会っていた、ということを知った ときの「ふぅーん そうなんだ/真中くん教えてくれたっていいのに」という笑 顔の裏での、おそらく傷付き悲しんでいたであろう東城の本当の気持ち、西野に 対する混乱し屈折した感情といったものを描き出す絶好の機会だったのに、結局 東城絡みの話はそういう内心をすべて(作者が)隠し通し、 単なるお色気イベン トとして終わらせてしまっただけでした。最後のチャンスのはずの「帰りの 電車の中」も、結局意味ありげに真中の方を見つめさせていただけで、それを受 ける描写は何もなし…と、肩透かしな描写に終始してしまったのが何とも欲求不 満が溜まります。

1点だけ、映画撮影に参加できなかったことがトリガーになり あんなにドラマティックに真中をフッタ西野について言及しておくと、これ は西野が真中を振った理由を矮小化しすぎですね。 西野が真中を振った理由は、それより ももっと大きく、根本的な事情が複合化したものであって、 映画撮影に参加できなかったことも寄与してはいたでしょうが、それはあく まで主たる事情を後押しする副次的なものに過ぎませんでした。

第9巻レビュー 「【一番やばいベッドシーン!!】物語は西野ルート突入へ(+唯ちゃんの話) パティシエのライバルも登場, 2017/6/4」より

物語は明らかに西野つかさルートに突入しています。 ここにきて、いちご100%は四角関係の話から、西野つかさとの日 常という話に変わったのです。アンケート対策として始まった露骨な西野プッ シュですが、上述の通り作中の人間関係としてはほとんど進展がないまま同じ所 をグルグル回っているだけです。それが「西野ルート」に見えるのは、単に読者 の中では気持ちがリセットされず累積されていっている、というだけのことであっ て、真中の気持ちはその都度リセットがかかっているためストーリー的な積み上 げにはなっていないんですよね。東城ファンには申し訳ないです が、東城は西野の引き立て役になり下がっています。というのも、実際には 東城がずっと本命であり続け、西野は アンケート対策のために(本人の意思を無視されて)読者人気を利用され続けて いただけ、ということだと思います。西野派は何よりもこうやって西野「本人の」 意思を踏みにじって、自分の欲望のままに西野が操られることをよしとすること を恥としないといけません。このページの他の箇所で書い て別の箇所でも引用したことをもう 一度引用します。少々長いですがご容赦ください。

何度でも繰り返しますが、西野が、真中を『そん なにも』好きになる事情なんてのは全然なく、「真中の方から告白してきた から付き合ったのに、自分よりも好きな女がいる」なんていう失礼かつガックリ な酷い扱いを受けた結果「そのことに幻滅してもうこいつとはやって行けない、 と自分から見放した」にもかかわらず、「それでも、なお」再登場後の西野が真 中一筋なのは、「理由は全然ないけど、とにかく ストーリーの都合上、『好き』ということでいてくれないと困る」とい うだけの話でしかない」のです。である以上、西野のことが 「本当に」好きな人ならば、西野“本人の”気持ちを思いやって、 「そんなに無理矢理西野を真中一筋にぞっこんなんかにしないでくれ!」 と願うのが筋なんですね。それこそが本当に「西野が」好きな人のとるべき道で す。にもかかわらず、ほとんどの西野派の人々は、「男にとって都合のいい だけの、薄っぺらな行動をいつまでもいつまでも取らされ続けること」を 何の疑問も抱かずに受け入れるばかりか、それを願ってすらいるという有様です。

それは「西野が」好きなんじゃなくて、「西野が、真中(=自分) とくっつくことが」好き、あるいは「自分の中の、『一途に恋する西 野のかわいらしさ』が」好き、「西野が自分の思い通りに振舞ってく れることが」好き、というだけのことに過ぎません。本来、最初 の別れの後の西野が真中なんかを好きになるはずがないのに、「真中一筋」の 中身空っぽの言動を取らされ続けているのをいいことに、「自分の」身勝手な 欲望・願望を西野に押し付けて平気な顔をしている、というのは断じて 「西野が」好きな人間のやることではない 自分が気持ちいい思いをしたいがために、西野本人の意思や尊厳を踏みにじっ て西野を利用しているだけなんですね。その「自分さえよければいい」 という利己的な態度を「いや、西野は真中のことが好きで『自分で』『自主的 に』やってることだからあれでいいんだ」と正当化しようというのは、 「『余りにも』酷い扱いを受けて『自分から』真中を見放した最初の別れ の後では、西野が真中のことを好きになんかなるはずがない」という厳然たる 事実から目を背けているだけであって、そのやり口の卑劣さを自覚し ていない、という点で2重に罪深い言い訳です

(中略)

西野“本人の”意志・意向とは一体何か?それは、彼女自身がはっきり自分 の口で述べている「待ってるだけの恋してるなんてもったいなくない?」「今 度こそサヨナラ」ですね。このセリフがある以上、最初の別れの後では、 西野ファンは「もうこれ以上は西野を真中につきまとわせないで欲しい」と願 うのが正しいのです。その西野本人の意志・決意に反 してまで「西野と真中がくっつく」ことを願うのは、再登場後の西野 に対する裏切り以外の何物でもありません。それを「応援」などと称 するのは、俗耳に入りやすい紋切り型の言葉の響きを隠れ蓑にして、その 薄汚い実態を覆い隠し、目を逸らそうという卑劣な行いで、西野を自分のさも しい欲望の下僕にしているだけなんですね。

西野は、「自分が彼女のはずなのに、自分よ りも好きな娘がいる」というバカにされた状況にずっと耐えてきたけど、 結局事態が変わらなかったから真中を見放して振ったわけで す。そのとき、悪いのは一方的に真中なのにそのことを責めもせず、前向 きに明るくカラッと振ったことによって西野の器の大きさが前面に出ていて、 本当に「凛としている」と言っていいキャラになっています。真中なんかとは 「格が違う」。

そんなにも「よくできた」西野を、「余りにも失礼な態度を取り続けてきた」 真中とくっつけてくれ、と願う西野ファンというのは、「自分が最も 好きであるはずのキャラ」に対して「最も侮辱的なこと」を無責任に期待して いるのですね(西野ってそういう意味じゃ可哀想なキャラです。 一番熱心なファンに、一番自分の尊厳を踏みにじられている のですから)。西野「本人が」好き、という人が、ストーリー上の決定的な矛 盾に頬被りして真中と結ばれることを望むのは、全く筋が通りません。大多数 の西野ファンというのは、適切な呼び方をするなら「西野エンドファ ン」でしかなく、本来「西野ファン」と呼ばれるべき資格など持ってないんで すね。

本当の西野ファン、西野“本人の”ファンだったら、西 野が真中「なんかと」くっつけられてしまったばかりか、 それまで持っていた美点もことご とく台無しにされてしまい、盛大にミソをつけてしまったあの終盤に、 激しく憤りを感じなければいけません。その闇から目を背け、見よう としないのは却って西野に対する侮辱でしょう。 その姿を直視して、それにふさわしい評価を与えてや ることこそが、西野に対する本当の誠実さであるはずです

(あと、本題からは完全に外れるのですが、真中を中心 とした東城・西野・北大路の関係は「四角関係」とは普通は言わないのでは…。 四角関係と言ったら、普通は「中心となるカップルの男女双方に、狙いを付けて いる人がもう一人ずついる」という状態を言うのではないでしょうか)

恋のライバルポジションとしてパティシエが出てきましたが、 これもまた絶妙な立ち位置です。東城をめぐるライバルとして出てきた天地と違っ て、パティシエは「西野と同じ夢を持つ」という強力な属性を兼ね備えています。 天地はかませ犬のような扱いでしたが、こちらは頼れる男としての存在感が強く、 西野との物語に良いアクセントがつきました。これも、もの凄く表層的な違 いに惑わされているだけで、実際には日暮は天地と大差ない、大して働きのない キャラでした。別ページで書いたことを2つ引用しておきます。

真中―東城―天地という関係と違って、日暮が恋 愛上の壁としてほとんど機能してないことで、日暮が西野をちゃんと意識して モーションかけたり、真中にちょっかい出してきたりする描写が全然ないんで すよね。それらしきモノが匂わされたり、真中が早とちりでひとり相撲をとっ たりするだけで
日暮が一度は西野に対して本腰を入れる か、と考える場面があったにも関わらず、それを受けるエピソードというのは まったく描かれずにうやむやになり、西野は日暮周りに関しては、相手にしっ かり向き合って何か決断したり相手の意思を確認したりといった類の事柄に何 ひとつ煩わされずに済んでいます。

要するに、「西野絡みのことは何でも他のヒロインより優れている」と思い 込みたがってロクに検証もせず身勝手なことを書き散らす、という、西野派の いつもの悪癖がここでも出ているだけなのでしょう。

そしてこの巻の見どころは、なんといってもベッドシーンで す!!リアルタイムでも読んでいましたが、このエピソードがいちご100%の中で 一番ドキドキさせてくれました。ここでお礼を言わせてください!!!!!!い い思い出をありがとうございます!!!河下先生!!!かつて全然うまく行 かなかった元カレ相手に、正式に付き合いを再開したわけでもないのになしくず しに肉体関係結ぼうとするなんてそんなバカな(笑)。西野が、そんな風に真中 の心の向き先など2の次で、カラダを安売りして既成事実ばかりを先行させよう という、さもしく安っぽい焦りに満ちたキャラに描かれてしまっている、という 露骨な媚びを何の抵抗もないどころか大喜びで受け入れてしまう、という辺り、 自分の欲望のために西野というキャラの尊厳も人格も平気で踏みにじるという西 野派の悪癖がありありと現れている典型例ですね。

このエピソードからは西野は北大路と同様に「後腐れなくヤらせてあげる」 ことをエサに男を籠絡しようとするキャラになってしまっていて、「部室逆レイ プ未遂」や「風呂場全裸アタック」を仕掛ける北大路と同レベルの「エロシチュ エーション提供装置」に成り下がってしまっています(と書くと北大路派の方は お怒りになるかもしれませんが)。

第10巻レビュー 「西野のベッドシーンから始まり、西野の制服姿で終わる, 2017/6/4」より

西野つかさちゃんがいる生活っていう感じの物語です。 別ページでも書いた通り、西野の内 面を徹底的に隠し続けるという描写の結果、読者はまるで実在の 人物を相手にしているような感覚がしてしまい、西野にかなり本気で恋しちゃっ た人が大勢出たんじゃないか?と踏んでいます。という分析が的確だったこ とが着々と裏付けられていっていますね。

問題は東城綾です。同じところでウジウジ悩み結局なにもしな いという、つまらないキャラクターになってしまいました。そうなんですよ ねえ。東城派としては残念この上ないですけど、 そのことは否定しま せん。

第11巻レビュー 「それぞれの夢。, 2017/6/4」より

そして物語は加速する……!!!なんてこと、残念ながらあり ませんでした。この直後に描かれているのは、なにやってんだと言いたくなるよ うな、合コンの話とダブルデートの話です。。。もうちょっとシリアスに寄って もよかったんじゃないですかね。これはまったく同感(笑)。

第12巻レビュー 「妄想娘こずえちゃん登場 ネタ切れ?引きのばし?, 2017/6/5」より

12巻頭まで続いたダブルデート編は(中略)真中と西野の成長 という意味では欠かせないものでした。そ、そうでしょうか?別に、このエ ピソードを通じて真中と西野が何か成長を成し遂げた、という要素は全然なかっ たと思うのですが…。「今後の成長のための礎となった」という点にも別に思い 当たりません。

向井についてのストーリーにはまったく絡んでこず、彼女と関 わりを持ったことで真中や他のヒロインに影響を与えるということもありません。 という評について補足すると、彼女は 本来東城を思い切って積極的に行動させるため(だけ)に出したキャラのはずな んですよね。ところが、せっかくそうやって東城のためにあつらえたシチュエー ションで、なぜか東城はそれを受ける行動に出ず(あるいは、出るには出るが大 したことのない鈍い動きのまま終わってしまう)、せっかくのお膳立てが宙に浮 いてしまう展開ばかりになってしまったため、向井は当て馬としてのポジショ ンすら不鮮明になってしまい、この人の言うように完全な蛇足キャラとして終わっ てしまったわけです。

なぜそういった場面で、東城が止むに止まれずつい真中を獲得するための行 動に踏み切ってしまう…という話にしなかったのかは不思議です。河下先生のス トーリー構築能力の低さ、と単純に考えることもできますが、いくら何でもあそ こから東城が衝動的な行動に出ることを描くことがそんなに難しいとも思いにく い、筆に任せてごく簡単に描けてしまう気がします(話の畳み方はひょっとした らいつもの河下先生らしく破綻して首を捻るようなしょぼいものになってしまっ たとしても、堰を切ったように話を転がして行くこと自体は難なくできた はず)。ということは、「そういう展開にしてしまうと東城が有利になり すぎてしまう、場合によってはそこでもうほとんど連載が終了してしまうほど形 勢が傾いてしまうために、担当編集者が『そういう展開はまかりならん』と厳命 した」…ということすらありうるのではないか、と個人的には思っているのです が。

西野つかさは、あいかわらずかわいいです。(中略)こずえちゃ んのように下品(失礼)なお色気に頼らなくても、ヒロインとして強烈な存在感を 放っています。(中略)西野のエピソードは他の漫画と比べても、爽やかなもの が多いのです。この辺りは、どこをどう読んだらそんな話になるのか、 西野に対する幻想があまりに強烈で目眩がしてきそうです。上でも書いたように、 再登場以降の西野は単なるエロシチュエーション発生装置でしかないことは以下 のようなイベントから明らかです。

  1. この人自身が挙げている「出身中学の夜中の保健室でのベッドシーン」
  2. 修学旅行での「あたしの方が変な気持ちになってたらどうする…?」
  3. 13巻での真中のベッド潜り込み
  4. この12巻だけに限定しても、観覧車の中の「淳平くん以外の誰かに見られ ることはないのか…」からの密着イベント
  5. 3日間の旅行中、何の躊躇もなく真中と2人きりで泊まる
  6. 14巻くらいから、西野もただの立ち姿だけでパンチラしてることが目立つ ようになってくるんですよね。それまで、西野は見えるのが自然なアング ルで描かれない限りパンツが見えることは非常に少なくて、そういう意味で は(なぜか)ちょっと特別な立場にいたヒロインでしたが、その枷も外さ れて安直なパンチラが連発されるただのお色気先行キャラになってしまい ました(それはある意味このマンガにふさわ しいヒロインになり切った、とも言えるのですが(笑))。

この件については、 西野派の方からさえさつきはループループでいいかげんにしろと 思うけど、西野もいつからかずいぶん真中に迫るキャラになってしまいましたよ ね。この二人もループ故何度も同じ行動を取らされるんだけど、西野にしても、 何度も迫るなよお前さんも、とやっぱり思ってしまう。真中のベッドにいたのは やりすぎだと思うよ、正直。と苦言を呈される有様で、このマンガにつ いて何か語るつもりなのであれば、せめてそれくらいの客観性は備えていて欲し いのですが…。

さて、次の引用部が12巻のレビュー中で、西野に目が眩んでしまっているこ とが最もありありとわかる部分です。そんなこずえちゃんがメイ ンになる話がしばらく続きますが、男性ウケを狙うことしか考えていなかったよ うに思えます。厳しい言い方をすれば、この娘は完全に蛇足です。物語を延命さ せるためだけに登場した引きのばし役です。おかげで真中の優柔不断っぷりに拍 車がかかり、深く考えるとイライラしてきます。これは、向井に対する評と しては100%的確なものです。問題は、この評は西野に対してもほぼその まま当てはまることをまったく意識していないという点です。 「真中の方から告白してきたから付き合ったのに、ちっ とも自分に興味を持ってくれるように見えず、せっかく話しかけても上の空ばか り。そればかりか他にもっと好きな娘がいて、正式な彼女である自分を蔑ろにし てその娘のことばっかり見たり考えたりしている」なんて失礼千万な酷い扱いを 受けて幻滅し、「もうこいつとはやって行けない」と「自分から」見放したにも かかわらず、真中を見放した原因の一番の核心である「自分よりも好きな娘が他 にいる」ことに何ら変化を見出したわけでもないまま、「それでも、なお」真中 のことが「どうしようもないくらい」好きになってしまって、他の男じゃ代わり にならないと思ってるのはなぜか?という根本的な疑問を完 全に放棄したまま、惚れ薬でも呷ったかのように真中一筋になり、男性読者 視点からすると「自分の好みにどストライクのとびっきりの美少女が、真中(= 自分を投影している対象)みたいな冴えない男子にぞっこん惚れ込んで、日暮の ようなパーフェクトな男が側にいても目もくれず、こっちが適当なあしらい方を していても気にせず向こうからグイグイ迫ってくれて、自分は(=真中は)何の 努力もしないのに、理由もなくひたすら自分を(=真中を)一途に好いてくれて、 弁当作りーの膝枕しーのヤキモチ妬きーのほっぺにチューのしてくれる」という メチャクチャ楽チンで男にとって都合のいい薄っぺらな行動をずっと取らされ続 けていただけでした。これこそがまさに男性ウケを狙うことしか 考えていなかったように思えます。という批判そのものに該当します。結局 西野エピソードって、「男性読者に西野とのドキドキエピソードを擬似体験させ るための読者サービス」に終始していて、厳しい言い方をすれば、 この娘は完全に蛇足です。物語を延命させるためだけに登場した引きのばし役で す。おかげで真中の優柔不断っぷりに拍車がかかり、深く考えるとイライラして きます。という評にズバリ当てはまります。

「西野と向井を一緒にしてはいけない、だって西野は向井と違ってちゃんと 真中と結ばれたんだから引きのばし役なんかじゃないよ」というのはただの結果 論に過ぎません。そうやって「結果から遡って」事後的に途中経過の行動・有様 が免罪されるのであれば、まだ結果が確定していなかったこの時点の向井に対し てこのような批判をすることはできない(時期早尚)ということになってしまう。 ここで向井に対してこのような批判を放つのであれば、西野に対してもまったく 同じ批判が跳ね返って来ることを逃れる術はありません。

第14巻レビュー 「同じことの繰り返し。真中はいつまでも同じことで悩み続ける。こずえちゃんのお色気話もいい加減鬱陶しくなってくる。, 2017/6/5」より

本作のヒロインはもっと早い段階で西野つかさ一本に絞った方 がより名作になったと思いますし、あるいは東城やさつき、こずえちゃんにもっ と深いエピソードを作ってあげることでも、より名作になったと思います。 後半は同意ですが、前半はどうかなあ…。 後の方で、結局付き合い始め た真中と西野のカップルの関係が、目を覆わんばかりの貧しいものになってしま い(そりゃそうですよね。西野が真中へのアタックを続けていた 間の話は、ただ男性読者向けのプリミティブなサービスシーンを繰り返していた だけで、何の積み上げもなかったのですから)、ドラマ的な 見どころは全部東城に担ってもらうしかなかったことを考えると、 もし仮に東城までもが早期にフェードアウトして、真中と西野1本の話になって いたら、スッカスカで話としての体裁が何にもない作品にしかなっていなかった のは間違いないと思います(まあ、もともと ただのパンツマンガに過ぎなかったのですか ら、「パンツをビラビラ見せびらかし ながら、真中と西野がベタベタでラブラブ」というお気楽な流れのまま 終わりを迎えていたとしても、それはそれでアリだったとは言えるでしょう。 ただ、ここでこの人が期待しているような充実した終わり方には到底ならなかっ たでしょうね)。

第15巻レビュー 「高3合宿編, 2017/6/5」より

やればできる、なにか一つでも動いてくれたら話が面白くなる、 なのに何もしない。そんな東城がようやく動き出します。ここより以降、いちご 100%は終盤へ向けてストーリーの面白さが復活します。面白くなってきました。 確かにここはこの巻の一番の見どころなんですが、それ以外の部分はこの人 が見下しているしょうもないお色気エピソードが大半なんですよね…(笑)。こ うやって誉めてくださってるのは、この人の東城への精一杯の好意の現れなんだ と思ってありがたく受け止めておきます。

第16巻レビュー 「多角関係がようやく終息しようとする。, 2017/6/5」より

前前巻ぐらいまではグダグダとした展開が続き、西野つかさを 除いた各キャラクターの心理描写もお粗末なものでしたが相変わらず西野へ の過大評価が続きます。上では表情に絞って書きましたが、表情以外の面を含め ても、他のヒロインの心理描写は西野にまったく劣っていません。東 城派の私には、中でも東城が一番ズバ抜けていたとさえ感じますが、特にキャラ 贔屓なしで眺めても、北大路も向井も優れた心理描写を与えられていたと思いま す。そもそも、西野にしても優れていた のは「心理」描写ではなく「感情」描写であって、西野の「心理」は一貫して 「さっぱり不明」なままでした

第17巻レビュー 「怒涛の17巻。物語はクライマックスへ。終わりが近づくたびに面白さが加速していく。, 2017/6/5」より

明らかに物語は終息へ向かっています。しかしそれと比例して 物語の構成力が飛躍的に高まっています。河下先生のストーリーテラーとしての 実力がいかんなく発揮されています。西野派にとって歓迎すべき展開だった ことに浮かれるのはわかりますが、そのことと物語の構成力ストーリーテラーとしての実力を無防備に混同してしまう のは、浮かれすぎの誹りを免れません。ここは、ちゃんと隅々まで見渡せば杜撰 極まりないいい加減な話(証拠その1その2)だったという評を 免れることはできません。

「恋」「夢」「悩み」「不安」……今ままでこれらすべてにつ いて真中と一緒に向き合い、そして真中とともに一緒に成長し、心から支え合っ ていたのは、ヒロインたちの中でも西野つかさだけだったのです。ここもま た、ありもしない幻に酔い しれて、自分ででっち上げた壮大な虚構に自分自身がすっかり誑かされて信じ込 んでしまっていますね。「ありもしない幻」というのが口先だけのハッタリ でないことは、以前そういった西野と真中の絆を具体的に列挙 しようとした別の西野派が見事に失敗に終わった箇所をご覧頂ければわかる でしょう。

第18巻レビュー 「それぞれの物語に決着がつき、怒涛のクライマックスをむかえる, 2017/6/5」より

真中は将来を見据えるべく、大学受験に取り組んだり、自力で ショート映画を作るために奔走したりします。その「自力」という部分でぶ ち当たった壁を突破できず、結局頼りにする相手は東城なのですが…。

なんにせよ、1巻から今まで描かれてきた「夢」にまつわる描 写が、この作品の魅力を名作にまで引き上げたことは確かです。ここでの 真中と西野の関係が貧困そのものであることや、 東城が真中のためにいいように利用し尽くされて見放される、 といった暗部に目を向けず、都合のいい所 だけつまみ食いして「名作」ともてはやすのは、読み方が余りに表面的で上 滑りしていないでしょうか。開いた口が塞がらないとはこのことです。

第19巻レビュー「魅力再発見!!夢と成長が副題の恋愛漫画。面白すぎて全巻レビューしてしまいました(笑), 2017/6/4」より

…というわけで、19巻に戻ってまいりました。

真中に向けられたセリフとはいえ、西野つかさに「わたしをワ クワクさえ[ママ]くれる……?」と言われると、自分までなんだかやる気と元気 が湧いてきます。ただの口先だけに終わっている、 このマンガの最大の失策を象徴するキーワードをここまで無邪気に賞賛して しまうのは短絡的に過ぎますね。

何が面白いって、この作品の根底には「夢と成長」っていうテー マが一巻から最後まで貫かれていて、青春漫画としての一面を持っているところ です!!結局、西野はそんなテーマからは切り捨てられてしまっています。 別のページで書いたことを引 用しておきます。

作中での「西野と真中の夢の共存」の描き方は非常に形式的で、 西野の自己実現は限りなく希薄です。それは「フランスへ行きました。 帰ってきました」という他人事みたいな淡白な描写で済まされていて、結局パティ シェ云々が設定・セリフだけで済まされているからです。

165話も167話も、西野の描写の力点はあくまで「真中が選んだのは西野だった。 西野はただ一筋に真中だけを想っている」という所にあり、結末の「最後に西野 は真中のもとに戻ってくる。2人は結ばれる」という一点に感動が収束すること を主眼にして構成されています。それは要するに「西野派男性読者が一 番見たいもの」であって、だからこそ「西野のパティシェとしての自 己実現」はむしろ読者の意識からは消されるよう、最大限に配慮された描写になっ ているのでしょう。読者のドリームに応えるには、「『4年間の別離』なん てものは、事実上なかったも同然」という描き方をするのが一番ですから。

そういう意味で「西野の自己実現」は極めて蔑ろにされており、こ れは事実上「アイドルみたいな子が自分のそばにいてくれる」ドリーム に寄り添ったエンディングにほかなりません。そのことをはっきりと 暴き立てるのが以下の指摘です。 (2005.08.30 の所)で、最後にそれぞれの結末が描かれ、東城は 作家として順調に歩み始め、北大路は女将として将来を決め、南野[ママ]は大 学へ進み、西野だけは「真中くん、これからも一緒にいてくれますか」[ママ]だった。/ 男におまかせかよ!(ノ`Д´)ノ ~┻━┻ アンタ留学してケーキ職人になるんだろ!どう考えたってフラ ンスでケーキ修行している方がヘナ男待ってるより楽しいよ! / …と女は思っ てしまうので、西野は(年いった)女には人気がなさそうだ。扱い易そうで都合 良さそうだもんな、西野。つまり、最後は西野こそが「真中のため に自分を捨てることをいとわない」タイプに(事実上)なってしまってい て、「主人公と違う夢との共存などというものは、このマンガでは描か れていない」と言っていいのです。

申し訳ないですが、19巻通したレビュー全体に対する総括としては、「おめ でたいにも程がある」という評価を下さざるを得ません。

[2015, 7/6] 「酷い…, 2015/3/24」より

これはほぼ全面的に的確な評なので、引用はしないでおきます。この時期に なってなお、話のつくりの不当性に異議を唱える声が上がることは頼もしく感じ る点ですね。

[2015, 8/25] 「一気読みしたけど、凄い面白い漫画だった。, 2011/12/13」 より

この方も真中が最後に選んだヒロインは、実際、この漫画に登 場する中では一番魅力的なキャラクターに見えたので、納得した。と西野派 なんですが………それぞれのヒロインの性恪が、あまりにも現実 離れしない程度に、漫画的に立っていて、こんな奴現実にいるよな、とは流石に 思えないにしても、話の為に作られた人格、みたいな感じでもなく、都合の良い 展開、というのもあまり見えず、それなりの現実感、実際にヒロインが息をして、 選択をして、主人公と恋愛していく、という空気感というか、ヒロインの呼吸と いうか、詰まる所、それぞれのヒロインが女の子として魅力的な所がこの作品の 一番の魅力だと思う。え!

よりにもよって西野一番推しの方が話の為に作られた人格、み たいな感じでもなくとヌケヌケとおっしゃいますか!!!ご冗談を。 「真中の方から告白してきたから付き合ったの に、ちっとも自分に興味を持ってくれるように見えず、せっかく話しかけても上 の空ばかり。そればかりか他にもっと好きな娘がいて、正式な彼女である自分を 蔑ろにしてその娘のことばっかり見たり考えたりしている」なんて失礼千万な酷 い扱いを受けて幻滅し、「もうこいつとはやって行けない」と「自分から」見放 したにもかかわらず、なぜかいきなりフルパワーで胸をキュンキュンさせて、真 中を見放した原因の一番の核心である「自分よりも好きな娘が他にいる」ことに 何ら変化を見出したわけでもないまま他の男に目もくれずに真中に尽くして、尽 くして、ひたすら尽くしまくって誘惑し迫り続けるほどに「どうしようもないく らい」真中のことが好きになってしまうことに足る 強烈で十分な説得力のある理由なんかなかった。再登場後の西野って、そんなヘ ソが茶を沸かすような支離滅裂な猿芝居「しか」描写がなかったわけで、ま さしく話の為に作られた人格そのもの(と言うか、最早それ は「人格」などではなく単なるがらんどうのポンコツロボット)じゃないですか。

さらに都合の良い展開、というのもあまり見えずといけしゃ あしゃあと言ってのけるのも笑止千万です。再登場後の西野について言えば、上 で書いたように、「自分から」真中のことを見放したにもかかわらず、「そんな にも」真中のことが好きになるはっきりした理由がウヤムヤにされたまま惚れ薬 でも呷ったかのように真中一筋になり、男性読者視点からすると「自分は(=真 中は)何の努力もしないのに、理由もなくひたすら自分を(=真中を)一途に好 いてくれて、弁当作りーの膝枕しーのヤキモチ妬きーのほっぺにチューのしてく れる」というメチャクチャ楽チンで男にとって都合のいい薄っぺらな行動をずっ と取らされ続けていただけでした。結局西野エピソードって、「男性読者に西野 とのドキドキエピソードを擬似体験させるための読者サービス」に終始していて、 事実上都合の良い展開「だけ」しかなかったんじゃありませ んか?

[2015, 8/25] 「一気読みがおすすめ, 2011/9/23」より

これまたラストも一気に読むと納得。最後に選ばれた女の子は、 主人公真中くんと一番絆を深めていた女の子だったと思います。自然な選択だと 私は思いました。という主張には唖然と させられます。リンク先から引用しますが

貸切りプールのときにしろ、保健室のときにしろ、集恋神社のときにしろ、W デートのときにしろ、海デートのときにしろ、真中のベッド潜り込み事件のとき にしろ、高3合宿後の真中家押し掛けのときにしろ、懸垂返しのときにしろ、泉 坂への弁当持込のときにしろ、「満ち足りた幸せな時間を過ごした」ときにしろ、 とにかく西野は散々真中に尽くすんだけど、結局真中が一方的に西野の好意 に奉仕されていい目を見るだけで、真中から「西野ときちんと向 かい合おう」という誠実さを引き出すことには成功してないんですよ ね。少なくとも16巻までは、西野の「奉仕」が終わるともう西野のことは真中の 心からほとんどきれいさっぱり消えてしまって、真中の心の奥底には結局「 東城とのノートの思い出」が繰り返し 甦ってくるばかりでした。そんなに尽くす甲斐のない相手、もう見放そうよ、 西野さん!アナタ16巻までは(下手したら16巻以降も)「ミツグ君」よろ しく真中に尽くすだけ尽くして、おいしい汁吸われてるだけですよ?な んでそんな奴が「そんなにも」いいの!?(そういう意味で、終盤突 入までの西野エピソードは「積み重ね」に極めて乏しく、「読者に西野とのドキ ドキエピソードを擬似体験させるための読者サービス」以上の意味はほとんどな かったと言えるでしょう(もちろん東城にだってそういうエピソードはいっぱい ありましたけど、西野エピソードって事実上そういうもの「だけ」しかなかった わけで))

ってな具合なんですが、その「深まった絆」とやらは一体どこにあったんですかね…。 2人が付き合いを始めた以降に限ってみても、 西野→真中の向き も、真中→ 西野の向きも、共に心がバラバラですよ。 一気に読んだせいで、読み方が杜撰になっていませんかそれ。1つ前のレ ビューも一気読みだったことも合わせて考えると、 「一気読み」はこのマンガでは一番避け なければいけない読み方だと思います。

[2015, 8/25] 「漫画になってない, 2011/8/30」より

ラストについて現実的という評価に同調しているところは まったく的外れですが、 もやもやしたくないなら「絶対に」オススメ出来ません / 漫画家 の卵には反面教師としてオススメはしてもいいかもしれません。という評は まさしくその通りだと思います。

[2015, 8/25] 「一気に読んでこそ, 2011/3/17」より

この人も一気読みを薦めてますが、やっぱりその弊害に見事に嵌まってしまっ ていますね…。様々な形で張り巡らされた伏線を拾いながら なんて書いてますが 拾われた伏線なんてごく僅 かで、そうでなかった伏線の死骸がゴロゴロしてますよ!(笑)

[2015, 8/25] 「一番好きなラブコメ, 2009/12/29」より

私としては最後にかけてから結末には不満がありました。メイ ンヒロインと結ばれるのはありきたりだと思いますが、この作品にはメインヒロ インと結ばれて欲しかったです。というのはまさしく同感。

一方、東城は"一途"な天地と結ばれてーー!と いうのは非常に疑問です。東城って天地がいくら迫ろうとも見向きもしなかっ たじゃないですか。それって、東城が真中一筋だったということだけが理 由じゃないと思うんですよ。天地は自分の無謬性が所与の前提となっていて、 (東城に限らず)他人に対して自分の考えを押し付ける(そしてそのことの無神 経さを自分では余り意識していない)タイプの人間ですよね。東城との相性は 最悪だと思います。この場合一途というの は、東城に対しては完全に逆効果にしかならない特質なんですよね…。

[2009, 8/21] 「No.1ラブコメ。, 2009/8/21」より

[2015, 7/6] 追記: 理由は不明ですが、このレビューは削除されているよう なので、当方の評も外しておきます。

「東城綾, 2009/6/19」より

これはほぼ全面的に賛同できる内容なので、引用は省略します。

「意外性で悲劇化されたヒロイン…, 2008/12/7」より

メインヒロインと主人公が結ばれるという在り来りの結末ばか りを見てきた自分としては新鮮でしたがこの作品ほどメインヒロインと結ばれて 欲しいと願った作品はありません。こういう形で 東城のみを「メインヒロイン」という言い方をす るとまた西野派が文句をつけますが、まあそれはそれとして。

[2008, 10/3] 「結末に, 2008/9/20」より

[2015,7/6] 追記: このレビューも現在は見当たらないので、当方の評を外し ておきます。

[2008, 6/7] 「途中までは良かった…, 2008/5/1」より

何でこの人なの? この人が好きな人はいいかもしれないけどメ インヒロインは間違い無くあの人ですよ! 初恋限定を読んで、絵が可愛かったの で読んでみたんですが、ラストはあの人だと思って1巻から読んでたのでかなり落 胆しました。うむ、君とはいい友達になれそーだ(笑)。

「納得いきません!…でも好き, 2008/1/31」より

[2015, 7/6] 追記: レビュー表題が「大好きな作品だが、不満はなくもない」 に変わっているようです。

最終的に選んだヒロインが西野つかさであったことは、つかさ ファンの私ですら首を傾げてしまいました。選んだ理由も、完全にこじつけ。 うん、西野派でもまっとうな感性の方はいるんですね。ただ単に 作者がつかさを気に入ってただけなのでは?と思います。いやあ、それは逆 なんじゃないかなあ。終盤の西野の描写の薄さや扱いのいい加減さから判断して、 (トップページも書いた通り)最後まで「性格がよく掴めない難産キャラ」のま ま、扱いに困っていた、って所じゃないかと思います。

2010年3月に修正が入ったようですね。むしろ、つかさといる ときの真中は、いちばん無理しているように見えましたが。ただ可愛くて人気者 で、学生らしい恋愛をさせてくれる彼女をつなぎ止めておきたいという感じ。学 生時代ならそんなのも有りかもしれませんが、卒業後に復縁してる描写があるの で、大人の恋愛にしてはいささか不自然に思えます。というのは追加された 部分?以前からあった?よく覚えてないですが、評としては的確ですね。

「ラストで台なしです, 2007/11/1」より

これ少年マンガだからショートの彼女が人気なんでしょうけど、 少女誌だったらこの子はライバルポジションの当て馬キャラだよな〜とは思いま した。いやいや、当て馬キャラであることは少年誌・少女誌の別を問わない でしょ(笑)。ただ単に、「当て馬キャラに人気が出た」だけで、その現象の理 由としては少年誌であることが当然強く効いているでしょうけどね。 黒髪の子に比べて心理描写なさすぎ&主人公のこと好きになる理 由うすすぎ。これはまったくもってその通り女視点で読みますと、黒髪の子が気に食わないからあたしが奪っ てやるぅ!という風にしか見えません。別にこの男じゃなくたっていいだろ?他 にいるだろ?って感じ。うーん、後半は微塵も異議ないですが、前半はどう かなあ。別に西野は東城をそういう見方をしてい たわけじゃあないと思いますが。もともと西野は東城と知り合いではなかっ たわけですし、知り合いになった後も、それほど深い付き合いをしていたわけじゃ ないですからねえ。と言うか、そもそも その程度の心理描写“すら”与えられてなかったですよね、西野って。まあ、 私は男なので、「いや、同性じゃないとそこはわからないんだ!たとえ描写が皆 無であっても、ああいう女はそういう風に考えているものなんだ!私にはわか る!」と主張されるなら、そこは折れるしかないですけど(笑)。

「面白かったけど・・・, 2007/5/27」より

最終的に選ぶヒロインよりも選ばれなかったヒロインとの思い 出のほうが強く残るストーリだっただけに「なぜこの人を?」と言う思いが残り ました。

「他人事みたいだった, 2007/5/19」より

[2015,7/6] 追記: このレビューは削除されているようですが、的確な指摘の 部分は参考として残しておきます。

一応●●を選んだんだから傍目にはそのコが好きなんだろう、 とは他人事みたく言えるけど、「こいつ、本当は別に誰でもよかったんでねー?」 というくらい頼りなくて過程が雑。

「幻滅, 2006/11/28」より

なんで彼女を選んだのか理解不能。ちゃんとわかるように説明 すべき。というのはいいとして、19巻で終わってはダメ。あと 3〜5巻は続けて、きちんとした答えを出すべき。ってのは見解が異なります ね。唯や向井、天地がほったらかし、というのはちょっとひどいと思うけど、基 本的には未練を残さず、スパッと終わったことはむしろ好評価を与えるべき点だ と思います。けりをつけるべき所にはみんなつけているし、あれ以上の話は蛇足。 それに、たとえあれ以上話を引っ張ったっ て、不愉快さがいや増すばかりでいい所なんかきっとひとつもありゃ しなかったに違いありません(笑)

「最終巻, 2006/8/8」より

[2015,7/6] 追記: このレビューも削除されているようですが、以下の議論の 参考のために引用部を残しておきます。

最後になぜ●●が好きなのかという理由がハッキリしてないの で知りたい。

「さて、結末は・・・, 2006/7/9」より

やはり、なぜ彼女を選んだのか、そこまでの伏線が弱いことが 一番の疑問に感じます。この巻までの物語は別のヒロインをメインに進行してい て、他の方のレビューでも挙げられているように主人公の感情の動きも見て取れ ずに消化不良に陥っていると思います。

「真中がなぜ、西野を選んだのかはっきりしない・よくわからない」という意 見が目につきますが、ここは西野派が「何を言ってるんだ!真中にとって西野が 真に愛する存在になったからに決まってるじゃないか!これまでの2人の間で起 こった様々な出来事の積み重ねによって!それはちゃんとはっきりしてるよ!東 城が本気告白をしたときでさえ『今は西野の悲しい顔の方が俺を悲しくさせる』 とはっきりモノローグで言ってるじゃないか!」と色を成して反論しそうな所で すね。まあそのモノローグの真剣さは、後の「ずっと肝心な部分には触れない関 係だった」によってほとんど信頼できない水準に過ぎなかったことが暴露され ちゃってますし、 それ以外にも真 中と西野の関係の内実の乏しさについてはいろいろ証拠は挙がっているので すが、私はどちらかというと「事情はどうあれ、真中がそう言うんなら、もう東 城のことじゃなくて西野のことが好きだ、ってのはほんとなんじゃない?」って のはあっさり認めちゃってもいいと思ってます。真中西野好きになる材料としては、「顔」だの「性格」だのといった即物的なもの なら揃っていますし、これまでの「西野イベント」の繰り返しが実を結んだんだ、 とすれば、ことさらそれを否定する材料があるわけじゃないですからね。ただ単 に、

というだけのことで。

それよりもやっぱり、このマンガの真に疑問な点、追及すべき点はその逆、 「西野がなぜ真中をそんなに好き なのかがさっぱり解らない」ということでしょう。その主語と目的語を入れ 替えた問いは、問うてもあまり意味のない、追及するだけ不毛な問いだと思いま す。

「最終巻です, 2006/6/3」より

真中が選んだ女性が好きではない私にとっては後味の悪い結末 でした。うん、まあ、気持ちはわかるけど、そこまで言っちゃったら単なる 難癖になっちゃってると思う(笑)。

「えー・・, 2006/2/25」より

私は○○ファンです。同じ○○ファンの人は納得いく終わり方 ではなかったのでは?この作品は好きですが、19巻だけはイマイチですね。 というのはさておき、意外といえば意外ですが、ある意味では ありがちな終わり方。というのは…………どっちなんだー!(笑)。 ○○の方は悲劇のヒロイン化してましたが、小説家デビュー!良 い感じに受ける人が多いと思いますが私は逆。思い上がりかもしれませんが、作 者が○○の悲劇化を誤魔化したような感じを受けますねというのは 私も同感です。

主人公が●●を選んだ、というより、●●のアピール勝ち、という 感じです。辛口に言うと“腹黒ぶりっこ”のおかげですね・・。前半は納得 できる見方ですけど、後半は言いがかりじゃないかなあ(笑)。うーん、別に西 野本人が腹黒だとか、意地が悪いとか、そういう風には私は全然思っていません。 そうじゃなくて、むしろそうい う要素が何一つなかったことこそに、再登場後の西野というキャラの一番タチの 悪い所が現れているのです(最初の別れの前まではともかく)。それ はつまり、何一つ手を汚さなくて済むよう、作者に何もかもお膳立てしても らい、「自ら泥を被る」ような覚悟も努力もないまま、僥倖に乗じている にもかかわらず何ら非難を受けなくて済むよう手厚く保護された安全な場所で、 手取り足取り上げ膳下げ膳で恵まれた結果にありついているということの顕れで すから(一体どこのお貴族様なんだってえの。絶滅危惧種の赤ん坊じゃあるまい し)。

そして更に、「真中の中に『自分より上の東 城』を見てしまう自分」の克服、という命題を果たすことはついになかった 。あの雪の日、真中宅前で現れた東城に、西野は尻尾を巻いて逃げるこ としかできず、その後のカラオケボックスでも、詳しい話を聞きもしないうちか ら「覚悟はできてたんだ」と、あっさりと真中を手放そうとする始末です。 そんな悲劇のヒロインぶった、被害者意識丸出しの振 る舞いなど「自己肯定能力が足りない」だけで、自分に突きつけられた 命題から逃げ回って、全部他人に尻拭いしてもらっているだけに過ぎません。 そうやってすべての矛盾の皺寄せを東城に被ってもらい、重大な問題の 落とし前を付けず、自らの罪に追いつかれることのないまままんまと逃げおおせ、 労せずして転げ込んだ地位にのうのうと胡座をかいているだけである という所こそが、再登場後の西野というキャラの最大の汚点であり、弁 護の余地のない痛烈な批判を受けるべき部分なのです。

sakuhindb 評価記事

[2009, 4/16] ここしばらく、sakuhindb に続けて投じられた評価が甚だ疑問 を呼ぶ内容だったので、ちょっとこちらで取り上げてみようと思います。

最初の別れの後について、 ですが西野の中で真中は常に心の中に存在していて忘れる事など 出来ない存在になっているのです。と書いてあるのですが、そんな描写 は特に見当たらないように思います。それよりもむしろ、 私が書いたように、バ レンタインデーの後再会したときも、ホワイトデーのお返しのリクエストを尋ね る真中に「あたしがあげたってことも気付かなかったら気付かないままでいいやっ て思ってた」「やっぱり、次恋愛するならその人と距離取っちゃダメか もな―――」「……まあそーゆーわけでお返しなんていらな…」と、真中との経 験を糧にして、一回り大きくなった姿として描かれており、もう真中のことは吹っ 切れている、別に真中への想いが再燃したわけではない、という態度でした。 という見方が適切ですよね。 真中と再開[ママ]後は西野は真中への思いを胸に秘め、真中と接 していきます。というのは、正直言ってホラ話もいいところです。唯の「そ の女のセリフからしてこの恋の復活は100%ありえないね!」というセリフの通り、 あの描写で常に心の中に存在していて忘れる事など出来ない存在 になっている、などというのはデタラメです。

その少し前の真中に助けてもらい、弱さを垣間見た時に西野は 初めて真中に対して好きだという事に気づきます。というのも無理がある主 張。あのとき西野が「なぜ真中が好きなのかよくわからない」と言ってたことか ら判る通り、あれは要するに「話の都合上、西野が真中を好きということで ないと困る」という、(構成力に乏しい(笑))河下先生の都合上、 仕方なくそういう話にさせられていた、というだけのことでしかないん ですよね。そこから強引に日に日に真中の事を意識していく西野 という主張に持ち込むのは、やっぱり無茶というものでしょう。

そして西野にとって真中淳平という存在はそれまでのちっぽけ な自分に夢を与えてくれ、それを実現させようという決意にまでさせてくれた存 在なのです。と大きく出ているのですが、これもかなり誇張された話です。 やはり私が書いた通り、 一度だけ「真中がいなかったら自分が進みたい道は見つからなかった」という理 由で「真中に会えてよかった」と礼を言ってることがあるんですが、これも別に 真中が直接何かしたわけではないですからねえ…。いろいろなことに興味を示し てチャレンジし、打ち込めるものを見つけて自分を研いたのは西野自身の才覚に よるものであって、真中本人による寄与は事実上ゼロです。そんな小さなきっか けであってもそれを相手に対する大きな感謝へと転化し、衒いなく伝えられる西 野は、本当によくできた女の子だとは思いますが、しかしやっぱりそれが理由で 異性に対しそんなにも深い愛情を抱くことが自然かと言ったら、 それとこれとは全然話が別です。というだけのこと で終わってしまう話なのではないでしょうか。

さらに、どんな時でも弱気にならず常に前向きに生きようとす る彼女の姿勢というのは、あの終盤を見ると「一体どこが!?」としか言い ようのない、実態とかけ離れたでっち上げですねえ…。このページの上の方で書 いたことなので繰り返しませんが。

それから、なお作中西野が真中を好きな理由を具体的に表して いる場面は少ないですが、西野が作中で「あたし淳平くんにしか逃げ場ないん だ…」という場面がありますが、ここに西野の真中への想いが集約されてると思 いますとありますが、そこは真中に「しか」逃げ場がない、という所に説得 力が非常に乏しいです。そもそも、 真中が自分の想いを受け止めてくれるような相手じゃなかったから 「自分から」見放したというのに、そんな相手が逃げ場になるなんて矛盾し ている。そんな話が成立するはずがありません。それに、自分に言い寄ってくる 男なら腐るほどいるんだから、逃げ場が欲しいんならその中から選べば何の問題 もないでしょう。よりどりみどりですよ、西野さんだったら。何でわざわざ「自 分のことを見ようとしない」失礼で不愉快な男を逃げ場なんかによりにもよって 選ばなくちゃならないんでしょうか。

続いて、 こじつけが余りにあからさまで、いちいち個別に問題点を指摘する必要もない (し、その気にもならない)記事は飛ばして、 先ほどの記事と同じ人が書いている次の記事へ。

これはまず、西野まで「真中がいなかったら今の自分はいなかっ た。」というカテゴリのキャラに分類しているのが、しょっぱなからしてイ ンチキですね。東城と向井が真中に負っている部分の大きさは明らかなのですが、 西野の家から近いという理由だけで決めた高校でただおもしろおか しく暮らしているだけだったかもしれないというのは、それと並べるにふさ わしいほどの重みはないです(おもしろおかしく暮らすことのどこが悪いのでしょ う?)。東城や向井にとっての真中は、「そのままでは昏かったであろう未来を 明るく拓いてくれた」存在なんですよね。一方、西野の方は、そのままであって も未来が明るかったであろうことは明らかで、そこが決定的に違う。 これらの女の子達はそういった真中に大きく人生を動かされた影響から恋に発展 しています。などと言って、「西野にとっての真中の重み」を、東城(や向 井)と同列に扱おうというのは、不当なかさ上げと言わなければなり ません。

先ほどの繰り返しになりますが、ここでも日に日に真中の事を 意識していく彼女というありもしないでっち上げがなされています ね。無理矢理解釈すれば、高1誕生日のときの態度が「まあ、それに当たるのか なあ…?」と思い当たらなくもない件ではありますが、しかしあれも別に「以前 に比べて真中への思いの深さが『増した』」と言えるかどうかは微妙なところで す。大して変わってないように見えるんですよね、どっちかってーと。それを 日に日になどと言って「増加」していたことを既成事実化し ようとするのは、根拠に乏しい拡大解釈ですね。

そして真中は気づきます。自分が本当に好きなのは西野つかさ だと…この回は真中が恋愛に対して1つの答えを出した場面と言えます。とい うのも、後で詳しく述べる「差し障りのある点を都合よく知らんぷりする」とい う西野派の典型的な病状ですね。あれは そんなご大層な、 誠実なものではなかったことははっきりしています

それだけではなく東城エンドだと何かと後味が悪くなっていた とも思えるんです。うーん、まるで実際の展開が後味が悪くなかったかのよ うな口ぶりですが、それは無茶苦茶だなあ。真中のこ とが「そんなにも」好きな説得力がさっぱり感じられない西野が、これまで さんざん「真中に執着する理由」「他の男じゃ代わりにならない理由」が強調さ れてきた東城を差し置いて、むしり取るように無理矢理真中を「召し上げて」、 戦利品のごとく「(作者に)宛てがわれた」本編の展開の方が、100倍くらい後 味が悪いんじゃないでしょうか?おまけに、

なんていう、空しさがいや増す材料がぞろぞろ揃ってい るわけで、これで「後味の悪さ」を引き合いに出すなど、ちゃんちゃらおかしい。 おこがましさにも程があります。

東城は西野やさつきほど真中の彼女になりたいという気持ちが 見られなかったと思うんです。東城の場合は「彼女になりたい」ではなく「そば にいたい」という気持ちが強かったと思います。真中の事を好きという気持ちは 西野やさつきに負けてないと思いますが、彼女になりたいという気持ちでは西野、 さつきのほうがはるかに強かったと感じるんです。うーん、これもそんな風 には感じられないなあ。結論先にありきの捏造ではありませんか。それを言 うならむしろ、「単に『彼女になりたかった』だけの西野や北大路と 違って、東城には『側にいたい』と強く願う事情『も』人一倍大きかっ た」と、「も」によって語られるべき話なのではないかと思います。

西野が一人で頑張ってこれたのは真中がいたからこれもま た、何の実態もない、まったくの作り話ですね。そんな因果関係が一体どこ に描写されているのでしょう?何の関係もない2つのことを、勝手に結びつけて るだけじゃないかなあ。

もし真中と西野が結ばれていなかったら西野は一人孤独な悲劇 のヒロインになってしまい、どちらにしても1人パリに旅立つ彼女を考えればフォ ローも難しくなっていたのではないでしょうか。だからこそ彼女には真中がいて あげなくちゃいけなかったと思えるんです。そんなことはないでしょう。 西野「が」真中「を」見 放す、という展開で何も問題はないですね。

「真中と西野が結ばれなかった場合の、西野の可哀想さ」として私に思い当 たるのは、「適当に日暮と『料理』されて、『西野にも幸せは訪れましたメデタ シメデタシ』とばかりに安直に片付けられてしまう」という可哀想さですね。も しそうなっていたらそれは確かには可哀想だ、とは思いますが、しかしそれは 「孤独な悲劇のヒロインになってしまう可哀想さ」ではありません。ここで「孤 独な悲劇のヒロインになってしまう可哀想さ」を持ち出すのは的外れだと思いま す。

この人は東城についても言及があるのですが、比べてみるとやっぱり西野の 方に力が入っているのは歴然としていて、どう見ても西野贔屓ははっきりしてい ます。この人に限らず西野派の人々のほとんどに共通する問題点は、西野 “本人の”気持ちを思いやる意識がこれっぽっちもない、 という所ですね。

何度でも繰り返しますが、西野が、真中を『そん なにも』好きになる事情なんてのは全然なく、「真中の方から告白してきた から付き合ったのに、自分よりも好きな女がいる」なんていう失礼かつガックリ な酷い扱いを受けた結果「そのことに幻滅してもうこいつとはやって行けない、 と自分から見放した」にもかかわらず、「それでも、なお」再登場後の西野が真 中一筋なのは、「理由は全然ないけど、とにかく ストーリーの都合上、『好き』ということでいてくれないと困る」とい うだけの話でしかない」のです。である以上、西野のことが 「本当に」好きな人ならば、西野“本人の”気持ちを思いやって、 「そんなに無理矢理西野を真中一筋にぞっこんなんかにしないでくれ!」 と願うのが筋なんですね。それこそが本当に「西野が」好きな人のとるべき道で す。にもかかわらず、ほとんどの西野派の人々は、「男にとって都合のいい だけの、薄っぺらな行動をいつまでもいつまでも取らされ続けること」を 何の疑問も抱かずに受け入れるばかりか、それを願ってすらいるという有様です。

それは「西野が」好きなんじゃなくて、「西野が、真中(=自分) とくっつくことが」好き、あるいは「自分の中の、『一途に恋する西 野のかわいらしさ』が」好き、「西野が自分の思い通りに振舞ってくれ ることが」好き、というだけのことに過ぎません。本来、最初の 別れの後の西野が真中なんかを好きになるはずがないのに、「真中一筋」の中身 空っぽの言動を取らされ続けているのをいいことに、「自分の」身勝手な欲望・ 願望を西野に押し付けて平気な顔をしている、というのは断じて「西野 が」好きな人間のやることではない自分が気持ちいい 思いをしたいがために、西野本人の意思や尊厳を踏みにじって西野を利用してい るだけなんですね。その「自分さえよければいい」という利己的な態 度を「いや、西野は真中のことが好きで『自分で』『自主的に』やってることだ からあれでいいんだ」と正当化しようというのは、「『余りにも』酷い扱い を受けて『自分から』真中を見放した最初の別れの後では、西野が真中のことを 好きになんかなるはずがない」という厳然たる事実から目を背けているだけ であって、そのやり口の卑劣さを自覚していない、という点で2重に 罪深い言い訳です

上の引用部に含まれている、それまでの“ちっぽけな”自分に (強調筆者)という卑下も、無意識のうちに「自分の願望・欲望のため“だ け”に西野を傀儡としていいように扱っている」ことの顕れである疑いが濃厚で す。別に、そんなことちっぽけでも何でもないじゃありませんか。だけど、「西 野が、真中に負うところ大である」ということにしたいばかりに、自分 の身勝手な結論に合わせて事実を歪曲し、「ちっぽけ」ということにし ちゃったんですよね。こういう所に、西野“本人の”意志や意向は2 の次で、“自分の”都合最優先で勝手に話を作り上げる西野派の本性がよく出て います。

西野“本人の”意志・意向とは一体何か?それは、彼女自身がはっきり自分 の口で述べている「待ってるだけの恋してるなんてもったいなくない?」「今度 こそサヨナラ」ですね。このセリフがある以上、最初の別れの後では、西野 ファンは「もうこれ以上は西野を真中につきまとわせないで欲しい」と願うのが 正しいのです。その西野本人の意志・決意に反してまで 「西野と真中がくっつく」ことを願うのは、再登場後の西野に対する裏 切り以外の何物でもありません。それを「応援」などと称するのは、 俗耳に入りやすい紋切り型の言葉の響きを隠れ蓑にして、その薄汚い実態を 覆い隠し、目を逸らそうという卑劣な行いで、西野を自分のさもしい欲望の下僕 にしているだけなんですね。

西野は、「自分が彼女のはずなのに、自分より も好きな娘がいる」というバカにされた状況にずっと耐えてきたけど、結 局事態が変わらなかったから真中を見放して振ったわけです 。そのとき、悪いのは一方的に真中なのにそのことを責めもせず、前向きに 明るくカラッと振ったことによって西野の器の大きさが前面に出ていて、本当に 「凛としている」と言っていいキャラになっています。真中なんかとは「格が違 う」。

そんなにも「よくできた」西野を、「余りにも失礼な態度を取り続けてきた」 真中とくっつけてくれ、と願う西野ファンというのは、「自分が最も好 きであるはずのキャラ」に対して「最も侮辱的なこと」を無責任に期待している のですね(西野ってそういう意味じゃ可哀想なキャラです。 一番熱心なファンに、一番自分の尊厳を踏みにじられているのですか ら)。西野「本人が」好き、という人が、ストーリー上の決定的な矛盾に頬被り して真中と結ばれることを望むのは、全く筋が通りません。大多数の西野ファン というのは、適切な呼び方をするなら「西野エンドファン」でしかなく、 本来「西野ファン」と呼ばれるべき資格など持ってないんですね。

本当の西野ファン、西野“本人の”ファンだったら、西野 が真中「なんかと」くっつけられてしまったばかりか、 それまで持っていた美点もことご とく台無しにされてしまい、盛大にミソをつけてしまったあの終盤に、 激しく憤りを感じなければいけません。その闇から目を背け、見ようと しないのは却って西野に対する侮辱でしょう。 その姿を直視して、それにふさわしい評価を与えてや ることこそが、西野に対する本当の誠実さであるはずです

[2016, 10/4] そうそう、これですよ、これ。 → わたしは西野つかさちゃんのファンだったんですけど「真中と付 き合って幸せになってほしい!」じゃなくて「優柔不断な真中には西野つかさちゃ んは任せられない」とハーレム漫画の主人公に対して始終イラついている西野過 激派でしたこれを書かれたのは女性の方ですけど、西野ファン、それも 特に女性の方は、自分が本当に西野のことを好きだというのであれば、 そういう風に思うべきなんじゃありませんか?

[2015, 8/3] あー、こちらの方は実はさらに もう1件記事を投下されてたんですね…。すみません、気づいてませんでし た。6年以上も経った後で超今さらになってしまいますが、こちらに 対しても同様にコメントを付けていこうと思います。

まず、ここでも西野にとって真中は自分に夢を与えてくれた存 在西野にとって今の自分があるのは真中のおかげと言っても 過言ではないのではないでしょうか西野が真中からもらった かけがえのない自分のやりたい事というインチキが繰り返されていますが、 その欺瞞は既に上で指摘したので繰り返しません(なお、ここで補足されている 作中で西野が言っている「人を好きになるって理屈じゃない」っ てこういう所からきているのかなですが、そのセリフが出たのは西野が別の 高校に進学することが解ったときですから、まだ桜海学園で充実した生活を送り 始めるのことで、理由づけとしては微妙にずれが感じられます)。

その人が自分にどういう影響を与えてくれるのか、西野の場合 は自分の夢が現実になっていくにつれて真中への想いも大きくなっていった印象 ですうーん。ひょっとして私の指摘を見た上でこう補足してくださったのか もしれないですが、どうしても「だんだん」大きくなっていった、ということに したいみたいですね。つまり、「育った」というストーリー性を付与することに よって、そこに「情緒」ないしそれに準ずる「単なる形式的ではない価値」があ るんだ、という主張につなげたいんでしょうけれど。まあ、「印象」というなら それは私にはもう手出しできない領域の話ですが、私も「印象」で述べるなら 「だんだん」大きくなっていたという印象は全然なくて、バイト先で再会した辺 りでいきなりメーターが MAX まで振り切って、以後ずっとそのままフルパワー で胸をキュンキュンさせている、唐突かつ意味不明で素っ頓狂なキャラ描写に見 えます。結果だけがいきなり素っ気なく投げ出されている、情緒もへったくれも ない粗雑さで、鶏ガラを野良犬に投げ与えているような味気ない描写です。コン トとして見ても落第点でしょうか、この河下先生の描き方の出来の悪さは。

それから、この人のここが好きというより、その人が自分にど ういう影響を与えてくれるのか西野の場合は自分の夢が現 実になっていくにつれて真中への想いも云々が並べて書いてある、というの は、次のことを暗黙のうちに前提としているのだと思います:「真中が西野に与 えた影響によって、西野の夢は現実に近づいていった」しかし、そんな描写って 作中にありましたか?西野が自分の夢を現実に近づけていってたのは、西野自身 の努力と才覚による描写しかなく、「真中の」与えた影響による寄与というのは、 少なくとも直接のものは皆無だったと思うのですが…。これまた、上で指摘した ような「何の関連もない2つのことを、勝手に結びつけているだけ」という疑い が濃いのではないでしょうか。

西野は初めから日暮の事を恋愛対象として見ていなかったとい う事日暮がどんなに魅力的でも西野の中で真中より日暮のほ うの存在が大きくなる事は決してないんですそのこと自身に直接の異論があ るわけではありません。「結果として西野にとっては真中はそういう存在だった」 ということ自体は間違いないし、作中の描写からそう読み取れることには反対し ていないです。ここで問題になっているのは「 なぜ、西野がそんなにも真中のことを好きになるの かの理由がまったくわからない上、最初 の別れの時の描写と完全に矛盾した言動の数々が完全にすっぽかされている」 ということですね。その急所を外したまま「だって西野はこんなにも真中のこと が好きなんだ」という状況証拠をいくらかき集めて見せても、それは私の追及に 答えたことには全然なっていません。

sakuhindb 記事その2

[2015,7/6] sakuhindb に最近投じられた記事 について取り上げてみようと思います。

まず、一気読みをしてみると、かなり西野に分があるのがわかっ ちゃうような描かれ方をされていて、ラストに納得できるようになってます。 についてですが、ラストに納得できるようになっている、 というのはものすごく色々なことに無造作に目をつ ぶってしまっている、雑な見方なのではないでしょうか。また、 西野に分があったという表現も、後の方でご自分で お互いが不器用すぎたせいだけではなく、ゼツボー的に運がなかっ たとしか「主人公とヒロインが良い感じになると邪魔され る」というラブコメの王道シチュエーションのせいで二人が引き離された感じも あってと補足しているように、適切な表現ではないように思います。

それから、やっぱりそんな幾つもの運命を頼りに胡坐をかいて いては、二人は結ばれなかったわけですについて言えば、上で私が すべての矛盾の皺寄せを東城に被ってもらい、重大な落とし前を 付けず、自らの罪に追いつかれることのないまま、労せずして与えられた地位に のうのうと胡座をかいているだけと書いた通り、最後は西野の方こそがその 批判を受けなければならないキャラだった、ということは見過ごしてはならなかった のではないかと思う点です。

真中は、西野が見せる喜怒哀楽や行動力が牽引力となって、東 城ではなく西野に天秤を傾けてしまったんですよ。うーん、はっきりそうと 言えるような描写は作中にはなかったように思います。上で私も書きましたけど、 真中が西野を好きになる材料としては、「顔」だの「性格」だの といった即物的なものなら揃っていますし、これまでの「西野イベント」の繰り 返しが実を結んだんだ、とすれば、ことさらそれを否定する材料があるわけじゃ ないですからね。といった具合に、妥当そうな推測なら十分できるんですが。

とはいえ、ラブ・サンクチュアリで誤解をさせたのは東城で、 それが結構真中の気持ちの整理の引き金にもなってるんですよね。というの は、「気 持ちの整理」の異様な不自然さ・強引さにもっと批判的な視線を向けるべき なのではないでしょうか。また、誤解させたことの主体がひとり東城にあるかの ような前半の表現もやや首を傾げる点です。そこはとはいえ という逆接で繋げるよりもむしろ、その直前までの部分と地続きで、東城に不利 な展開が「話の都合」で無理矢理繰り広げられたという、今作によく見られた事 象の一環として捉える方が適切なのではないかと思います。

最初の方は真中がさつきにドキッとする描写も多くて、「東城・ さつきの二人で揺れる」という描写もあったのに、いつの間にか完全に消えて、 また「東西決戦」になってしまってたという…。うん、 これについては(作者的な)事 情はとてもよくわかると思っています

東城と西野が同じくらい好きで揺れまくってるけどうーん、 「同じくらい」には見えないんじゃな いでしょうか。それに、もし本当に「同じくらい」に見えるような描写になって いたら、高3の2学期からこっち、 あんなに 異常さが目に見える強引な展開で真中と西野を無理矢理カップルに仕立て上 げる必要はなかったはずですし。

後半になると新キャラが出るたびにガッカリする事が多かった です。嫌いなキャラではないけど、既存のキャラでも充分回せるんじゃね?とい う時によくわからない新キャラが出てきて…。 これも作者的な事情 は推測できます。たぶん、アンケート対策のテコ入れだったんでしょう。何 せ、新キャラは恒例行事のごとく、2〜3巻ごとに1人という定期的なペースで 出てきてましたからね(笑)。

はっきり言って、最終回で唯が言ってくれた通りですよね。 最終回は唯は出てないので、これはたぶん別の箇所のことですね。162話が そうなんじゃないかな。

そういえば、東城は最後まで真中に「自分は一方的な好意を寄 せていただけだった」、「全部勘違いだった」、「真中はずっと西野しか見てい なかった」と思ってるんでしょうか。これはよい視点。まあ、最終話での4 年後の描写を見ると東城も精神的にだいぶ成長しているようなので、そこまでの どこかの時点では「やっぱり、真中は自分の方に好意を向けていた時期もあった」 ということは気づいていたんじゃないでしょうか。と言うか、そう思いたいです ね。

個人サイト分析記事

個人サイトその1

Amazon のカスタマーレビューではないんですが、 これもな かなか面白い分析で、いくつか興味深いところを(テキトーに)引用してみ ます。

前置き

いちごには思春期の男の子の「誰かと付き合うってどんな感じ なんだろう?」という、ところがスッパリなくなっています。余り他では見 かけない指摘ですが、鋭い。こういう所に、作者が女性であることが如実に顕れ ています。そしてやっぱりこれ、まず第一義的には恋愛マンガじゃなくて パンツマンガなんですよね。普 通の優柔不断男は意中の子と2人きりで喋れるようになるまでが苦悩なのです。 とにかく、インパクトで見る限り妄想が現実に負けてる真中君は、本当に映画監 督できるの?って感じです。うん、まったくです(笑)。

西野編

(西野は・引用者注)北の人と違って目のくらみ方が少ないの でより真中を理解しています。いやあ、それは違うでしょう(笑)。 西の人の真中に対する行動はこれまた珍妙です。色んな理由で真 中が他の人とうまくいきそうになるとその臭いをかぎつけ寄ってくるのですから、 余計そういう風に見えます出て来ない時は連絡もしていない 様でさして困っている感じもしません。彼女は真中の事は会っていないときはど うでもいいが、会っている間は擬似的な恋愛相手の様な存在なのでしょう。珍妙 というか異常にリアルというか、とにかく彼女の行動は真中を仲のいい女友達の 男版として扱っています。この辺りの分析はいちいち的確ですね。

自分のファンクラブまである美少女です。身近に喋れる同年代 の男性がいないのが男友達の少ない原因の様です。彼女は彼氏と友達の両方の役 目を真中一人に要求している様です。アホみたいによってくる男以外の同世代は 真中しかいないということなのでしょう。そうでなければ元カレをケーキの試食 で呼ぶなんてできないと思うのですが、どうなんでしょう・・・。なるほど、 そこら辺、あえて整合性を追求するならそういう解釈も可能なんですね。 モトカレを部屋に呼んだりするところから見て、男一般や恋愛に 興味があるだけで、一番手軽な真中に接近しているだけと見たほうがよさそうで す。つまり、恋に恋しているだけで、たまたま彼女の周りには男がいないから真 中と合ってるだけともいえます。ああ、まー西野ってそんな風に見えます よね。そりゃもう、全然真中に合いそうには見えませ ん

今は東の人との関係もある程度許容している様にも見えます。 しかし、モトカレを部屋に呼んだりするところから見て、男一般や恋愛に興味が あるだけで、一番手軽な真中に接近しているだけと見たほうがよさそうです。つ まり、恋に恋しているだけで、たまたま彼女の周りには男がいないから真中と合っ てるだけともいえます。とりあえず世の女性の多くと同じく(見かけ上は)別れ た男を引きづる様には見えませんし、彼氏がいなくて不自由を感じる様なタイプ ではありません。また、社交的で美人で頭もよくて若い彼女が今の世の中苦労す る道理がありません。よって、今のままの真中と付きあっても飽きてしまう可能 性が大きいです。唯一ありうるパターンは彼女にケツを叩かれて真中がいい男に なっていくというものですが、真中はプライドが高いのでそんな状態が続くと卑 屈になってしまい、いちいち何でもない男との会話すら文句をいってくることで しょう。ざっくりといえば今の西の人に必要なのは女の友達です。性欲が前面に 出なくなった真中ならいい友達になれると思うのですが、これは4〜5年ぐらいで は無理なお話でしょう。これでモトカノ[ママ]4人の中では他 の3人よりは大分可能性があります。なんてことにはならないと思うんです けどね(笑)。また、西の人は真中の本性をかなり正確に把握し ています。なんて観測は、 終盤の展開でまるっ きり裏切られてしまってますし、それならば 向井に嫉妬したときに懸垂返しなどせずに、 真中と縁を切ればよかっただけの話です。そして真中の無様 なところも何度もみています。である以上、何だっ てそんなに真中に付きまとうのか、その理由をはっきりさせてもらわなくては 落とし前が付きません。

この分析、東城に対しては西野よりもさらに辛辣な部分もあるので すが、そこ は私は都合の悪い所は知らんぷりするというズルい対処でス ルーしたいと存じます(笑)。心を入れ替えて(笑)、東城に関する分 析にも付き合ってみることにしましょうか。

東城編

主人公をステップダウンさせるうーん、そうかなあ?この 分析が書かれた時期(2003年)的な問題もあるのでしょうが、基本的に真中のほ ぼ唯一の向上心である映画監督としての実力向上は、東城がいるからこそ高校の 間継続できたはずで。時として、東城がいることを言い訳にして自分の努力を怠っ たりする傾向があることを「ステップダウン」と評してるんでしょうけど、しか しそれが東城にふさわしい評か、と言ったらそんなことはないと思います。

映画以外には何も接点が無く映画以外は趣味も合わない様です。 趣味については北大路の方が遥かに合っていますね。「映画以外に何も接点 がない」というのはどうかなあ。東城が小説を書き、真中がそれを読む、という 関係………も一括りにして「映画」と言ってるのかもしれませんが。まあもとも と中学編で終了する予定だったこともあって、作者はそれほど2人に接点を作ろ うとはしてませんね。その部分は連載が長期化するに伴って、作者が積極的に変 えていかなければいけなかった部分なのですが、それが不十分だった、という批 判は当てはまると思います。ただそうは言っても、例えば自宅のパーティーに呼 ぼうとしたりして、真中と接点を作ろうとはしてますね。実際本編で書かれなかっ たにしろ、そういう機会は他にもいろいろあっただろうし、そこで東城を責める つもりはあんまりありません。

真中の映画に対する取り組みについての認識も甘くこれまたシ ナリオを読んでくれる便利な男というポジション以外なさそうです。これに ついては、小説を書く動機が「真中に読んでもらうため」で、それがなくなると 書く意欲が失せてしまうほどだったことから考えて、それほど軽い存在だという 見方は違っていると言えるでしょう。

典型的に付き合い始めたらソッコー別れそうな組み合わせです。 ヤキモチを焼いているのに黙っているという描写があるので、付き合ってもいな いのに彼女気取りな反応はしています。うーん、あれはオフィシャルに付き 合っているわけじゃないからこその反応だと思うんですよね。「文句言いたいけ ど、言える立場じゃない」という理性と、「文句言いたい」という感情の板ばさ みになってああいう反応になっちゃったはずなので、実際、互いの意思が確認で きて晴れて交際が始まったら、嫉妬心や、嫉妬心から来る文句などの何やかやを 抑える必要が特にあるわけじゃないので、色々と自然に口に出せるようになって いくんじゃないでしょうか。

なんというか押しが弱く不幸を一手に引き受ける受難のヒロイ ンです。ですね。だからこそ、一番応援したくなります(笑)。 彼女だけは、どうやっても真中とはうまくいかない気がするのですが、そういう 作画テクニックなのでしょうか、それともそれを理解しているために2人の距離 を近づけない様に展開し続けるのでしょうか?多分判ってやっているんでしょう。 私も、「2人がくっつ いても、将来互いに相手をダメにしてしまって、幸せになれるとはちょっと思え ない(笑)」なんて書いている通り、真中と何の心配もなくうまく行く、と は別に思ってないですが、一方彼女「だけ」はうまくいかないだろう、と東城に 限定するのもおかしな話だなあ、と思います。うまく行かなそう、ということに かけては、他のヒロインも大して変わらなさそうで、うまく行きそうな順に挙げ れば、北(南)東向西、くらいじゃないでしょうか(西野と向井がどっちが上か、 は難しい所で、ほとんど丙丁付けがたい所でしょう)。あとやっぱり、東城は北 大路とは別の意味で真中と相性 ぴったりなんですよね。ですから、「将来互いに相手をダメにする」恐れは あっても、「一方がもう一方に愛想を尽かす」という形での破局は基本的になかっ ただろう、と思います。

作者は(一昔前の)少女マンガの様なヌルい展開を許しません。 東の人の様に積極的に行動しない人にはとことん辛くあたる覚悟の様です。 高1の体育館倉庫や高2の山小屋、高3の体育授業の話のように、必ずしもそう とばかりは言えないです。「とことん辛くあたる」のは、作者本人の直接の意向 の反映、というよりも、引き延ばしの都合のせいでそういうことになっちゃった、 という面が一番強いんでしょう。

今のままだとお互いがお互いとしか付き合ったことが無いのに、 趣味も違うし致命的にすれ違いの毎日です。お互いが盛り上がっても付き合いた いタイミングがずれているのもツライんですが、最悪なのはお互いが頑張って相 手に合わせ様としてる所ですね。たいてい東の人はかなり無理して真中の都合に 合わせます。すると真中はそれがわかると必要以上に力が入ってこれまた疲れる ことばかりします。この2人はケンカをすることもできないので、ストレスはた まる一方です。確か一度東の人に怒鳴られてますが、あれは例外的なケースで、 とにかく東の人は自分の不満を真中に伝えません。ちょっとキツイ言い方ですが、 お互いに自分が嫌われないように気は使うのですが、実際の行動はガマンするだ けです。本来はコミニュケーションを増やさないといけないのですが、2人きり になったら欲望がつっぱしるお年頃です。なんだか、熱く語ってしまいましたが、 真中が付き合い始めて変わっていかない事にはどうにもなりません。しかし、お そらくそうなったら東の人は輝いていた(と錯覚していた)真中が自分のせいで しょぼくれた男になってしまった(実はもとからそうなのだが)と感じて別れよ うとするでしょう。何だか書いていてツラくなってきましたが、この2人はとり あえずお互いに他の人と付き合って10年ぐらい経って不倫するとかでないと無理 そうです。結構当たってる所もあるかなあ(笑)。ただ、「ケンカすること もできない」「東の人は自分の不満を真中に伝えない」って所は、上でも述べた 通り実際に付き合っていれば違ってくるだろう、と思います。

………と思ったら、

彼女になる=守りに入るということで、彼女なのにブーたれたりみっともな いとこ見せちゃいけない!みたいに変に煮詰まるってのも十分ありえますよ!

何故かというと、東城は別に文句を言う障害があるから言えないというより も、自分の気持ちを口にすることが出来ない、という部分があるように思うか らです。それは意中の相手と付き合ったからすぐ解消される問題ではないと思 うのですよ。

という反論を、とある方(元文書を書いた方ではありま せん)から電子メールで頂戴してしまいました。うーむ、それも確かに尤もです ね(笑)。ただ、東城は弟に対しては遠慮なくずけずけと物を言うことができて いましたから、自分の気持ちを口にすることが出来ないとい うのは「相手による」話に過ぎず、「東城本人の人格そのものに深く根ざす、 容易には克服できない気質」ではないんですよね。なので、私個人の希望 的観測を述べておくなら、真中と晴れて両思いになって弟のような「身内」に準 じる立場にシフトして行けば、そういう問題は自然と解消していくのではない か…と思っています。

話を元に戻しますが、東城は真中に「輝き」を見て惹かれていたわけじゃあ ないんだと思います。別ページ でも書きましたが、真中が特に気負いなく自然体で振る舞っていたことが、東城 自身の欲することにぴたりと合致している、という形になっていて、そのこ とが東城にとって真中にますます引き寄せられる理由だったと思うんですね。な のでここで言われるような「錯覚」というのは元々ないんだと思います(あると してもそう大したものではない)。そうすると、覚めるべき「錯覚」がない以上、 覚めることによる「幻滅」というのも、「そもそも、発生しない」のではないで しょうか。

そういう点に関しては、この引用文が書かれたときには未登場だった 向井がよい対比対象となると思います。 向井は確かに真中にかなり幻想を抱いてましたから、この娘だったら真中の「本 当の姿」を見たら幻滅して離れていく、ということは自然な描写になります。で も東城は別に真中の「本当の姿を見てなかった」わけじゃないんです よね。中学のとき、真中が自分に目もくれずに西野に告白して付き合い始めた事 情を誰よりもよく知っていたのは東城ですし、高校に進学してからも、 北大路や西野といった綺麗どころとの縁がありまくっていたことを十分承知して いました。にもかかわらず、肝心な所ではちゃんと「数学ノートの小説」 を軸とする「夢の共有」を何度も再確認してくれて、真中が「自分をしっかり見 てくれている」ことを実感していたことは説得力を持って描かれてい ました。東城は真中に幻想を抱いていた(から好きになった)わけでは全然なく て、彼の「本当の姿を」ちゃんと知っていて、「にもかかわらず」どころか「だ からこそ」真中にずっと惹かれていたわけです。

番外編

今更ですが、いちごが各話でストーリー的に繋がっている必要 はあるのでしょうか?。オムニバス形式にするか男キャラを2〜3人出せばぐっと 幅が出て良いと思うのですが、無理なんでしょうか?ははあなるほど!河下 先生もそれがわかっていて「初恋限定。」を始めたんですね!んで、 天地を見る限り作者の中の男子高校生像は1パターンしかなく、他 は全部変態みたいですから無理だったのでしょう。という分析通りに玉砕 してしまった(笑)、と(いや、多少真面目な話をすれば、「初恋限定。」の失 敗の主な原因はそこじゃあないと思いますけどね)。

個人サイトその2

このコーナーの原点となった 漫研での記事と、それに対する私の一連の反応です。

  1. 「天元突破!雨宮ゆり子!」その5
  2. 「天元 突破!雨宮ゆり子!」その5に寄せて
  3. 西野は 本当に螺旋戦士か?
  4. Re:西 野は本当に螺旋戦士か?

[2008, 8/14] もういっちょ。「漫研」内で、このマンガと「キミキス pure rouge」を比較して「どちらがより酷く崩壊しているか?」という話題になり、 その流れから「 い やそれを言うなら D.C.II アニメ版はキミキスなんてメじゃないよ?」とい う説が出てきたので、確かめてみるべく両作を(見たくもないのに)見て検証し てみた結果です。

  1. ダメエ ンド対決覚え書き・D.C.II対いちご100%
  2. 続・ダ メエンド対決覚え書き・キミキス pure rouge 対いちご100%

個人サイトその3

続いて、トップページの東城派感想リンク集にも追加 した blog 記事 「いちご100%」の東城綾に学んだ。恋を掴みたいなら性格ブスになれ、と。 を取り上げてみます。東城派の方が書いているので基本的に「うんうん」 と共感しながら読めるのですが、記事タイトルになってる「性格ブス」というキー ワードを巡る分析には必ずしも頷けない所があるので、こちらのページで改めて 掘り下げて考えてみたいと思います。もともとは、直接お伝えしようと考えてい たことなのですが、電子メールアドレスは公開されておらず、コメントをつける にもはてな blog に加入しないといけない感じだったので、仕方なくここで公開 しています。

共感度 MAX ポイント

やっぱり東城綾をどうにかしてやりたい!!泣 そうですよ!!(泣)

この記事の白眉はここですね。西野や北大路みたいに可愛 いから許されるんだって思うなら、それだけ自分の見た目に自信がないなら、 もっと可愛くなろうって思ってよかったんだよ。/私には性格しかない、じゃ なく。/悪いところばかり見て自分を追い詰めてないで、もっと自由に笑っ てほしかったよ。涙の理由をぶつけてよかったんだよ。/東城……。

East Side Story にも、開始前での時点での言及がちょっとありますが、 この 失恋が東城にとって大きな糧になっていますように。という願いとは裏 腹に、本編と同じような話作りになってしまっている所は残念です。

その一方で…

この記事の中心となっているのは「性格ブス」というキーワードと、それを 核とする考察ですが、そこは必ずしも頷ける部分ではありません。まず2ヶ所引 用します。それでも東城がそれを真正面から受け取ってしまった のは、「性格」だけはキレイでなければならないと思い込んでいたからなのでは ないかと私には思えてなりません。/控えめに、自分の想いを圧し殺し、いい子 で居続けた東城。作品作りを通して、真中と同じ夢に寄り添い続けた東城。/東 城がもし、ただ純情なだけのいい子だったらここで泣くことはなかったと思うの です。彼女にとっては、嫉妬すること=好きな人の幸せを 祈れないこと=性格ブスになること。ブスとして生きてきた彼女は、性格までブ スになるわけにはいかなかった。これらについては、東城がそこまで外面 (そとづら)を保つことに縛られ固執する人間か、と言うとそうでもなかったは ずで、中3の時に自分が言い出して始めた早朝勉強会を、真中と西野の仲を ちょっと誤解した勢いでそっけない伝言メモ1つで一抜けしてしまう身勝手な振 る舞いに及び、その後も真中とは口もきこうとせずに避けていたり、 高1のときに映研に誘われたのが北大路より後だった、というだけで嫉妬で癇癪 を起こしてまた口をきかなくなる、という振る舞いに出ています。

このように、東城というキャラは、本来は割と嫉妬心が抑え切れず 表に出てしまい、余り誉められた行いと言えない行動に出てしまうキャ ラだったはずなのです。で、そういう傾向は連載途中から影を潜めて物分かりの いい面ばかりが前面に出るようになっていくのですが、 その理由は、別のページでも書 いたように、作者の中の東城は一度ヘソを曲げるとなかなか機嫌を直してくれな いキャラで(上の2つの例どちらでも、東城が真中に口をきかなかったのは作中 時間でかなり長い期間に及びます)、作者の思惑に沿った路線でストーリーが展 開できず軌道修正に苦労することがちょくちょくあったため、手を焼いた作者が 「もう、東城に嫉妬させるのはこりごりだ」と思って「東城は嫉妬しない『こと に決めた』」ということなんだと思っています。

実際、それまでの調子で東城が(結構強烈な)嫉妬心に任せて衝動的に行動 してしまう展開を繰り返していたら、作者がストーリーを制御し切れなくなって、 遠からず真中は東城の好意を明確に知ることが不可避となり、連載が終了してし まう恐れが高かったことでしょう。それを避けるためにも、この時点で東城の性 格はかなり強引・無理矢理にねじ曲げられているのではないでしょうか。

そういう意味でも、東城は「本来だったら」手中にできていたはずの結末を、 連載引き延ばしの事情によって結果的に不当に毟り取られた、と言えるキャラで、 何度思い返しても無念で腹立たしく、嘆き悲しむ気持ちで胸が一杯になります。

(あと、これは必ずしも重要なことではなくはあるのですが、考察の中心と なっている「あたし、性格悪いね。それでも、真中くんと一緒に いたい……!」のセリフは引用が正確ではなくて、実際には「あたし 嫌な 人間だね/それでも真中くんと一緒にいたい…!」です。つまり東城自身のセリ フには「性格悪い」という言葉は出ていません。「性格悪い」と「嫌な人間」は ニュアンスが少々異なっており、このため、東城自身が「性格悪い」「性格ブス」 という自己認識を持っていたという前提と勢いで突っ走っていく分析は、勇み足 気味な所が若干感じられます。実際、東城が私には性格しかない という考え方を持っていたかと言うと、そうではなかったように思うんです よね…。)

また、真中目線で読んでいくと、ヒロインの中で一番何を考え ているかわからないのは東城だなと思います《東城は俺の ことどう思ってるの? 東城が好きって言ってくれたら俺は……》なんて、受け 身なモノローグしてる主人公が想い人なわけで!/お互い引いてちゃ進展しよう がないよ……。についても疑問があります。このモノローグは第50話のもの ですが、その直後に真中は部室で思わず東城を強く抱きしめてしまい、そこで東 城が拒絶する様子もなかったことから、そこから数話の間は「東城が自分のこと を好きだ」とほぼ確信した状態で話が進んでいっています。しばらくするとその 辺りも連載継続上の都合上うやむやのあやふやにされては行くのですが、ここで の断定ぶりは、本編の実際の描写とはやや齟齬があるように思います。確かに東 城の明確な意思表示は少なめではあるものの、 94話では、(なぜか例外的 に)バレンタインデーに「本命チョコ」度丸出しの凝ったチョコレートケーキを 人目につく場で堂々と渡してましたし

想い人・真中は中学の頃に付き合っていた西野のことが好きだ と思い込んでいるというのも、真中が西野と別れた、ということを知るまで のことではあるんですよね。実際、48話では、西野と別れたと聞いたからあげて も迷惑にならないかなと思って、という理由で義理チョコのフリをして真中にチョ コを渡していますし。しばらく経ったらまた、真中がバイト先でまた西野と会っ ていた、ということを知ったので、そこからはまた想い人・真 中は中学の頃に付き合っていた西野のことが好きだと思い込んでいるという 状態に逆戻りしてしまったことは確かなのですが。

(この段落はすべて直接関係ない別の話に逸れていますので、 興味のない方は読み飛ばして頂いて構いません)その高1バレンタインデーの東 城の行動について、 みなみさんからは1年のバレンタイン時に「西野さんと別れたから いいと思って」というような理屈で友達チョコをあげるのも、「西野さんと別れ たって聞いたからって笑顔すか?なんかその言い方どうなのよ?」と、突っ込め る(すいません、突っ込みました。死ぬほど突っ込んだ)とかなり厳し い調子の非難を受けているのですが、なぜそんなに強く非難されなければならない のか、そんなに強烈に突っ込みを入れることがさも当然であるかのように言い放 つ余地がいったいどこにあるのか、以前からわからなくて不思議に思っています (かつて別ページで リンクを張ったとき「それは別におかしくないじゃん?」と思う ものも含まれてますがと書いたのはこのことだったのですが)。東城が 言っている話は「お礼の気持ち」(というのが建前であるにしても)でチョコレー トを渡すのは、彼女持ちだったら迷惑になるだろう、と思って控えていただろう けれども、そうでないと知ったので渡すことにした、ということで、これは別に 全然おかしな所はありません。その際に真中により近づける喜びからつい顔が綻 んでしまうのも、東城の立場なら当たり前のことであって、別に他人から文句を 付けられるような筋合いの話ではない(東城と同じ立場の女の子だったら誰だっ てそうなるのは無理もない話だし、こういう折りにその都度別れた相手の女の子 の立場を思いやって神妙な顔つきでいないといけない、と東城に要求するのは 「越権行為」なのでは?ここで東城が真中にどう接するか、というのは「この2 人の問題」であって、仮に真中が「東城が西野のことに配慮せず笑顔で接してく るのが辛い」と感じていたなら話は別ですが、真中がそのことを別に気にしてい ない以上、「ただの第3者」である西野のことを東城がそこまで気にかけなけれ ばいけない理由などどこにもないはず)わけですから。

(あと、余談に類する話になりますが、ついでながら触 れておくと、真中と別れてから料理教室に通った西野という のは、続く部分で東城に乏しかったとされる痛みを伴う成長性 に数える要素としてはあんまり適していない気がします。それだったら、 「真中の気を引くために、敢えて真中とは別の高校に進学する」という決断を挙 げた方が適しているのでは…という気はしました。さ んざん西野のことをけなしている私が、こんな所だけは西野にとって有利に なるような提案をするのも何ですが)

もう1本の記事

もう1本のいちご記事 「いちご100%」の西野つかさが、最後に勝つ女の生き方を教えてくれた についても、個人的に不満を覚える点について論じてみます。

  1. まず、淳平にとっても、映画制作という同じ夢を目指す 中で、東城綾の存在は恋人というより尊敬すべき仲間に変容していたので はないかと思います。についてです。これは西野派がよく使う言い分 なのですが、そういう文脈では単に彼らに都合のいい理屈を後づけで持ち 出しているだけだと思います。確かに東城は真中にとって尊敬すべき仲間 に「も」なったことは間違いないと思いますが、そのことと恋愛関係にな ることは別段相反するわけではありません。話がおかしな方向にねじ曲げ られる前の高3合宿での展開を見れば、東城は真中にとって相変わらず恋 愛対象として「も」重要な位置を占めていることは明らかで、「尊敬すべ き仲間」と「恋愛対象」は矛盾なく渾然一体として両立し得る立場です。 そこを、この理屈を持ち出す西野派はこっそり(かつ勝手に)二者択一と いう前提を忍び込ませて、東城派の正当性を不当に引きずり下ろそうとし ているに過ぎず、東城派がその魂胆に合わせてあげる必要はまったくない と思います。

    もちろん、真中・東城に対する第3者的な立場からは「彼らは創作と恋 愛と同志愛が全部混ざっていて、お互い依存が強すぎる。これでは却って お互いのためにならず大成もできないだろう」という批判は成立し得ます が、だからと言って恋愛相手として西野が選ばれた理由としては「真中に とって東城は尊敬すべき仲間に変容していって、恋愛方面の重要さがなく なっていった」という理屈は成り立たないと思います。最大限譲歩しても、 それは「終盤の展開は結果的にそうなっていた」という 「状況の観測」に過ぎず、そのような展開がもたらされ た「理由(推進力)」ではあり得ません。

  2. それから、西野エンドには納得です。西野人気も出るし、こ りゃあラストも変わっちゃうわと頷かざるを得ない。/というか、ストー リー上、西野つかさ以外はありえないと思います。については まったく納得できません(笑)。 終盤、真中が西野を選んだ のは、極めて不自然で強引な展開によるもので、無理矢理話をねじ曲 げた結果です。おまけに、西野がそこまでストーリー上脱落しなかった (どころか、「廃品利用」的に再登場までさせてもらえた)のは、単に読 者人気がぶっちぎりに高かっただけで、そもそも真中にそんなに執着する理由が微塵もない ことを黙認してもらうと いう不正によるもので、 西野に「エンド」が与えられる物語上の資格・必然性などこれっぽっちも ないことは明らかです。
  3. 最後に選ばれる女は戦友ではなく別の戦場を戦う女だと言わ れると、説得力があるような気もします。これは結果論に過ぎないので はないでしょうか。単にどちらもあり得るような必然性に乏しい話(実際、 ような気もしますと自己評価されてるわけだし)を、結 末に合う方を後づけで選んでいるだけに過ぎず、西野つかさ が選ばれたのはなぜかという理由の分析としては成立しないと思いま す。

togetter まとめおよびそこから派生した blog 記事

以前、togetter 上の西野派の人のまとめと、 それを 元にした blog 記事を見かけて、いずれも大いに疑問のある内容だったので、 疑問点への批判を書いたところ、 そ れに対するアンサーエントリを書いていただきました。それもやはり色々と 問題のある記事だったので、それに対しても引き続き批判を書き起こしたところ、 いつの間にか2本目の blog 記事の方はなくなっていました。1本目の blog 記 事は、今見ると当時の内容とはやや異なっていて、一部2本目の記事の内容を取 り込んだものになっているので、どうやら blog 記事はそちらに一本化なさった ようです。

そちらでは、以前私が書いたことを受けてか、何ヶ所かより適切な表現に改 まっている点があります。これらが、実際にこちらの批判を受け止めてくださっ た結果だとすれば、そのことに感謝いたします。一方、疑問点がそのまま残って いたり、新たに不適切な点が現れたりもしていますので、こちらの記事も整理し て、「togetter のまとめ」と「blog 記事」のそれぞれに対する疑問点の指摘と 批判、という形に再構成します。

  1. togetter まとめ
  2. blog 記事

togetter まとめ

おかしな所は、おおよそ次の3点に整理できるでしょう。

  1. 事実関係の相違
  2. 議論が「西野イ ベント」の無条件な全肯定に依存している
  3. 東城派の言い分を退けているつもりの部分が、 単なる「東城派の主張の矮小化」に終始している

以下、詳しく見ていきます。

実際のマンガ内描写 と異なる主張

この人は夢に向かって頑張る西野がいなければ真中は映画を作 れなかったとか、西野がいなければ、真中は映画製作を諦めて いたとか、西野がいたから今の自分があることもわかると か、一貫して「真中の夢にとって、西野が重要不可欠な役割を果たした」という 前提で話を進めてるんですが、実際の本編で、それらしい具体的な場面・描写っ てほとんどないんですよね。高2の映画に出演してくれたことと、あとまあ、カ ラオケ屋で真中のカメラを取りに戻ろうとしたことくらいなんじゃないでしょう か?(「私(筆者)が忘れてるだけ」ってことはたぶんないと思うんですが、も しお分かりになる方がいらしたらお知らせ頂ければ幸いです)。

まあ、別の所で真中にとって西野つかさは恋を教えてくれる人 だった。人の温もりや、一緒に過ごす時間の大切さ、夢に向かっていく強さを教 えてくれたと書いているので、この人の中では「真中にとっての西野の役割 は決定的に大きい」ということは真実らしくて、そこにウソや悪意はないらしい ことはわかりますが、最大限好意的にとってもそれはその「温もり」「時間 の大切さ」という精神的・抽象的な部分に限定される話ですね。より具体 的な行動・寄与、特に「映画製作」「夢」に関して言えば、多分記憶が都合良く 改竄されているだけで、きちんと読み直してみれば、具体的なそんな描 写は極めて乏しくて、「そうあって欲しい」という自分の願望が、こっ そり記憶とすり替わってしまっただけであることがわかるはずです。

また、西野つかさは一途に真中を思い続けたというのも典 型的な作り話 「何かを待つのが嫌いで、嫌になった」から、「こんなカワイイ娘が誰かをずっ と待ってる恋してんのなんてもったいな」いと宣言して「今度こそサヨナラ」と カラッと振ったわけですし、実際、 バレンタインデーの後再会したときも、 ホワイトデーのお返しのリクエストを尋ねる真中に「あたしがあげたってことも 気付かなかったら気付かないままでいいやって思ってた」「やっぱり、次恋愛す るならその人と距離取っちゃダメかもな―――」「……まあそーゆーわけでお返 しなんていらな…」と、真中との経験を糧にして、一回り大きくなった姿として 描かれており、もう真中のことは吹っ切れている、別に真中への想いが再燃した わけではない、という態度でした。そこから後、急激に描写がねじ曲げられ て行っただけで、それは「西野は真中を振った後も真中のことがまだ好きだ ということにさせられてしまっていた」というだけの話です。

それから、17巻でのその言葉を聞いて真中の心から愛しいとい う気持ちが溢れ出す。中学のときとは全然違う本物の恋心。というのも ですね。上にも書いた通り そんなご大層な、 誠実なものではなかったことははっきりしていて、リンク先から一例を挙げ れば、最初に振られたときの「西野は俺と同じ目線で恋愛をした かったのに、俺はいつも西野を見上げる形になってしまっていて」という反省が 全然生かせていません。(中略)「それが原因になって結局2人は破局する」と いう話にするつもりだったのならともかく、このカップルを成立させて終わらせ るつもりなら、真中が自覚を持ってその問題を解消する、という展開は欠かせま せん。それが、「主人公」というものに対して要求される最低限度の資質という ものでしょう。こんな体たらくのものの、一体どこが本物の 恋心などと言えるのでしょうか。

また、読み直すと、初期から西野つかさのほうがずっと特別な 位置にいたとわかる。というのはいくら何でも的外れに過ぎるでしょう。こ の書き方からして「初期」というのは「連載開始からしばらくの間」を意味して いるのでしょうが、その頃最も「特別」だったのは、どう見たって東城じゃ ありませんか?主人公が屋上で出会ったいちごパンツの謎の美少女と、そ れをきっかけに話すようになった地味な眼鏡少女が実は同一人物という二重性。 後者とも同じ「屋上」という舞台で出会う(主人公はそうとは知らないまま、 「繰り返された特別な出会い」を果たし、それを後から知る)。時が経つにつれ、 外見と内面のそれぞれから主人公が惹かれて行く2人の少女が、実は同一人物だ と衝撃的な場面で主人公は知る…という感じで、げっぷが出そうなくらいに手厚 い「特別さ」がてんこ盛りされているのが東城です(お望みなら、そこに「少な くとも初期は」を付け加えてもいいですよ)。これに比べたら、連載初期の西野 の「特別」さというのは、これと言って特筆すべきものがありそうには思えませ ん。

これについては、トップページのリンク集で も取り上げた、 自ら西野派 を以て任じる方見解も引 用しておきます:

初期の西野性格めちゃくちゃなのな。東城やさつきが、初期からほとんど性格 変わってないのに。7巻のオマケページで吐露しているけど、作者からしてうま く西野をつかんでなかった(つか、よく新連載からの数週を乗り切ったと思う ぐらいグダグダ)。そもそも「いちごパンツの子=東城」であって、勘違いで 西野と付き合わせたはいいけど、「東城の対抗としての西野」でしかキャラ立 てられなくて、かなり行き詰まりが感じられた。

(なお、この部分は、修正前の blog では読み直してみると西 野が初期から特別な位置にいたこともわかりますとなっていて、togetter の文言と比べて「ほうが」と「ずっと」が削除されており、その結果として、他 のキャラ「よりも」というよりも、「西野は西野で、他のキャラに十分引けをと らない(という意味での特別な)位置にいた」という意図であることが感じられ て、許容できる表現に収まっていたのですが、現在では削除されてしまっている ようですね。となると、現在残っている togetter の文面からのみ評価するしか なく、「西野が、東城に比べて飛び抜けて特別な位置にいた(だから、 東城が入り込む余地などなく、「西野エンド」はそれ以外ありえない必然だっ た)」という意図と解釈するしかありませんので、「それは思い上がりが過ぎる でしょう」という批判を向けることを避けることはできない状態です)

あと、軽微な相違点を指摘しておきましょう。夢を持って頑張 るために桜海学園に進学した西野というのはちょっと変。結果として 桜海学園で将来につながる夢を見つけて、それを叶えるためにあっぱれな 努力をしたことは確かですし、それは素直に賞賛に値すると思います。しかし、 それは当初の進学目的だったわけではないので、頑張る「ために」桜 海学園に進学した、という表現は適切ではありません。17話では、進学理由を 「東城さんと同じことやっててもあたし勝てないなーって思ったから」と、真中 を落とすための作戦だと言ってますし、26話では「あたしホント言うとそーゆー の(引用者注・真中で言えば映画制作のような、高校でやりたいこと)何も持っ てなくってさ」と言っていますよね。

「西野と真中の絆 の深さ」の無条件な全肯定に依存した議論

この人は「西野と真中の絆が、いかに深く、美しく描かれているか」という ことを、2人の間の出来事を延々と挙げることで強く訴えています。「西野と真 中の絆が深く美しい」……(A) ということを根拠に、「西野は真中と結ばれるべ きだ」……(B)ということの正当性が与えられる、という構図ですね。

西野派としてはそのように素朴に思われるのはある意味当然でしょう。しか し、「(A) を無条件で受け入れられるのは作中の人物たちだけで、読 者視点からはそれは空虚な欺瞞に過ぎない」という認識がまったく欠けている所 が問題です。以下に述べる通り、まず第一に、「再登場後の西野が真中 のことをただひたすら一途に想い続ける」ということが嘘とご都合にまみれた欺 瞞ですし、第二に、「念願叶って、晴れて正式に付き合い出して からの2人の関係の貧しさ」も、(A) がいかに空疎な欺瞞だったかを暴き出して います

まず、大方の西野派の例に漏れず、この人は「西野本人を」思いやってい るのでは全然ないですね。かつての、 「自分は正式な彼女のはずなのに、自分よりも好きな女がいる」という失礼極ま りない態度をとる真中を、西野が耐え切れずに振ったという経緯をまったく 無視し、その後も西野に対し余りに不誠 実な態度を継続し続ける真中なんかを「なぜ」西野がそんなに追い求めな くてはいけないのか、という最も根源的な問題点に頬被りしてい ます。

これに関しては、このページの上の方で書いたことを再度引用しておきます。 やや長いですがご容赦ください。

何度でも繰り返しますが、西野が、真中を『そん なにも』好きになる事情なんてのは全然なく、「真中の方から告白してきた から付き合ったのに、自分よりも好きな女がいる」なんていう失礼かつガックリ な酷い扱いを受けた結果「そのことに幻滅してもうこいつとはやって行けない、 と自分から見放した」にもかかわらず、「それでも、なお」再登場後の西野が 真中一筋なのは、「理由は全然ないけど、とにかく ストーリーの都合上、『好き』ということでいてくれないと困る」とい うだけの話でしかない」のです。である以上、西野のこと が「本当に」好きな人ならば、西野“本人の”気持ちを思いやって、 「そんなに無理矢理西野を真中一筋にぞっこんなんかにしないでくれ!」 と願うのが筋なんですね。それこそが本当に「西野が」好きな人のとるべき道で す。にもかかわらず、ほとんどの西野派の人々は、「男にとって都合のいい だけの、薄っぺらな行動をいつまでもいつまでも取らされ続けること」を 何の疑問も抱かずに受け入れるばかりか、それを願ってすらいるという有様です。

それは「西野が」好きなんじゃなくて、「西野が、真中(=自分)と くっつくことが」好き、あるいは「自分の中の、『一途に恋する西野の かわいらしさ』が」好き、「西野が自分の思い通りに振舞ってくれるこ とが」好き、というだけのことに過ぎません。本来、最初の別れ の後の西野が真中なんかを好きになるはずがないのに、「真中一筋」の中身空っ ぽの言動を取らされ続けているのをいいことに、「自分の」身勝手な欲望・願 望を西野に押し付けて平気な顔をしている、というのは断じて「西野 が」好きな人間のやることではない自分が気持ちいい 思いをしたいがために、西野本人の意思や尊厳を踏みにじって西野を利用してい るだけなんですね。その「自分さえよければいい」という利己的な態 度を「いや、西野は真中のことが好きで『自分で』『自主的に』やってることだ からあれでいいんだ」と正当化しようというのは、「西野が、真中のことを 好きになんかなるはずがない」という厳然たる事実から目を背けているだけ であって、そのやり口の卑劣さを自覚していない、という点で2重に 罪深い言い訳です

(中略)

西野“本人の”意志・意向とは一体何か?それは、彼女自身がはっきり自分 の口で述べている「待ってるだけの恋してるなんてもったいなくない?」「今度 こそサヨナラ」ですね。このセリフがある以上、最初の別れの後では、西野 ファンは「もうこれ以上は西野を真中につきまとわせないで欲しい」と願うのが 正しいのです。その西野本人の意志・決意に反してまで 「西野と真中がくっつく」ことを願うのは、再登場後の西野に対する裏 切り以外の何物でもありません。それを「応援」などと称するのは、 俗耳に入りやすい紋切り型の言葉の響きを隠れ蓑にして、その薄汚い実態を 覆い隠し、目を逸らそうという卑劣な行いで、西野を自分の汚れた欲望の下僕に しているだけなんですね。

西野は、「自分が彼女のはずなのに、自分より も好きな娘がいる」というバカにされた状況にずっと耐えてきたけど、結 局事態が変わらなかったから真中を見放して振ったわけです 。そのとき、悪いのは一方的に真中なのにそのことを責めもせず、前向きに 明るくカラッと振ったことによって西野の器の大きさが前面に出ていて、本当に 「凛としている」と言っていいキャラになっています。真中なんかとは「格が違 う」。

そんなにも「よくできた」西野を、「余りにも失礼な態度を取り続けてきた」 真中とくっつけてくれ、と願う西野ファンというのは、「自分が最も好 きであるはずのキャラ」に対して「最も侮辱的なこと」を無責任に期待している のですね(西野ってそういう意味じゃ可哀想なキャラです。 一番熱心なファンに、一番自分の尊厳を踏みにじられているのですか ら)。西野「本人が」好き、という人が、ストーリー上の決定的な矛盾に頬被り して真中と結ばれることを望むのは、全く筋が通りません。大多数の西野ファン というのは、適切な呼び方をするなら「西野エンドファン」でしかなく、 本来「西野ファン」と呼ばれるべき資格など持ってないんですね。

本当の西野ファン、西野“本人の”ファンだったら、西野 が真中「なんかと」くっつけられてしまったばかりか、 それまで持っていた美点もことご とく台無しにされてしまい、盛大にミソをつけてしまったあの終盤に、 激しく憤りを感じなければいけません。その闇から目を背け、見ようと しないのは却って西野に対する侮辱でしょう。 その姿を直視して、それにふさわしい評価を与えてや ることこそが、西野に対する本当の誠実さであるはずです

(ちょっと余談ですが、西野派の困った所は、単にそういった虚構を認識し ない(しようとしない)のみならず、 「西野つかさ不幸 論」に見られるように、「真中の西野に対するひどい扱いの数々」を直 視してさえなお「西野が真中を一筋に好き続ける」ことを最後には無理やり肯定 しようとすらする、非常に根深いものです。この時点でつか さをふって、東城さんとつきあえばいいんじゃないでしょうかね とか 告白してきた男が別のオンナノコ好きだったらいやですよね普通に とか 付き合って1年ちょい彼氏のやりたい事も教えてもらえなかった 西野です とか 別れましょう。賢明です。物凄い勢いでやめ ておけ。 とか 「いろいろ(酷い目に)あったけど」 のほうがいいんじゃない…? だとか、それほどまでに的確に わかっていながら、どうして西野と真中が結ばれることを切望する固定観 念から抜けられないんでしょうねえ…?)

それから、終盤で付き合い始めた2人の関係のあからさまなお粗末さその1その2)も、 (A) を台無しにしてしまっていますね。もし本当に (A) のような輝かしい絆が2人にあったのなら、たちまちのうちにさぞかし素晴らし いカップルが生まれたでしょうに、実際は無残なものでした。所詮、この2人の 仲など、実りある関係をほとんど産み出せなかった貧困なもの。真中と西野の 絆の証だったはずの (A) が、いかにがらんどうで空しいものだったかが明らさ まにされていますね。

このように、この人が大のお気に入りらしい「美しい西野・真中イベント」の数々 というのは、ほとんどがひとたび読者の立場に立った途端無残に色褪せ、 白々しい虚構に満ちた三文芝居という本性をさらけ出します。 いくら西野と真中の絆が美しいことを力説しようと、そんなものは真実と向かい 合おうとしない西野派の間でしか通用しない姑息なごまかしに過ぎず、「西野 エンド」の正当性など、微塵も残らず幻と消え去るのです。

単なる「東城派の主張の矮小化」

この人は「東城派への異議」をいくつか申し立てていますが、それは「東城 派の言い分を、勝手に(都合よく)矮小化し、その矮小化したものの否定をもっ て東城派の言い分を退けたつもりになっている」というものになってしまってい ますね。

この人は結ばれたら幸せで他は不幸せって考えているカプ厨に は、東城を幸せにするのは難しいだろうな〜と言うのですが、これまで述べ てきた通り、これはまさしく西野派の方にこそ痛烈に突きつけられるべき批 判なんですね。外ならぬ結ばれたら幸せで他は不幸せって考 えに囚われているからこそ、「西野が」真中と結ばれるべきだ、ということ に固執し続けているのでしょう?再登場後の西野と真中の縁の空虚さからひたす ら目を背け続けて。

ちょっと私の話をすると、私にとって至高のヒロインキャラというのは「GS 美神 極楽大作戦!!」のおキヌちゃんで、おキヌに比べれば東城なんか鼻も引っ 掛けないような(笑)雑魚キャラです(「西野」の書き間違いじゃないですよ。 「東城」で合っています)。んで、私は、おキヌのことは心の底から好きだけど、 だからと言って何が何でも絶対におキヌと横島 がカップルにならなきゃダメだ!などと言うつもりは当時からなくて、作品をぶ ち壊しにしてまで横島と結ばれて欲しいなんて狭い了見は、過去も現在も持って いません。美神にとって横島は代わりの効かないオンリーワンだけど、おキヌに とってはそうじゃないから、美神を差し置いて無理やりおキヌと…なんてことは 願いません。そうじゃなくて、「それだったら、おキヌちゃんにはきっぱりと振 られる場面を作ってあげて、横島以外の他の相手との素晴らしいエピソードを紡 いであげて欲しい」と思います。憚りながら、これこそが「本当に」キャラ の立場に立ち、幸せを願うことだと思いますよ。

「いちご」に話を戻しますが、西野派というのは、そういう考えを持つこと ができない人がほとんどなんですよね。作品をどれほどだいなしにするかに まったく思いが至らずに、ひたすら「西野と真中が結ばれる」ことだけ に汲々とし続ける絶望的な視野の狭さ。それこそがまさ しく結ばれたら幸せで他は不幸せって考え以外の何ものでも ありません。本当にこの人がその考えから自由であるならば、 「西野は、自分をあんなひどい目に遭わせた真中なんかに囚われたりせ ず、ひとりで輝いてくれ!西野はそれだけの凄いキャラなんだから!」と思うは ずなんですよ。そうでなきゃウソだ。

それから、西野つかさはサブヒロインじゃないし…とか、 西野つかさはメインヒロインです。東城綾もメインヒロインです。 という発言から伺えますが、この人は「東城派の言い分というのは『メ インヒロインは東城であって、西野はサブヒロインでしかないんだから、西野と 結ばれるのは間違っている』というものだ」と思い込み「たがっている 」んですよね。東城派の主張はただの形式論の範疇に留まるものしかない、 と見くびった捉え方をしているから、「形式論には形式論」という構図で「西野 だってメインヒロインだ」と言っておけば済むと思っているんだろうなあ…。

また、西野つかさは他のヒロインができることはほぼ全てでき たという発言の背景にある心理も概ね同根ですね。これは、「東城派は、 『西野がいろいろなことできる』ことに目を閉ざしているから西野を認めようと しないんだ。だから、西野が『いかに優れたヒロインか』であることを指摘すれ ば東城派の主張を退けることができる」と思い込み「たがっている」 ことのあらわれでしょう。

ええと、「東城がメインヒロインで西野がサブヒロンだから」という理屈そ のものは、少なくともそれ単独では、この人の指摘通り破産した言い分なんです よね。それから、「いろいろなことができる」という意味で西野が最も優れたヒ ロインであることもその通り。いずれも当初から、ほぼ自明のことでした。でも、 問題はそこじゃあないんです。そういったことを西野派が言いたいの であれば、取り立てて反論する気はありません。まー実際事実ですし。だけど、 「西野はサブヒロインじゃない、メインヒロインだ」などということが一体何だ と言うのか。再登場後の西野と、この終わり方には 「西野がメインヒロインだ」からと言ってチャラにすることはできないような、 もっと深刻な病理に根ざした重大な問題が深々と刻まれているのです。 再登場後の西野と、西野派が非難を受けるべき所はそこであって、この人が想定 しているような部分じゃないんですよね。詳しくは本コーナー を隅々までじっくり読んで頂ければわかると思います。

まあ、実際の所、結ばれたら幸せで他は不幸せって考えや、 「西野はサブヒロインだからダメ」という観念にとりつかれた東城派も多いでしょ うし(※ 注)、この人がこれまで見たことのある東城派は みんなそんなタイプばっかりだったということもありうる話でしょうから、そう いう連中に対してそう言うことは、ある程度の意味はあるとは思いますけどね。 「東城派はそんなこともわかっていない」と思い込みたくなってしまう気持ちは 無理もない所もあるでしょう。とゆーか、そういう「東城派の面汚し」を糾 弾する心情に限れば、この人には大きな共感すら覚えます(笑)。ただ、だ からと言って、そんな矮小化された観念を否定しさえすれば、「西野エンド」の 正当性が確立されるという目論見については、考えが甘すぎます

「多い」じゃなくて「多かった」 (過去形)かも。もう連載終了から6年(笑)が経とうとしているし、その程度 の狭い了見で東城ファンだった人は、もう大半が離れっちゃってる可能性が高そ う。[2015,7/9] 上の「6年」というのは元の文章を書いた時点。何と今では 丸10年が目前ですよ(笑)。

それから、東城綾が失恋したからこそ、いちご100%は甘酸っぱ くて切ないのに。2人の涙で胸が熱くなるのに。東城の卒業式での決意に満ちた美 しい微笑みが心を打つのに。なぜ東城派は理解できないんだろう。なぜ東城の幸 せな未来を想像してやれないんだろう。あんなにも綺麗な顔で笑ったのに。 について。

これもやはり、東城派を見くびっていることが伺える発言です。少なくともこ こに1人、東城の幸せな未来を想像することができ、 卒業式での決意に満ちた美しい微笑みに心を打たれ、 あんなにも綺麗な顔で笑ったことをわだかまりなく肯定でき る東城派がいます(※ 注)。

こちらのページで書いたことを引用しますが、私はこのように思っています。

最後、東城に「他人から与えられたもの」はほとんど残っていません。残さ れたのは「3年間の思い出」と「小説家としての足掛かり」だけで、それ以外す べてを「こんなことで想いが 満たされたわけじゃない」という余りにも惨めでちっぽけな経験 と引き換えに奪い去られてしまっているわけです。そのほんの僅 か残された「映像研究部の3年間の思い出」(それは要するに「真中との思い出」 にほかならない)を卒業式では「大切な宝物」と最大限に肯定できて、全校生徒 の前で動じずに語れるまでに昇華した(たった2週間で!)東城は、本当に気高 く、強い。そしてほぼ全てを、「小説を書く原動力」だった真中をも奪われなが ら、自らの内面だけを支えに自分自身の再構築を成し遂げた4年後の 東城の強さ・美しさには凄味すら備わっています。

もうひとつ参考までに、とある西野派の方と私のメールのやりとりの一部を 引用しておきます。(必ずしも、直接つながった一連の対話を載せているわけで はなく、直接のつながりはないが関連のある部分を持ってきた箇所もあります)

西野派 M さん:

(筆者注・なぜ、初見ではあの終盤の展開に腹が立たなかったのかと言うと、) あの話の流れは真中×西野カップリングであっても話の中心は東城であり、 その東城の話としては非常にうまくまとまっていて、東城が今まで背負ってき た彼女のテーマ(小説とか、真中のこととか、真中からの自立までも)を全て 昇華するものであったため、東城は恋愛については可哀想だったけど話の流れ として非常に成長したし、これはこれでよいものなのでは?と思ったからですね。

筆者:

そういう見方そのものは非常によくわかりますし、これまた東城派の一人とし て、率直にありがたく受け止めておきます。

西野派 M さん:

改めて考えてみたのですが終盤の東城というのは、東城自身の行動や結果として はいい話になっていると思います。

(中略)

いちごというのは個々の引きというのは非常にうまくて、今後こういう美味 しい展開が来るんじゃね?という予想をさせる物があると思うわけです。

例えば最終盤の東城・真中秘密のカテキョ話も、あれ流れとしては普通に西 野にバレてうわギャーこれどうなるのよ、という展開を予想したわけですよ。 で、最終対決みたいな。

それが実際には、東城が真中にキスしちゃったことを西野が知らない、どこ ろか秘密のカテキョ話すら西野さんは知る由もなかったというなんという肩す かし展開。

おかげで東城のキスは物語上は東城の単独自爆行為にしかなっておらず、そ のあたりが井汲さんがこれはどうなのかと疑問点を投げかけるデキになってい るわけですしょ[ママ]ね。

実際に、真中と西野と東城の話も、少し組み替えるだけでも全く違ったものになっ たと思うのです。

しかし実際にはああいう結末で、東城なんかは、多分河下先生としては東城 をフォローするつもりでああいう話にしていたと思われるのに、物語全体の流 れを見ると東城ひとりだけバカをみたような可哀想な話になってしまっている のですよね…

でも東城視点の話としてはうまく落ち着いているように見えるので、河下先 生は本当に東城をフォローするつもりだったんではないでしょうか…

筆者:

(終盤の展開は、)「東城の物語としてはとてもうまくできている」という ことについては、私もまったく異論はありません。そこはちょっと認識の相違 があるかもしれないので補足しておきますが、そのこと自身については何ら文 句はないのですよ。

(中略)

最終話の様子を見るに、もうすっかり一人前の小説家として成長・成熟してい て、当時の真中が自分に寄せていた気持ちというものは、恋愛的なものも含めて ほぼ見当がついていたんじゃないかな。そして、その推測が当たっているかどう かも、もう本人としてはさして重要なことではなく、その頃のことを全部「いい 思い出」として消化して、「かつての自分にとってかけがえのない経験であり、 今の自分があるのもそれが糧となった部分が非常に大きい」と純粋に感謝できる 境地に達してるように見えます。まさしくここの部分こそが、「うまく昇華でき ている」ということで(かなり)埋め合わせられる部分ですね。そのことについ て「東城の描写が足りなかった」と嘆く気持ちは、私は持ってないです。

こういうわけですので、なぜ東城派は理解できないんだろう。 なぜ東城の幸せな未来を想像してやれないんだろうとたかをくくるのはちょっ と勘弁して頂きたい。ちゃんと理解しておりますし、想像しておりますよ。少な くとも1人は。

………んで、理解もできるし、想像もできる、とくどいほどに念を押した上 で話を続行しますが、その「理解・想像」と「結末を非難すること」は 別の話であって、まったく矛盾せず両立するのです。「理解・想 像できればこの結末を受け入れられる」「結末を受け入れられないのは理解・想 像できてないからだ」という命題は、短絡的すぎて成立しません

「真中がいないと小説が書けない」はずだった東城が、若くして著名な文学賞 も受賞できるほどの小説家になれた、というのは、一面では「どん底から立ち直っ た偉大さ」としてプラスに見られる部分ではあるけれど、別の面では「流れ をぶった切って都合のいい結末だけ放り込んでお茶を濁した」だけでしかな い部分でもあります。これは別に私だけの見解というわけではなくて、上で引用 した西野派の方もこのように仰っています。

西野派 M さん:

そういう形で東城がいわば「詰まれてしまった」のは、東城の物語としては 上手く出来ている部分なんですけど恋愛漫画の結末の舵取りがこれだったとい うのは、カタルシスを欠く部分ですね。

(中略)

致命的だと思ったのは、おそらく東城を救済し彼女の話を纏めるために東城 にああいう展開を用意したんだと思うんですが、結局できあがったものを俯瞰 してみると東城ひとりが勝手に自爆してその結果を何も知らない西野が貰い受 けるという、それは結局東城のためにも西野のためにもなってないだろう、と いう展開になっているところですね。

東城の「小説家としての成功」「自分の殻を破る成長」というのは、一面ではも ちろん高いレベルで昇華された、「花を持たせてもらった」部分であ ることは全く異論はないですが、他方では「恋の成就 の代償に、せめてもの埋め合わせとして与えられた『あてがい扶持』に過ぎない 」ということもまた残酷な事実です。「東城の物語としてはとてもう まくできている」という事情をもって、その構図から漏れ落ちている後ろ暗さを 揉み消すことなどできません。その醜悪な一面を都合よく黙殺し、 なぜ東城派は理解できないんだろう。なぜ東城の幸せな未来を想 像してやれないんだろう結ばれたら幸せで他は不幸せって考 えているカプ厨には、東城を幸せにするのは難しいだろうな〜で片付けよう とすることは、大いなる欺瞞以外の何ものでもない、ということは、 どうかわかって頂きたいと思います。

そこを 東城綾が失恋したからこそのように、ことさら「失恋」に功 績を帰するかのように主張するのは論理的におかしいとは思いますが(失恋するしない にかかわらず東城は決意に満ちた美しい微笑みを浮かべることができただろうし、 幸せな未来に至ることもあっただろう。終盤の東城が尊いのは、失恋した 「にもかかわらず」綺麗に笑ったり、幸せな未来を掴み取る ことができたからこそなのであって、その「にもかかわらず」 の部分を「からこそ」ですり替えて、「失恋なくしてこれらの要素なし」といっ たニュアンスを忍び込ませるのは止めて欲しいなあ。(なお、この部分は blog 記 事版ではちょっと表現が手直しされていて、東城綾が失恋し たからこそ、いちご100%は甘酸っぱくて切ない。2人の涙で胸が熱くなり、東城 の卒業式での決意に満ちた美しい微笑みが心を打つ。になっていますね。こ ちらの書き方だと、「失恋」を理由としているのは「甘酸っぱくて切ない」の部 分(それには別に異論はない)までであって、「涙で胸が熱くなる」や「微笑み が心を打つ」は、直接は「失恋」を理由にしているわけではない別個の話である ようにも読めます。この解釈で正しければ、私としては特に文句はない点ですの で、できればどちらなのか明らかにしてほしいところではあります))。

blog 記事

続いて、togetter まとめを元にした blog 記 事の方に話を移します。

「夢を持って頑張るために」………?

こちらにも夢を持って頑張るために桜海学園に進学した西野 という togetter での表現がそのまま使われています。これについては、以 前上述のように「おかしいんじゃないのか」と指摘したのですが、現在では削除 されている別個エントリで補足説明があって、要約すると「好きなことをし、チャ ンスをものにする、つまり『やりたいことを見つけてそれに打ち込む』ことで、真 中と共通の夢がある東城に対抗しようという目的で桜海学園に進学したのだ」と いうことでした。つまり、この人の考えでは、次のような単純な構図にはなって いません:

夢 ≒ やりたいこと ≒ 桜海学園に進学した目的
(当初私はこのような構図だと受け取っていた。これだと夢を持っ て頑張るために桜海学園に進学した西野という表現は26話の「あたしホント 言うとそーゆーの(高校でやりたいこと)何も持ってなくってさ」というセリフ と矛盾してしまう)この人の考える構図では、「夢≒やりたいこと」と「桜海学 園に進学した目的」は分離されていて、
桜海学園に進学した目的 = 「『やりたいことを見つけてそれに打ち 込むこと(夢を持って頑張ること)』で東城に対抗する」
というちょっとひねった解釈になっているということのようです。これならば一 応、直接の矛盾は回避できそうです。

私が本編から受ける印象では、西野にはそこまではっきりした構想があった わけではなく、「親の強い意向に乗る形で、特に成算があったわけではないバク チを打ってみた」「桜海学園の1学期に色々手を出して、『やりたいこと』が見 つかったのは、進学してみた結果たまたまそうなった」というだけのことですが、 この人の解釈が妥当かどうか、もう少し詳しく検討してみます。

西野がそのように「夢を持って頑張ることで東城に対抗する」という作戦を 始めから持っていたとした場合、まず引っ掛かるのが高1の1学期終了後に早々 に(一度は)別れようと考えるのはあっさりし過ぎているのではないか、という 点です。それだけ明確な狙いがあったのなら、見切りをつけるにしても、もう少 しトライしてからにするもんじゃないでしょうか。また、「真中と夢を語り合え る東城」への対抗手段として「自分が打ち込める夢を見つける」のであれば、そ の自分の夢というのも、「真中と共有できる夢」(少なくとも、「真中と語り合 える夢」)でないと効果が乏しいのではないでしょうか。にも関わらず、その場 面で西野が挙げている「進学してから試してみたこと」というのは、そういう類 のものとは感じられません。

加えて、その後も結局「新しく見出した『夢』を手がかりにして、東城へ対 抗しようとする場面」というのは、高1冬の別れに到るまで具体的には少し も描かれていない上に、別れの場面でもまったく話題に上っていない 、ということを考えると、やはり西野に当初からそのような構想があった とは考えにくいです。やはり、桜海学園で夢が見つかったのは「結果的に」そう なった、というだけのことなのではないでしょうか。

そういったことを考えると、やはり夢を持って頑張るために桜 海学園に進学した西野というのは甚だ疑問符が付く表現で、

真中と一緒に映画を作るため泉坂高校を選択した東城。夢を持って頑張るために 桜海学園に進学した西野。2人の決断が物語を変えていく。
のようにここで東城と西野を同列に対比して語ることは不適切だと思 います。

真中が映画館でバイトを始める経緯

レベルアップしている西野を見て、このままじゃいけないと思っ た真中は映画館でバイトを始める。とありますが、この前半と後半は作中で は全然関係のない話です。これらをさも因果関係があるかのように書 くのはただのでっち上げです。前半は55話の「俺はダメだ / 西野と別れる前も 後も 一度だってレベルアップのファンファーレなんて聞いてやしない」で、後 半は61話ですが、これらは話としては独立しています。バイトを始めたきっかけ は、美鈴がテアトル泉坂のチケットを手渡し説教したことによるものです。そこ で観た映画の内容が心に刺さってバイトを申し出た…というのも、周囲の女の子 への自分の態度の不甲斐なさが原因になっていて、それは西野に対する不誠実さ の負い目でその少し前から思い悩んでいたこともその原因のひとつに はなっていましたが、レベルアップ云々は無関係です。締めくくりの「西野 俺 もようやく夢に向かってバイトできそうだよ…」というのも、「ケーキか…(やっ ぱり西野のこと思い出しちゃうな)」の続きですから、ケーキからの連想に よるついでのような感じに過ぎません。

真中にとっての西野の存在の大きさ

「西野の存在」という節で、真中にとって西野は夢に向かう勇 気をくれた大きな存在だ。という、ありもしなかったデタラメ がここでも繰り返されていますね。この節は、現在では削除されている別個のエ ントリで書かれていたことを多少の手直しをしたものになっていて、挙げられて いる項目たちに対して以前私は「ほぼすべての項目が形式的で、具体性が乏しい」 という主旨の総評を行っていたのですが、こうしてほぼそのままの形で再録する ということは、たぶんその問題点が理解できていないのですね。

仕方がないので、個別の項目に対してもっと細かく指摘していくことにしま す。

26話。西野が料理について語る。
「…ああそうだ。俺も映画作りたい気持ちそんな感覚から始まったんだ…」
真中は西野と出会ったことで初心を思い出し、自分のやりたいことを再認識する。

本当にこの話が「西野が真中に夢に向かう勇気を与えた」という話になって いるのでしょうか。一見「再認識」したようにも見えますが、その後を読んでい くと、その思いは直後の27話の部会後にたちまち「そうだよ / 俺一人で頑張っ たって所詮…」としぼんでしまっています。その直後に、真中を再度奮い立たせ、 ちゃんとした映画作りを決意させ、真中に「具体的な」行動を起こさせた のは誰ですか?言うまでもなく東城ですね。そこに西野 の寄与を見てとることはできません。

55話、西野と出会った真中は自分がレベルアップしていないことを痛感する。

それ、痛感した「だけ」なんですよ。直後に真中が行ったことは「東城と北 大路にホワイトデーのお返しを贈る」ですから、「レベルアップしていない ことを痛感した…かと思いきや、そんなことはほんの一時に過ぎず、日が改まっ たらなぜかそのことが東城や北大路との恋愛模様にきっちりと向かい合うという 決意に化けてしまった」という珍妙な話になってしまっています(それだ と何だかチグハグで全然話が繋がっていないので「いや、そんなはずはない、翌 日の行動のどこかに何かしらその『痛感』にちゃんと繋がる箇所がきっとあるは ずだ」と思いたくなるのは私も同感なのですが、困ったことに河下センセのマン ガってそういうことはしょっちゅうなんですよね…。りりむ、初恋、あねどきっ と見てみればどうにも話が迷走しまくっているのは火を見るより明らかでしょ。 なので、ここは「いつもの悪いクセがまた出ちゃったんだね」と苦笑しつつ受け 止めるしかないと思います)。その後の話を追ってみても、「痛感した思いを胸 にレベルアップのため努力する場面」や、「レベルアップの具体的な成果」とい うのはどこにも見当たりません。結局、せっかくの「痛感」はその後に何もつな がっておらず、「西野のおかげ」で何かが成されたという要素を見出すこと はできません

そんな風に「真中がちょっと殊勝な決意をするものの、それはその場限りの ことで、ほんの一時の気の迷いとして終わってしまう(それよりも後に何らかの 具体的な行動や成果に結びつかない)」ということは、特に西野相手に限ら ず、いろんなヒロイン相手にこのマンガでは何度も繰り返されていること です(真中が大方の読者に非常に評判が 悪い理由はまず第一にそこであって、そういう認識を無意識にせよ意図的に せよ欠いていたら、このマンガに対する考察としては意味を成さない)。 こういった「その回その回を取り繕うための、河下先生お得意のその場限り の盛り上げ」はそれこそ枚挙に暇がないくらい大量にありますが、その一 部を挙げてみます。

こういった調子で、このマンガは北大路メインのときは北大路を焦点に据え て盛り上がり、唯メインのときは唯を焦点に据えて盛り上がり、向井メインの時 は向井を焦点に据えて盛り上がり、という類のことをルーチンワーク として延々と繰り返すという作りになっており、かつ決着を先延ばしにするため にその都度盛り上がった真中の感情はリセットされる、という(不毛な)作りに なっています(それは、東城でさえ例外ではないこともしばしばある)。当たり 前のことを再確認しますが、レベルアップ云々の話は、単にそのルーチンの 一環であるに過ぎず、ここで真中に一瞬の感情の高ぶりをもたらしたこと をもって西野が真中に対する何か特別な寄与をした突出した出来事だっ たとすることはまったくできません。その程度のことで「西野が真中 に夢に向かう勇気を与えた」と言えてしまうんであれば、東城は言うまでもなく、 北大路どころか向井や唯ですら「夢に向かう勇気を真中に与えた」と額縁付きで その貢献を大々的に顕彰できるキャラになってしまいますよ(端本は…さすがに その範疇には入らないですね。あと美鈴も)。

61話。真中は映画館でバイトを始める。 「西野、俺もようやく夢に向かってバイトできそうだよ」

これも上で述べた通り、別に、西野のおかげで何かが達成された場面ではあ りません。バイトを始めることになるきっかけを与えたのは西野ではなく美 鈴ですし、ここで西野の名前が出ているのは目の前のケーキからの単なる 連想に過ぎず、これを「西野が真中に夢に向かう勇気を与えた」ということの材 料にするのは端的に言って事実の歪曲です。

74話では西野が真中に泳ぎを教える。 「西野といると彼女があまりに完璧だから冴えない自分を痛感させられて、なのにたい した努力もしてこなかった。だけどせめて今度こそは西野の期待に応えたい」

これも上で指摘した「その場限りの断片的な決意・感慨」に過ぎないことで す。西野のおかげによる真中の成長として「まったくのカナヅチだったのが、バ タ足で進むことくらいはできるようになった」という点は挙げられるのですが、 ここでこの人が挙げている向上心の方はやはりその場限りでたちまち立ち消 えになってしまって、その後にまったく繋がっていません。直後の76話で は、西野の前に現れた日暮に一方的に気後れした上に、西野と日暮がいい関係に なっているのではないかという疑惑が勝手に膨れ上がって動揺し、二人が抱き合っ てるように見える場面を目撃しただけで耐え切れなくなって西野が呼び止め るのも無視してその場からダッシュで逃げ出し、「抱き合ってた / 抱き合っ てた / 抱き合ってた」とただ心の中で繰り返すことしかできず、とどめに「た とえ俺と西野の関係が修復できたとしても / あの男には一生かなわない――」 と自己否定に陥る有様です。泳ぎの時にせっかく西野によって生まれた向上心が 影も形もなくなって、すっかり元通りの「以前と同様の、何の成長もしていない 真中」になっていることがわかるでしょう。おまけに、その直後に真中 の前に現れて心の支えとなるのは東城ですし、続く77話でも「西野 台 所で菓子職人(パティシェ)と抱き合ってたじゃないか――」「怖くて訊けねぇ よ / やっぱり西野 あの菓子職人(パティシェ)のこと好きだったら…」とうじ うじした挙句「俺 西野にもう何もしてあげられない気がする――」とどんどん 考えが沈んでいってしまう体たらくです。

つまりこの水泳の場面も上で述べた「ルーチンワーク+リセット」の一例に 過ぎないんですよ。真中にとって西野は夢に向かう勇気 をくれた大きな存在だ。と大きく出る主張の例証としては、まったく成立し ません

ついでながら、泳ぎについては、せっかく西野に教わったにもかかわらず、そ の時の「大切な女の子が溺れたとき助けるため」という理由が発揮されたのは、 外ならぬ東城を助ける時になってしまった、というチグハグさも指摘し ておきましょう(さすがの私も、これはちょっと西野に対してヒドかったんじゃ ないか、と作者に対して思うんですけどね(笑)。どうでしょう、河下先生(笑))。

もし西野がいなかったら、真中は映画製作していただろうか。夢に向かってバイ トしていただろうか。高校1年の1学期のようにだらだらと高校生活を過ごしてい たのではないか。

これも甚だ首をひねる問いかけです。もちろん、西野がいなくたって映画制 作していたと思いますよ。まず、真中は決してだらだら過ご していた「だけ」ではなく、かつての映像部が CG 部にすっかり様変わりしてい ると知った時に、外村と小宮山の魂胆に乗っかる形に過ぎなかったとは言え、映 像研究部の新設に主体的に関わっており、映画制作への意欲が継続していたこと がわかります。加えて、上で指摘した通り、思ったような映画制作に臨む状況に ならなくて真中が思い悩んでいた時に、探し出した旧映像部の作品ビデオを見せ、 真中を奮起させ、真剣に映画制作を目指させ、手を取り合って夢を誓い合い、真 中に「今観た作品を超えられるかはわからないけど、東城がいればきっ と――」(強調筆者)と内語せしめた東城がいるではありませんか。

その後のストーリーでも、真中の映画制作への志向は特に西野とは関係 なく継続されており、それを支えていたのは、3年続けて脚本を 提供し続けていた東城を筆頭とする映像研究部のメンバーが中心です。 映画の実制作に当たって、西野の寄与もあるにはありましたが、それは天地や向 井と同様、補助的な役割に過ぎませんでした。

そして、上で繰り返し指摘した通り、真中が映画館でバイトするに至る経緯 には西野は実際には無関係でした。百歩譲って、西野を思い 出したことがただの「ケーキからの連想によるついで」のみでなく、55話の「俺 はダメだ / 西野と別れる前も後も 一度だってレベルアップのファンファーレな んて聞いてやしない」という後悔に呼応するものだったとしても、それはバイト することを決めたで浮かんできた感慨であって、バイトすることを 決意させた功績はほぼ美鈴ひとりに帰するものです。そこは東城すら 直接的には関わっておらず、ましてや西野の寄与など皆無です。

西野の誕生日会でカラオケ店が火事になったときには、西野だけが真中のビデオカメ ラに気付き、部屋に戻った。西野だけが真中の夢を守ろうとした。

この点だけが例外的に、確かに西野が具体的に真中の夢に寄与したと言える 件になっています。しかもこの行動を起こしたのは西野だけでしたね。それらに は特に異論はありません。

西野以上に真中の夢を真摯に応援してくれたヒロインはいなかったと思う。

これも、一体どこをどう読んだらそんな話になるのかさっぱりわか らない主張です。上で書いたことの繰り返しですが、多分記憶が都合良く改 竄されているだけで、「そうあって欲しい」という自分の願望が、こっそり記憶 とすり替わってしまっただけなんじゃないでしょうか。

真中の夢を真摯に応援してくれたというフレーズに呼応す るようなヒロインと言えば、まず真っ先に挙がるのは東城で す。

口先だけでない証拠に、東城が真中の夢を支えた・応援した場面の例を挙げ ていってみます。上で触れた、3年間ずっと高レベルの脚本で真中の映画を支え 続けてきたことと、高1の映画制作の最大の牽引力となった場面(これはもうこ の稿だけで3度目の話)はもう省きますが、それだけのハンデがあってもなお、 西野など問題にならないくらいの圧倒的な質・量です。

改めて断言しますが、「真中の夢」に対する貢献・影響という観点 で言えば、東城ひとりが巨大で、後は挙げるにしても美鈴くらいで、 西野は北大路・唯・向井とひっくるめた他のヒロインと同列の、周回遅れの グループの一員に過ぎません。これは別に東城派ゆえの贔屓でも何でもな く、厳然たる事実だと思いますよ。

締めくくりに、真中にとって西野は夢に向かう勇気をくれた大 きな存在だ。という話と実際の描写の矛盾の指摘をもう1つ、 これまで何回か 挙げてきたリンク先から引用しておきます。

おまけに、結局「つり合ってない」ままなんですよね、この2人。真中は真中 で相変わらず西野に猛烈に気遅れしてて、「西野って俺の一体何が好きなんだ ろ…」と悩んだり、「本当は俺、西野にふさわしくないんじゃないだろうか…」 と落ち込んだりしていて、西野に嫌われないよう、ずっとびくびくおどおどする ばかりで、腫物に触るかのような扱い・つき合い方しかできていません。「どこ が好きなのか」を直接尋ねることもできない、というのは、正式な彼氏彼女 の間柄にふさわしくないひ弱な関係と言わなければいけないと思うのです が…。こういう所は、最初に振られたときの「西野は俺と同じ目線で恋愛をした かったのに、俺はいつも西野を見上げる形になってしまっていて」という反省が 全然生かせていません。連載初期だけではなく、終盤ですら互いに相手 を分かり合おうとせず、住む世界が違う存在として描かれています。

最高のタイミングは運命か

西野は真中が欲しかった言葉を最高のタイミングでかけることができた。偶然が 積み重なったものでも、それはまさしく運命だった。

ここまで東城側に一方的な不 利な事情ばかりを積み重ねた、ご都合主義まみれの展開を「運命」などと言っ てもてはやすのは、「運命」という日本語に対して失礼なのではないでしょ うか。上のリンク先で書いた色々なことのうち、例えば一つを引用すると こんな具合です:

これまで見てきたように、カップル成立・維持にあたって、結局「運と タイミング」に帰着する部分が支配的だった、ということは、要するに作 者に「正攻法では西野はとても東城に敵わないので、すごく卑怯な手を使って無 理矢理勝たせるしかありませんでした」と宣告されたも同然で、これは西野が おミソ扱いされた、ということにほかなりま せん(そこに対して西野ファンは怒り狂わなくちゃいけないはずなんですが、ど うもそういう声はほとんど存在しないみたいだなあ…)。

それから、このマンガで「運命」という言葉を使うに最もふさわしい キャラと言ったらやっぱり東城じゃありませんか。東城 と真中の運命的な縁というのは 枚挙に暇はありませんが、例えばいちばん始めに夢を語り合ったシーンを取 り上げると、東城は級友と打ち解けられず、疎外感を感じながらこっそり書いて いた小説を真中に読まれてしまっています。自分の心の、一番無防備で、一 番弱さがむき出しになった所を真中に晒け出してしまったわけです。相手 は同級生とは言えよく知らない男子。一体真中に何を言われるか、ほとんど絶望 にも近い不安を覚えていたことでしょう。ところが、「笑わないの…?」と怯え、 自分で「幼稚な文章」「只の逃避」と自己嫌悪・卑下する東城を、真中は「そん なこと言うなよ」と遮り、全面的に肯定したばかりか、今まで友達にも話したこ とがなかったという「映画を作る人になる」という夢を伝え、その上小説を映像 化した場面を夢中になってまっすぐに話してくれる。たった今まで恐怖の源だっ た、自分の心の最も柔らかく、傷つきやすい所を、真中がやさしく、暖かく包ん でくれた。それも、哀れみなどからではなく、真中自身も心の弱くて大事な部分 を開いてみせ、東城を心から信頼してくれた上で。これが東城の心をどれほ ど癒してくれたことか。何という奇跡。「運命」という 言葉は、使うとしたらこういう「替えの効かない、絶対のオンリーワン」の 絆にこそ使うべきものじゃないですかね。作中で西野との縁に対しても 「運命」という言葉が使われていたコマがいくつかあったことは確かですけど。

「西野がいたから今の自分がある」………?

西野がいたから今の自分があることもわかる。

これも作中にはまったく見当たらない嘘っぱちです。真中 がそんなことを言ったり思ったりしていた場面が、作中のいったいどこにあると 言うのでしょうか。

その直前の東城の小説は、3年かけて作られた長い長いラブレ ターだった。あの頃お互いの気持ちに気付いていれば、ちゃ んとその思いを伝えていれば、俺達の「今」はきっと・・・は、作中の時系 列としては実は順番が逆ですが、まあそれらと一緒に述べられている所からする とこれは「雪の日の公園での別れ」から「カラオケボックス」までの話、および その周辺を想定しているのでしょう。そうすると………

実際に描かれている部分をいくら眺めても、真中が西野がいた から今の自分があると認識していた箇所はこれっぽっちも見当たりません。 いや、範囲を区切ったのは単に捜索範囲を明確にして確実性を上げるためだけで あって、それ以外も含めた全体を思い返しても心当たりの場面はまったくない ですが、とにかくその範囲には見当たらないですねえ。同じ話ばかり繰り返して 申し訳ないですが、これもやはり多分記憶が都合良く改竄されているだけで、 「そうあって欲しい」という自分の願望が、こっそり記憶とすり替わってしまっ ただけなんじゃないでしょうか。

(ひとつ可能性を挙げるとすれば、少々遡って、嵐 泉祭で東城の本気告白を断った時の「今は東城の涙より / 西野が見せた淋しい 表情の方が俺を辛くさせるんだ」のイメージとごっちゃになっている、というこ とはありうるかもしれません。ここは「東城よりも西野」という真中の意思がい ちばんはっきりと現れた場面ですから、それがこの人の中でいつの間にか 西野がいたから今の自分があると真中が(どこかの箇所で) 認識していた、という感覚にスライドしてしまったのかもしれませんね)

(追記: あるいは、 ドラマ CD ではひょっとしたらそういう 要素が補完されていたのでしょうか?それだったらまったくないとは言い切れな いです。私はドラマ CD にはまったく手を出していないので、ここで述べている 内容はあくまで原作での描写に限ったものとお考えください。で、もしドラマ CD 版の内容を前提にされてるのでしたら、その旨どこかでお断りくださいませ)

(あとまあ、超どうでもいいことなんですが、気づいて しまったので行きがかり上仕方なく書いておくと、そのひとつ前の節で 大学入試の日、東城から『あの日のノート』が届くとあるの は正しくなくて、ノートが届いたのは入試の翌日でした)

確定時期

西野が真中と旅行に行った頃には、もう西野ENDが確定していたように思う。

それは根拠に乏しい憶測でしかないでしょう。 少なくとも、高3合宿後の東西南北はち合 わせ回までは東城を本命として描いていた可能性が非常に高いと私は思って います。

それと、西野が最終ヒロインに決定したのがもっと後の段階でないとおかし い理由のもう一つが、15巻で本編に1コマも登場しないことです。登 場以来、単行本丸々1冊分本編に出番がないヒロインなんて、このときの西野と 唯だけしかいなかったはずです。仮にも最終ヒロインの座を与えようと決めてい たキャラに対して、そんな扱いをするでしょうか?というのは非常に疑問に思い ます。やはり、この時点では「最後には、切り捨てる」予定だったからこういう 描き方になっているんじゃないかと私は思いました。

真中を一番よく理解し、一番苦しんだのは誰か

東城のことを含め、真中を1番よく理解し、また1番苦しんだのも西野だった

これも理解に苦しむ主張です。まず、真中を1番よく理解 というのは、 事実無根のデタラメです。リンク先を一部引用しますが、終盤の西野は

というような惨状です。極めつけが、最後のカラオケボッ クスの場面で、「東城相手じゃ勝ち目がない」と最初から諦めちゃっていて萎縮 するばかりで、カラオケボックスでもその前の食事の間も、事情を真中に聞く勇 気すらなく、挙句真中の申し出を完全に誤解して自ら身を引 こうとする、という体たらくです。いったいこれのどこが 真中を1番よく理解していたというのでしょうか。 そりゃあ真中は「かわいくてやさしくて、俺のこと誰よりもわかってくれて」と 西野のことを言ってますよ。おそらくこのセリフの後半を根拠としているんでしょ う。だけどそれは上で示してみせたように、実際の2人の関係としては「口 から出まかせ」レベルのデタラメに終わってしまっています。

それから、1番苦しんだのも西野というのもまたずいぶん と図々しい主張ではありませんか?真中のことを「そ んなにも」好きになる理由がない西野の苦しみなんか、全然大したものに感 じられません。既に指摘した通り

自分だけを見て欲しい、と願うなら、真中は一番避けなきゃいけない相手で あるのは自明です。よりにもよって一番想いを寄せるのに不向きな相手 に、何の必然性もないまま「わざわざ自分から勝 手に」想いを寄せているだけですから、苦しいのは自業自得なだけ。再登場 後は、西野を本当に苦しめてるのは東城でも真中でもなく西野自身 なのに、思い通りにならなくて苦しくて辛いだなんて、そんなもんただのアホで すよ。

と一蹴される話です。

それにそもそも、もし1番苦しんだのも西野とまでいうほ どの苦しみを味わうくらいに真中のことが好きだったのなら、 高1の時に真中をああいう振り方をするはず などないでしょう。リンク先からちょっと引用しますが、

また、真中との最初の別れのときの宣言と、後からなってからの言い分がず いぶん食い違っています。このとき西野は「真中には自分よりも好きな娘がいる」 ことを改めてはっきり確認し、「何かを待つのが嫌いで、嫌になった」から、 「こんなカワイイ娘が誰かをずっと待ってる恋してんのなんてもったいな」い (正論だ!)と宣言して「今度こそサヨナラ」とカラッと振った(前向きで強い。 かっこよくて応援したくなるよ、西野さん)んですよね。なのに、後になってか らは「前みたいに不安な気持ちでつきあうのはイヤ」で「あんな思い もう味わいたくない」ってのはどうも何か都合よく(作者にとっても、西野にとっ ても)改竄されてるなあ…。「愛想が尽きたから興味を失った」のを「不安 」とは言わないし、真中の愛情に飢えていたような様子も、誕生日頃にちょっ とそういう傾向も見られたものの、振ったときにはもう気持ちの整理がついてい て、未練があるようには全然見えません。再登場の直後だって、間違いなくそう いう状態が継続しています。

なんていう人が真中とのことで「苦しむ」だなんて、ど こをどうやろうが筋の通った話にはならないですよ。

そしてまた、一連のいきさつに翻弄され、一番苦しんだのはどう見たっ て東城でしょう。それに、「苦しんだ」度合いで言ったら北大路だって洒 落にならないレベルで(彼女には西野と違って真中のことを好きになる理由が十 分――東城ほどではないにしろ――あった)、西野の苦しみが北大路のそれを凌 いでいた、と言える根拠なんかどこにもないんじゃありませんか?

運命に対する主体性と、包容力の大きさ

運命を自分の手で引き寄せ、最後には真中を甘えさせるだけの包容力を身につけ た。

運命を自分の手で引き寄せた、と言えるのは懸垂逆告白の 時まで(自分の力で努力していた部分も、偶然に恵まれていた部分もどちらもあっ て、それらが混交していた)ですね。そこから後の 実際の西野は、いつでも 東城の存在を言い訳にして、戦わない理由を作って勝手に落ち込んでいるだけ 。一貫して真中に慈悲を乞うだけ(=人任せ)であり、現実 から目を逸らし、耳を塞ぎ、手をこまねいて、問題の方が勝手に都合よく解決し てくれることを待っていただけでした。 懸垂返しから後の西野に、最終回に至るまで、「行動 によって何か問題を解決した」ことが一度でもあったでしょうか?

最後には真中を甘えさせるだけの包容力を身につけたとい うのも、まず第一に かつて西野自身の言った「雰囲気に流されないで」というけじめも結局ぶち 壊しにされて、雰囲気に流されただけで西野を選んじゃったことに知 らんぷり真中の承認にアイデンティティーを委ね切ってい るばかり。というお粗末さは「包容力」の対極にありますし、 終盤の真中と西野の関係 が目を覆わんばかりに貧弱であることを考えると、首をひねってしまう主張 です。………うーん、まあ、真中からの告白の際の膝枕(…じゃないのか。まあ いいや)と、学園祭直前に弁当持って泉坂まで来た時に教室でイチャついてた場 面、あとラストのカラオケボックスでのキスシーンを考えると、辛うじて及第点 くらいにはなっているでしょうか。「包容力」の中でもことさら「性的なスキン シップへ踏み込むことを受け入れる度量」の部分ばかりが主体になっていますが。

あと、その「甘えさせる」ことは、最後に真中に「西野に甘えっぱなしじゃ 夢は叶わないと思う」と自ら返上されてしまい、ストーリー的な成果として結実 せず宙ぶらりんに放置されたまま終わってしまった感はありますね。

“これ以上に魅力的なヒロインはいない”

西野派(の男子読者)にとっての西野の魅力というのは「自分の好みにどス トライクのとびっきりの美少女が、真中(=自分を投影している対象)みたいな 冴えない男子にぞっこん惚れ込んで、日暮のようなパーフェクトな男が側にいて も目もくれず、こっちが適当なあしらい方をしていても気にせず向こうからグイ グイ迫ってくれて、自分が何の努力もしなくても大胆なスキンシップや好意度満 点のセリフを惜しげもなくサービスしてくれる」という所ですね。でもって、そ んな夢のような理想の子がついに真中(=自分)と結ばれてくれることを擬似体 験できた、ということを以て「だからこのマンガは最高なんだ!」とストレート に褒めちぎってるんであれば、別にそのことには文句を付ける気はないんですよ。 どんなタイプのキャラを好きになるかは完全に個人の好みの問題だし、好きなキャ ラを好きだと言うことには何の遠慮もいりません(むしろ遠慮すべきではない)。 じゃんじゃんやればいいと思います。

まあ、本当ならそういう厚かましい願望が丸出しになっていることに対する 疑問や自制も同時に述べられているべきだし、実際にそうなっていたらさらによ いのですが、さすがにそこまで反西野派に同調しろとまで図々しいことは言いま せん(笑)。前段落で述べた範囲内でやっている分には、これ以 上に魅力的なヒロインはいないといくらでも好きなように賞賛していればい いと思います。

ただ、そこで欲をかいて「西野というキャラが他のキャラよりも内実として 優れていた」「西野が最終ヒロインとなったのも、そのことによる必然だから正 当性があるし、その結果には意義や価値があるんだ」なんていう栄誉まで西野に 与えたい…といったうかつな魂胆を抱いたりすると、話はたちまち破綻します。 そのようなありもしなかったデタラメの捏造や、事実の歪曲・改 竄は、口に出したとたんに「おこがましいにも程がある空虚な暴論」とし て一刀両断にされてしまうわけですね。

お気の毒ですが、その手の栄誉を西野が受け取れる資格は、結果としてゼロ です。そういう資格がちゃんと備わったキャラとして終われる可能性もあった (過去形)…という所までは認めてもいいですが、実際に描かれた作中ではその 可能性は西野自らが徹底的に潰してしまいました。再登場後の西野のマンガのキャ ラとしての魅力は結局、上で私が書いたような男子読者を虜にするよう な即物的・外形的なサービス要素がほぼすべてで、彼女の内実に見る べき点は何ら残されないまま、このマンガは幕を下ろしてしまったのです。

あと、ラスト付近の真中・西野の関係を美化することなど到底できない、と いうことの補足として、再度西野派の M さんによる論評も引用しておきます。

西野派 M さん:

西野さんも人の気持ちを察してしまうキャラでありますが、初期〜中期くらい までは勝手に察して勝手に決めてしまって真中を置いてけぼりにするところが あったように見えまして、まあそういう意味では整合性があったと思うのです ね。

最後はなんか「人の気持ちを察する」という当初持っていた属性だけが残って 物わかりだけがいい人になってしまったので残念ですね。

西野派 M さん:

西野が真中に真実を突きつけたり別れを切り出したりする時は、彼女の鋭さは、 真中をざくっと刺すものであったと思うんですよ。そしてそれは、真中がなに もしないでいる時に、西野からもたらされたものであったとも捉えられるわけ ですね。

しかし最後の「分かってるよ」というのは、真中が「別れよう」と言うのに対 して「そのへんは分かってるよ」というものであり、これ真中の都合のいい結 論を西野が出してくれてるだけじゃん、と思ったわけですよ。

西野の真実を射抜く鋭さが、それなりの痛みも持っていて、それが西野自身が 真中に対して発するものだったのに(真中が、西野か東城かどっちにしようか なーと葛藤している時に西野からこうなんでしょ?とずばっと言われるような 状況)、最後には、西野は単純に物わかりがよく、真中のいう内容に対して、 それでいいよと受け止める人になっているだけだろ、前はそうじゃなかったろ、 という感じですね。

西野派 M さん:

(西野の終盤の描写の不満点で)一番、これをやってほしかった、というの は、「何故、西野はこのタイミングでもう一度真中と付き合おうと思ったのか」 というのを、説明して欲しかったんですね。だってあと半年で日本からいなく なっちゃうわけですから。

留学するから恋人でいられるのは後半年でその後はどうなるか分からないけ ど、それくらい真中と一緒にいたい、というものなのか、強い意志を持ってそ の後も遠距離恋愛をなしとげたい、なのか。

しかし蓋を開けると西野は無定見そのもので(苦笑)君らどーするつもりだっ たの?と思わざるをえません。

これは私が期待しすぎたのか?しかし、西野が夢を見つける→留学するとい うのは、いちごの流れの中で西野が持ってきたテーマではないかと。それ(と、 西野が真中とどうありたいのか)を適当に描かれてしまったというのがいちば ん残念ですね。

いや、もともと西野どころか真中の映画描写もぞんざいなので、西野のパティ シエ描写が「メイド服着て焼き菓子はおまかせのスーパーつかさちゃん!」な のはまあ…少年誌的にもそんなもんですかね。

自ら西野派を以て任じる方からさえ、このような批判が出てくるという事実 を、どうか重く受け止めて頂きたいと思います。

(まあ、正直な所、西野の留学話の方については、私は 全然重みを感じていませんでしたけどね。初めて出てきたのは高2のバレンタイ ン話でしたが、例によって見識の乏しい(笑)河下先生が、その場の思いつきだ けででっち上げちゃった話でしょ、どーせ?と思っています。留学がらみで「テー マ」と呼べるほどの何かを、このマンガの中で西野が担ってきたかと言うと、そ んなご大層なものは露ほども感じていませんでした)

東城の夢とは

いちご100%のキャラクターにはそれぞれが夢がある。真中には映画監督になる夢、西 野にはパティシエになる夢、東城は小説家になる夢がある。それぞれが夢に向かって前 進しているラストは読んでいて爽やかだった。

東城は小説家になる夢がある………一見そのようにも見え ますが、果たして本当にそうだったでしょうか。作中、東城が自ら語る自 分の夢というのは、一貫して「真中と一緒に映画を作る」ことでした。 158話の「あたしが小説書く動機なんて結局……(真中くん)」を始めとして作 中で度々言及されていたように、東城が小説を書くに当たって最も重要 なことは「真中に読んでもらうこと、真中との絆を深めること」で、 「小説家になれるかどうか」などというのは2の次のことに過ぎませ んでした。もちろん、自主的に文芸誌に投稿したりしていたのですから、小説 家としての未来も思い描いていたことは確かでしょうが、それはあくまで副次的な 話。元々の東城にとっては、真中との未来がなければ、そんなものに 大した意味もなければ執着もなかったのです。

真中との関係を断ち切らざるを得なかった東城は、そういった「夢」未満で しかないものを、打ち砕かれた想いの残骸の中から拾い上げ、新たな自分の支柱 として再建しなければならなかったわけですよ。東城が小説家になったというこ とは、断じて「目指していた夢が叶った」などという単純でおめでたい 話ではない。そういった後ろ暗い背景を黙殺して いちご100%のキャラクターにはそれぞれが夢がある。真中には映 画監督になる夢、西野にはパティシエになる夢、東城は小説家になる夢がある と単に並列に並べ、その3つを「見せかけの公平さ」の中に塗り込めて、 それぞれが夢に向かって前進しているラストは読んでいて爽やか だったとまとめてみせるのは、「『報われた』ことにかけては東城も同じ」 とばかりに、東城のみが一方的に蒙った不公平さに起因する不満を丸め込もうと いう考えが透けて見える感じです。そういう話の進め方は、無意識であるにしろ、 申し訳ないですが私には「卑劣な行い」に分類されるべきことのように感じられ ます。

「いちご100%は名作!」………?

いちご100%は、ただのパンツ漫画ではない。それは最後まで 読んでこそわかるものだ。まあ、気持ちはわかるのですが、やっぱりこのマ ンガがどうでもいいという世間一般の人から見たら、 ただのパンツマンガでしかないでしょ うね(笑)。実際、河下先生のストーリー構築能力のいい加減さは(一連の終盤 展開を脇に置いても)かなりどうしようもないですし。ただ、私やこの人を含む 一部の人の心をものすごく強烈にグッと掴んだ作品で、それは興味深い現象です。 で、そういう一部の偏った人間の一人として、その人たちの間だけで 意味を持つ「名作と言えるかどうか」という考察に参加してみると、やはり 終盤の余りのみすぼらしさの おかげでその価値はどん底まで叩き落とされてしまっていて、とうて い名作とは言えませんね。

終わりに

いちごの終盤は、どう取り繕おうとも、「余りに都合のよすぎる偶然 にまんまと乗じて、西野が身の丈に合わない“あぶく銭”をくすねた 」という話であることは否定しようがありません。特にキャラ贔屓視 点なしで普通に眺めたって、 東城は報われない 西野はタナボタで丸儲け西 野―真中―東城の関係性は欺瞞と、「それはひどい話」になっています。 その不当さを非難されるのがいくら嫌だからと言って、西野派の人が「エンド」 だけじゃなくて正当性まで欲しいだなんて欲張りすぎです。そこはもう、「エン ド『だけ』」で我慢して頂くよりほかはなく、非難は甘んじて受けてもらわなけ ればならないところです。十字架は十字架として、潔く背負って頂かないと。勝 手な言い分かもしれませんが、これが西野派の人々に対する正直な思いです。

色々遠慮なく非難してしまいました(すみません)が、基本的には、この人 は誠意を持って真摯に書いてくださってると思います。例えば、togetter の方 であった卒業式の日、答辞を読み終わった東城は、真中に向けて 誰よりも綺麗な顔で微笑む。だからこの作品は絶対に嫌いになれない。みた いな所はとてもいいんですよ。決してこの人が単なる「西野最高、東城消えろ」 の人でないことはよくわかる。話の進め方も十分冷静で理性的である所は買えま す。だから彼とは分かりあえる所もあるだろうし、思い込みを捨てて事実に 即した評価をするようになってくれれば、このマンガに引き込まれた読者 同士として、いい友人―――は無理かもしれないけど、よき知り合いくらいには なれると思います。ただ、だからこそ看過できない部分もあるわけですね。

(ちなみに、「真中の夢にとって、西野は決定的に重要な役割を果たした」 というありもしなかった幻想を抱いてしまったのは、「そういう要素 が『西野エンド』を正当化するために必要不可欠だ」という判断が(無意識のう ちに)形成されていたからだったんじゃないでしょうかね。だとすれば、そ れこそが『西野エンド』が弁護の余地のない、無残極まりないしょ ぼくれたガラクタであることの何よりも残酷な証なんじゃないでしょ うか。「そういう要素がない以上は、正当化の余地はない」という宣告を下して しまったのは、誰でもないほかならぬ自分自身の判断 だったのですから…という見方をするのはかなり意地悪でしょうかね)

まとめサイト記事

まとめサイト系では、取り上げる価値のない非常に表面的な脊髄反射的意見 しかこのマンガには見られないのが常なのでまったく相手にしていませんでした が、コメント部分に多少参考になるかもしれないものが散見されたものだけちょ ろっと取り上げてみることにします。

対象は http://magsoku.blomaga.jp/articles/12061.htmlになります。

「西野の方がずっと魅力的だった」論

こういう場や個人 blog の感想等でよく見られる「西野の方がずっと魅力的 だった(からあの結末で当然)」という話は、単に「俺は西野の方が好きだよ」 という「個人的好み」を語っているだけで、そこから転じて「読者人気に迎合す るのは当たり前」と言ってるだけの話でしかないんですよね。そのこと自体は 「まあ、それはそうだけど」ということではありますが、それはこのコーナーで 何度も繰り返し指摘している「再登場後の西野の、中味空っぽの願望充足キャラ オンリーへの後退」を無批判に受け入れるだけ(=西野がその程度のキャラに堕 してしまうことの積極的容認)の粗雑な見解に過ぎなませんし、その上「じゃあ それが物語的正当性・必然性を覆すほどのものだったか?」という観点からの批 判にはまったく応えていない、という所が一面的過ぎますね。論外です。

「あの流れでラストで東城が選ばれたら話としておかしい」論

「あの流れでラストで東城が選ばれたら話としておかしい」という意見も多 いですが、なぜ東城派の怨嗟の声を勝手に「ラスト『だけ』をすげ替えて欲しい/ すげ替えるべきだ」という話だと決めつけるんでしょうねえ…?ラスト「だけ」 がすげ替わったらおかしい、なんてことはよく解ってるし、そんなことは最初か ら望んじゃいないんですよ。それより前の「終盤の展開全体が」余りにねじくれ ていておかし過ぎるから、そこまで遡って変更・改善されるべきだ、 というのが東城派の――少なくとも私の――主張なのですが。自分に都合よくこ ちらの主張を勝手に矮小化するようなチャチな真似で、反論したつもりになって いる方はどうかお引き取りください。

「積極的な西野に正当性が」論

「西野は真中に対して東城よりも積極的にアピールしていたから、真中と結 ばれるのは当然だ/その正当性がある」という趣旨の意見も多く見かけますが、 これもまた論外中の大論外です。 最初の別れでは、西野はこれ以上ないく らい不誠実な態度を真中にとられ、もう真中に幻滅して西野本人の意 思によって真中を見放してしまっています。そんな西野が、それほどまで に強烈な理由などまったくないのに、周囲の数多の男たちに目もくれず、真中の ことが「どうしようもないくらいに」ぞっこんになってしまうというのは、 ただひたすら連載継続のためだけの方便………と言うか、最早 方便にすらなっていないインチキ・ペテンでしかありません。 「西野の積極的アピール」などという代物は、そもそもそういうインチキ・ペテ ンを「連載継続のためには仕方ない」という最低の言い訳のもと、その腐臭に鼻 をつまんで一時的に棚上げするというイカサマなくしてありえませんでした。そ れは、「最後には東城が逆転して報われる」という展開がもたらされてこそ 初めて償却される「ツケ」であるにもかかわらず、そのツケは踏み倒されている のです。そういう都合の悪いイカサマ性に知らんぷりし、特大の 借りを踏み倒した側の人間が、都合のいい所だけつまみ食いして「当然」だの 「正当性」だのと居直るとは、余りに厚かましいのではありませんか?

再登場後の西野が真中 一筋になることを肯定できる西野派というのは、何より西野本人の意思と尊 厳を踏みにじってなんら躊躇いなく自分の願望の傀儡にしているという無 様さに余りに無自覚すぎるわけですが、そんな方々が西野の積極性を肯定す るなど、出来の悪い冗談にも程があります

「東城はほとんど何もしなかった」論

前項目とよく似た「西野に比べて東城はほとんど何もしなかったんだから仕 方ない」という意見はここでも見られますが、まずこれは「作中の事情」と「作 者側の事情・作品の物語的力関係事情」をごっちゃにしているという点でやはり 粗雑すぎます。確かに「作中の登場人物の見解」としてなら、「何もしなかった から」というのは当然で、それ以外に何の理由もありはしないでしょう。しかし そんな当たり前すぎることをわざわざ論じても意味はほとんどありません。

そのことを踏まえた上で「東城はほとんど何もしなかった」論について改め て考えてみるなら、着目するべきポイントは“そのことが、東城が最終ヒロイン の資格を剥奪されるペナルティーとして妥当かどうか”及び“そのことが、作者 がこのマンガを執筆する上で「そうせざるを得ない事情」として作用したかどう か”ということになってきます。このうち、後者については次節の論点とも重 なる部分があるので議論は後回しにします。前者については、上掲ページコメン ト部のだから東城との仲が進展するとそこで物語が終わる構造に なってる東城が何もしないのは何かしたら連載終わっちゃう からなんだよという指摘でほぼ尽きている通り、基本的にいかんともしがた い部分があり、ただ一方的に東城の不作為のみに責を帰するのはフェアではあり ません。「最後に東城が報われる」というカタルシスに結実させるため、「話の 途中」では「ライバルが優遇されて東城は置いてきぼりにされる」という「タメ」 を作る―――というのは、物語作りにおいては(あの話作りの才能に乏しい河下 先生でさえ普通に使いこなせるレベルの(笑))初歩の基本セオリーです。ただ、 東城の場合は「 そうは言ってもその 消極的さは度が過ぎるだろう」という部分があるのも確かで、そこは本来だっ たら作者がもうちょっと何とかしなければいけなかった部分は、間違いなくあ る―――とは私も思いますけどね(たぶんそれだけの話を作る才能(あるいはそ ういう話を組み立てられるだけの時間)がなかったんだね、河下センセ…(笑)。 ホント、画力は申し分なく大したものを持ってらっしゃるお人なんだけど…)。

「物語的慣性が大きすぎて手遅れになってしまった」論

さらに見られるのが次のような指摘です。西野出さないとアン ケ落ちてたらしいからね / 西野優遇が積み重なり後戻り出来ないところまで来 た結果だわな読者に媚びた作者と編集が西野びいきの話を作っ ているうちに西野が出すぎ&積極的になりすぎて流れで西野エンドにせざるをえ なくなったんだろ作者に構成力があればもう少し西野と東城 のバランスがとれたと思うけど連載長期化=東城との仲を進展させない、別の学 校の西野の出番を増やすなどをやればそりゃ西野endまっしぐらにしかなりよう がない東城との仲が進展する度に西野がでてきてたんだから どうしようねーわ / 作者が駄目連載長期化と物語構造からく る要請とはいえ 恋愛面における東城不遇こそ構成破綻につながってしまった原 因だと思えますねつまり「西野を優遇しすぎた結果、物語の慣性的に最早東 城と結ばれる話に持って行くには手遅れになっていた」という見解ですね。前節 で後回しにしていた観点も、言い換えれば「東城を冷遇しすぎた結果、作者の力 では東城と結ばれる話に持っていくことは無理な物語構造になってしまっていた」 ということですから、大体同じ範疇の見解になります。しかし、私はこれらの説 はやや的外れだと思っています。着眼点は悪くないのですが。

話をわかりやすくするため、「うる星やつら」を引き合いに出してみます (と言っても全話を詳細に読んだ経験はなくて、だいぶ後になってから部分的に 読んだだけなのですが…)。「うる星やつら」のメインヒロインと言えば当然ラ ムですが、実は連載のごく初期はそうではないのです。最初の数話は「しのぶが あたるの正式な彼女で、ラムはあたるの浮気相手」という構図になっています。 その設定はしばらくすると自然に消えちゃうわけですが、まあそれも当然ですよ ね。あのキャラ配置じゃ、どう考えたってラムがメインにならざるを得ない。作 者もそれを押しとどめようとした形跡は見られず、むしろ流れに積極的に乗る形 でラムが「正妻」に収まる形に描いていたことはほぼ確実ですが、仮に流れに抗っ てしのぶメインヒロインの構図を崩さずに描こうとしていたとしても、どう考え てもそれは無駄な努力に終わっていたはずです。あれは作者が強権的にコントロー ルしようと思ってできるような事態ではなかった。これが、「作者の当初の思惑 を超えて、物語的な力学によってメインヒロインが交代した」一番典型的な例で す。そういう場合は、作者が抵抗しても無駄である力場が渦巻いている姿が、読 者の立場からもよく見えるものなのです。

さて、それではいちごはどうだったでしょうか。西野が最終ヒロインとなる 経緯は、果たしてそういう「作者の思惑を超えた物語的力学が枷を引きちぎって 暴れ出し、当初の路線から外れることを作者に強制した」という話になっている でしょうか?私には、そういう風には全然見えないんですよね…。 別ページで書きましたが、その「西野優 遇エピソード」って

貸切りプールのときにしろ、保健室のときにしろ、集恋神社のときにしろ、W デートのときにしろ、海デートのときにしろ、真中のベッド潜り込み事件のとき にしろ、高3合宿後の真中家押し掛けのときにしろ、懸垂返しのときにしろ、泉 坂への弁当持込のときにしろ、「満ち足りた幸せな時間を過ごした」ときにしろ、 とにかく西野は散々真中に尽くすんだけど、結局真中が一方的に西野の好意 に奉仕されていい目を見るだけで、真中から「西野ときちんと向 かい合おう」という誠実さを引き出すことには成功してないんですよ ね。少なくとも16巻までは、西野の「奉仕」が終わるともう西野のことは真中の 心からほとんどきれいさっぱり消えてしまって、真中の心の奥底には結局「 東城とのノートの思い出」が繰り返し 甦ってくるばかりでした。
(中略)
(そういう意味で、終盤突入までの西野エピソードは「積み重ね」に極めて乏し く、「読者に西野とのドキドキエピソードを擬似体験させるための読者サービ ス」以上の意味はほとんどなかったと言えるでしょう)

という感じで、読者から見た場合の「関係の掘り下げ」 としては凄いお粗末な作りにしかなっていないんですよね。「プレハブか掘っ立 て小屋か」というくらい基礎が貧弱な、見てくれだけのハリボテ建築になってい る。

その一方で東城の描写はどうかと言うと、これも 別ページで書いたことで、上の引用部 にも少し顔を出していますが、

西野ファンサイドの「西野の再登場以降はずっと一貫して『西野サイ ド』のエピソードの方が、『東城サイド』より濃度が高かった(だから、以前か ら本命は西野に傾いていた)」という言い分は一理はあるんですが、でもやっぱ りそれは「一理」でしかなくて、作者の「本命は東城だよ」というサインはかな り後までずーーっと点灯し続けているんですよね。

一番わかりやすいのは、真中が東城との縁の原点は何度も確認するんだけど 西野にはそれがない、という点で、特に9巻 p.103 と 14巻 p.19 ではほぼ同じ 描写をわざわざ繰り返し、「自分と東城とは夢を共有しているけど、西野とはそ うじゃない(から断絶を感じる)」ということを強調している所に顕著です。

他にも、高3の合宿から帰ってきた直後のように、真中が西野と急接近する ときは後ろめたさから東城が心に思い浮かぶことはある(いつもじゃないけど) のに、その逆は1度もない、という辺りもそうですね。

また、高3の合宿の展開からも、東城が本命であるという作者の意志が揺ら いでいるようには見えません。この時点で、西野がひっくり返すと本気で予想 (「希望」ではなくて)していた人はほとんどいなかったのではないでしょうか。

という感じです。また、実際「作者の意図」だけに留ま らず、高3の2学期のスタート地点辺りまでは(あるいは、読む人によっては学 園祭クライマックス辺りまでは)そこから東城を最終ヒロインとして締めくくる のに何の苦労(物語力学的な抵抗)もなさそうだ、という感じは紙面からありあ りと伝わってきます。これで「西野優遇、東城不遇が行き過ぎて、作者が引き返 せなくなっていた」という感じは全然しない。むしろ、「いつでも雪崩を打って 東城を選ぶ結末にまっしぐら、という話が可能だった」というようにしか感じら れません(終盤突入前までは、の話ですよ。終盤に入ってからはまた別の話にな ります)。

異論のある人も結構いるかもしれませんね。ですが、それならばなぜ ノーブラ騒動以降、西野が選ば れて最終ヒロインとなる経緯があれほどまでに無理矢理で、ご都合主義に満ちた 偏った話になっているのでしょうか?それは、「そこまで無理に無理を重ね ないと、西野が東城に勝つことなど到底不可能なくらい物語構造の根幹にまで 『これは“東城との”物語である』ということが深く銘じられていたから」では ないでしょうか。もし本当に「西野優遇、東城不遇が行き過ぎて、作者が引き返 せなくなっていた」のだったら、その流れに何の苦労もなく乗っかったまま、当 たり前のように西野が選ばれ、東城はなす術もなく地味でしがない脇役として何 の脚光も当たらないまま終わっていただけなのでは?しかし、実際には全然 そうはなっていなかったわけです

実際の所は

結局、最終ヒロインが西野 になった理由は何か?と言ったら、ここまで見てきたような言い分はすべて理屈 として破綻しており、ただひたすら「西野の読者人気への迎合」だけ だった、というのが最も有力な説でしょう。それも、作者本人の自発的な選 択によるものではなく、担当編集者(あるいは、さらにそのバックの編集部の総 体的意思)による、半ば以上強制に近い要請でいやいや描かされた、という、身 も蓋もない話だと思いますよ、これって。

その他の考察

…真面目な考察はこれくらいにして、後はコメント部に対するもっと気楽な 感想で。

ここでも「作者の西野贔屓が強すぎた」とか「西野派の大半は女性読者」と いう、首を傾げざるを得ない意見が所々に見られますね。うーん、やっぱり、 作者の思い入れが強かった のは圧倒的に東城だと思うんですよ。このコーナーでもトッ プページをはじめとして何か所かで書いてますが、作者にとっては西野は 「扱いに困る難産キャラ」のまま、ずっと持て余し気味に描いていたと思います よ。西野贔屓が強かったのは、作者じゃなくて(読者と)担当編集者でしょう。 だから非常に薄っぺらなまま、回数だけは何度も何度も登場して目立つ場面をかっ さらっていくんですよ。あとやっぱり、西野派の大半は男性読者というのは明ら かでしょう。そもそも女性読者にとっては受容に至るハードルが結構高いマンガ のはずで、女性読者は贔屓キャラを問わずに全部ひっくるめたとしても相当少な いはずです。

東城の恋愛エピソードを小出しにしてポイントポイントで盛り 上げれば長期連載下でも東城endルートが可能だったんじゃないかな / 東城は西 野と比べて恋愛エピソードが異様に少ないんだよな / バレンタインなんて本命 チョコなのに盛り上げ皆無とかヒドすぎだろ途中からはじま る西野へのプラス謎補正と東城に対するマイナス謎補正に憤っておりますよ / バランスがとれてませんもの(中略)それでも東城の逆転ホームランがあれば許 せますが西野endだものw 安牌すぎだろと 安易すぎだろと(中略)このテの 作品は逆転ホームランこそカタルシスを生むしそこが「作者の腕の見せどころ」 だったろうとといった見解は非常に共感できますね。ほんとにそうだよ!(笑) あ、ただ、「謎補正」と書かれてますが、西野に対する補正が奮発された理由は 「圧倒的読者人気に応えて、西野が(人格を殺されて)真中に奉仕し尽くす話を 描いた」という単純明快なものだったことは自明なので、「謎」の語を冠するほ どではない、とは思います(一方東城の方のマイナス補正は上述の通り不可解な 面もあるので、「謎」を付けるのも十分ありかな)。

あと、誰か原作者に手紙でも出して、その後の話とか別の話を 作ってもらうように頼んでくださいよよよよよよよ。というのは、何でそん なに他力本願なのよ!?(笑)そんなに強く思ってるなら、人任せにしないで自 分でやろうよ、手紙を書いて出すくらい、別にそんな大して勇気のいる決心じゃ ないでしょ!?(笑)え?「そう言うお前はどうなんだ」って?そんな の、何年も前にとっくに済ませてますよ!!(笑)←カミングアウト

ええそうですとも、決まってるじゃないですか。私は 「続き」なぞまっぴらゴメンなの で願うのは別の話一本ですが、当然、そのことを訴えた 手紙は送付済みです、ハイ。

お後がよろしいようで。

ジャンプ副編集長インタビュー

http://toyokeizai.net/articles/-/87054?page=3 「バクマン」実写版を機 としたインタビューのようですが、僕らはマンガを面白くするた めに票を見ているのであって、僕らの勝負は、本当に面白いマンガを提供できた かどうかにかかっています。たとえば主要キャラクターが死んだら確かに票は上 がります。ショッキングなので、その回は1位をとれるかもしれない。それが今 後の展開にとって意味がある展開ならそれでもいいのですが、ただ票を取りたい がために主要キャラクターが死んでしまうという展開にすることに意味があるの か。そこは気をつけないといけない。これは先輩から教えられてきたことです。 毎週、票を取りに行くことは大事なのですが、意味のある票の取り方をしないと いけないということなんです。 えええ〜?ただひたすら読者人気へ迎合し 媚びるため“だけ”に 東城から何もかも横取りして何の正当性 もない西野にくれてやるようなマネをしておきながら、よくもまあそんな空々 しい綺麗事を白々しくも並べ立てられるもんですね。 あの終盤が意味が ある展開だとでも?臍が茶を沸かすとはこのことです。

それとも、この10年の間にそこは反省して改めた点、ということなんでしょ うかね。それだったらまだわからなくもないですが。

Character Japan

4 ページ目に紹 介されてますね。しかし本作の魅力として特筆すべ きは、各ヒロインたちの繊細な心理描写にありますだの恋 愛感情の機微に重きを置いた真摯なラブストーリーは多くの読者の心を掴み ってのは一体どこを見てるのこの人?他のヒロインはともかく、再登場後 の西野に(あとまあ、北大路もそう だよなあ…)説得力のある心理描写なんざ かけらもなかったじゃありませんか。西野派読者に対するエサ・迎合・ おべっかとして、単に男に無限に都合よく振る舞うだけの傀儡 に過ぎなかったわけで。ライターさんの仕事としてはちょっと雑過ぎ やしないですかね。


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井汲 景太 <ikumikeita@jcom.home.ne.jp.NOSPAM.>(迷惑メールお断り)
最終更新日: 2017年7月22日